幻の夜

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「奴らは直ぐに国境どころかウィーンからも出なかった。奴らはジンメリングの空き家で首飾りをばらばらにし、一つ一つの宝石にした。そうすれば足が付かない。しかし紅玉髄(カルフンケル)の首飾りについてはばらばらにしたままでは価値が半減する。帝国を出た後にまた首飾りに直す為にデザイン画をも盗んだ」 「だから火をつけたのか!? デザイン画を盗んだと勘づかれない為に!?」  ブロンの言葉にヘルツ警部は頷き、続けた。「覚えている人間もいるだろう。紅玉髄(カルフンケル)の首飾りは沢山のダイヤモンド、エメラルド、ルビー、サファイアが数珠状についていた。紅玉髄(カルフンケル)そのものは厳重に隠すとしても他の宝石はどうする? 箱に入れるのが確実だが、音が煩い。そこで家主のカトリーヌの出番だ。彼女は衣服や織物に飾りとして宝石の一つ一つを縫い付けたんだ」  警官たちが息を呑んだ。 「宝石店が襲われたのはもう一週間以上も前。なのに四日前までそこに居たのはその縫い付けをしていたからなんですね」 「そうだ」とヘルツ警部の目がきらりっ、と光った。「恐らく奴らは出来上がったものから運び上げた。下水道は使えないから引越しすると思わせて。……ところがその運搬を見ていた人間が居た。それがヘルベルトだ」  ヒューゲルがあっ、と声をあげた。 「誰だそれは」とブロンが聞いた。 「『流星群を見た』と宣って殺された浮浪者だ。ヘルベルトはジンメリングのあの空き家の前を通って宝石を縫い付けた衣服や織物をとして仲間に渡しているところを見てしまったんだ。蝋燭の光に反射した宝石たちは筈だ。奴らは取り逃したが、顔は見たんだな。ヘルベルトはホラ吹きで有名だ。ヘルベルトには分からなくてもそれを聞いた人間がそれが流星群では無く、宝石だと気がつくかもしれない。だから口封じに殺害したんだ」 「あの事件まで強盗事件に関わっていたなんて……」 「同時期に起こった事件は何らかの繋がりがあってもなんら不思議では無い」ヘルツ警部はそう言いながらブロンを見た。「ブロン、奴らはこれを死に物狂いで探している筈だ。ヘルベルトを殺したということはまだ近辺にいる可能性がある」と布袋を指差した。ブロンは頷くと応援と総監の許可を得る為に警察庁へと走った。  収束は早かった。ブロンたちが乗り込んだ時、一味の人間がジンメリングの空き家で這いつくばっているのを一網打尽にしたのだ。実行犯はカトリーヌ・ミュラーとその弟たちだった。貧しい暮らしの中で犯罪に手を染め、イタリアを経由してウィーンに流れ着いた。逮捕後、秘密通路は跡形も無く塞がれた。彼らは決して名前を言わなかったが、背景にはハプスブルク家に反感を持っていた、さるイタリア貴族の存在が有った。強盗に使われた拳銃も秘密通路を作る財力もその貴族に依るものだった。は関与を否定したが、皇帝陛下が宮殿の出入りを禁じると反論無く承諾したところから見て疚しさはあったに違いない。ヘルツ警部はそれを新聞で知って溜飲が下がる思いだった。  紅玉髄(カルフンケル)は老舗ケッヒャルトの預かるところになった。しかし星を冠したシシィ皇后が亡くなった年に紅玉髄(カルフンケル)が今度は本当に姿をくらませてしまったことはまだ誰も知らない。  二つの事件が全て解決したその日、三月になって初めて空に星が見えた。それも沢山。今にも落ちて来そうだ。 「久しぶりの晴天ですね。星が綺麗だ」  ヒューゲルの言葉にヘルツ警部は頷きながらヘルベルトが見た星が本物の星だったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。
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