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髭のためにすぐには分からなかったが、確かに彼だった。
週末に思い出したばかりの親友との再会だった。
胸が熱くなって言葉に詰まる。
ずっと思い出さなかった彼に、思い出して間もないこの日での再会は運命のように思えた。そんなわけないのに…。
「入れよ。急ぐんだろ?」
「あ、ありがとう」
パンはまだ一次発酵待ちだった。閉店してから仕込みを始めたという。
「もしかしてわざわざ準備してくれてるの?」
「ああ、名前を聞いて、もしかしてお前かな? と思ってさ、だったらちゃんとしたのを準備しようと思ってさ」
そう言ってさわやかに笑ったのは高校時代と変わらない笑顔だった。
たった一年の付き合いだった。でも確かに親友だった。
「あ、そうだ名刺」
◎文社 デザイナー 山井一真 Kazuma Yamanoi
素っ気ない白無地の名刺を渡すと、小麦色に麦の穂の絵が印刷された名刺が返ってきた。
ブーランジェリー ル・プルミエ・マルシェ 押川眞市 Shin‐ichi Oshikawa
なんだかジワジワとこみ上げてくる。ジッとその名前を見ながら聞いた。
「…どうしてた?」
押川は黙ったまま山井に丸椅子を勧めて、自分も座った。
そして、真っ直ぐ山井を見た。
何か探られているような気分で、恥ずかしくなって、目を逸らしたくなったが、身体が熱くなるのをこらえながら見つめ返した。
口が乾いて、思わず唾を飲み込んだ。ごくりと音がした。その音が合図になったように押川は口を開いた。
「…パリに留学してた」
押川は無表情で言った。
「パ、パンの修行?」
「まあね。で、取材は何が必要? 人気のパンについての説明と? パンの写真と?」
真面目な顔で続けられて、あの日以降のことは触れてはならないのだと悟る。拒絶の壁がそそり立った気がした。
「うん。それだけで大丈夫。あ~、でもせっかくだから、パンの成型や焼きの行程の写真も撮っていいかな?」
「記事に使うの?」
怪訝な顔をされて焦る。
「ううん、僕が欲しいからなんだけど…」
「ならいいよ。ホントは企業秘密だからね」
茶目っ気のある笑顔が返ってきてホッとする。
「ありがとう、で、人気のパンについてなんだけど…」
ノートPCを開いて、押川の言葉を聞きながら文章に起こした。
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