幻の夜

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「ええっ……と、昨日の朝ですね。だから見たとしたら一昨日の夜でしょうか」  ヘルツ警部は考え込んだ。「……『流星群を見た』と言った次の日に遺体で見つかる……偶然か?」 「でも警部、相手はミュンヒハウゼン男爵並みのホラ吹きですよ。いちいち真に受けていたらキリがありませんよ。もしかしたらそのホラ吹きにうんざりしていた人間もいたかもしれませんし」 「だからと言って殺すか? 後ろから首を狩猟用のナイフで刺すか?」 「えっ、後ろから!?」とヒューゲルは絶句した。「た、確かにそれは変ですけど、でも……」 「でも、を連呼している時ほど不毛な時間も無いぞヒューゲル。その時のヘルベルトの話し相手を教えてくれ」 「じゃあ直接足を運んだほうが早いです。マルセルーーーその時の話し相手の名前ですがーーーは普墺戦争で脚を失って遠くまで行けませんから」  その通りだった。マルセルは今し方ヘルツ警部とヒューゲルが話した場所からそう遠く無い共同アパート前でその男は仲間と一緒に屯していた。マルセルは何十年も使い古して枯れ木に成り果てた杖から絶えず視線を背けず、胡散臭そうにヘルツ警部を見た。 「そうよ、ヘルベルトはしょっちゅうその手のほらを吹いておったわ。俺たちは面白がって"男爵"と呼んでおった。悪くねぇだろ? 此処には貴族様なんざ来ねぇんだから。……だけど誰が一体ぇ、こんなことを? ヘルベルトは確かに馬鹿だが、人の良い馬鹿だ。人に恨まれるような奴じゃ無ぇ」  マルセルは職人風の老人であった。普墺戦争前までは事実職人だったのだろう。手は傷だらけで職人特有のも有る。裕福な暮らしなどしたことが無いに違いない。戦争で脚を失って復帰出来るほどの実力は無かった上にそこに万博の失敗と恐慌が襲い掛かられてはひとたまりも無かっただろう。 「流星群を見たと聞いた時の状況を教えて欲しいんだ、マルセル」  ヘルツ警部が務めて穏やかに聞いた。 「ああ、あれな〜。儂等はいつもこの辺りのホイリゲの前や路地裏で飯を食ってんですが、そこにヘルベルトが帰って来て話してくれたんでさ。見事なホラ話でしたぜ旦那。三月に入ってからウィーンのお天道さんは一度も顔を出していねぇのは知ってんでしょ。勿論星なんか見える訳が無ぇってんのに、星を見た、それも幾つも流れ星を見たってんだから」 「その流れ星なんだが……どんな星だ? 話が上手ならかなり詳しく話してくれたに違いない」 「それが傑作でさぁ、旦那。何しろその流れ星とやらは赤、緑、青、紫色……と色々な色をしていて、消えてはまた別の色が瞬いていたってんだから。俺たちゃあ、街灯が雨に反射しただけだっ()ったら、いいや、あれは雨じゃ無ぇ、確かに星だ、彗星だって言いやがった。星が雨のように落ちやがったって」
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