1. お父さんの心残り

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1. お父さんの心残り

 お父さんがまた、徘徊に出てしまった。お母さんが目を離した隙に、ふらりと出て行ってしまったそうだ。  在宅仕事はこんな時に便利だ。わたしは息子の翔太に留守番を任せ、マスクをつけてお父さんを探しに家を出た。翔太はもう五年生だし、わたしよりしっかりしている。 「ごめんね、翔太。後頼むね」 「いいって。それより、早くじいちゃんのとこへ行ってやれよ」  我が子ながら、いい子だ。  わたしは急いで心当たりの場所に向かった。こんな時、お父さんが向かうのは大体決まっている。 「いた!」  やっぱりだ。お父さんが子供の頃によく遊んでいた場所によく似た河川敷。大体の場合はここにいる。お父さんは河川敷の草むらで、途方にくれたようにたたずんでいた。 「お父さん、ほら、帰るよ」 「ええと……どちら様ですか」 「あなたの娘。智恵だよ。お母さんが待ってるから、戻ろうよ」  二人でゆるゆると家への道を歩きながら、わたしはお父さんにふと訊いてみた。 「お父さん、あんなところで一体何してたの?」  それは単に間を持たすための質問で、答えなど期待はしていなかったけど、思いがけず小さな声で答えが返って来た。 「……ロケット……」 「え?」 「返さないと……」 「え……どういうこと?」 「……俺が悪いんだよ……」  どういう意味か訊こうとした時、迎えに来たお母さんと出くわした。もう家のすぐそばだった。 「ごめんね、智恵。いつも手間をかけて。……さあ、帰りましょう、あなた」  結局その日は、お父さんの言葉についてはそれで終わってしまった。わたしにも仕事があるし、家では翔太が待っている。言葉の意味について、深く考えることは出来なかった。  お父さんは、長いことエンジニアとしてロケットの開発に携わって来た人だった。打ち上げの際には、何度かわたしや弟、お母さんを見学に連れて来てくれたものだ。  勤めていた会社を定年退職し、子育ても終えたお母さんと一緒に第二の人生を歩もうとした矢先、認知症の症状が表れ始めた。  幸いというか、暴言を吐いたり汚したりすることはないが、時々こんな風にふらりと家を出て河川敷辺りでぼうっとしていたりする。  転勤で県外に行ってしまった弟と違い、結婚してスープの冷めない距離に住んでいるわたしは、こういう時には出来る限りお父さんを連れ戻す手伝いをしたりしているのだ。  お母さんは最近膝を痛めて長く歩くことは出来ないし、わたしは在宅でデザインの仕事をしているので、時間の融通が利く。出来る者が出来ることをすればいい。夫も息子も、理解してくれていた。
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