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入学式で新入生代表の挨拶を読んでいた彼女が、教室では今まさに後ろの席にいると思うと、背筋が伸びる思いがした。
しかし阿鳥は、元来引っ込み思案なタチではない。
折を見て声をかけよう。これも何かの縁。彼女といちばん最初に友達になる特権を、自分は得たのだ。この『蘇芳』という名字、揺るぎなきその肩書きによって……!
というふうに思考が傾くのに、そう時間はかからなかった。
結論、振り返るまでもなかった。
「蘇芳さんは、部活何入るか決めたの?」
肩を叩かれそう聞かれたのは、阿鳥のほうだったのだ。
「へっ!?」
その瞬間、たしかに椅子から三センチ浮き上がったと思う。恐る恐る叩かれた肩に目をやる。爪の先まで美しく薄紅色に色付いた、すらりとした白い手がある。むろん人間のだ。そして遅れてやってくる、その手が鈴屋沙由紀のものであるという認識。
「おはよう?」
呆けた顔で、口先では意味のわからない挨拶を返していた。先行を取られるとは予想しておらず、
「ふふふ」
と目を細め、屈託なく笑う彼女を、阿鳥は無作法にも凝視してしまう。
「驚かせてごめんなさい。あなたとお友達になってもいいかしら」
彼女を包むのは、春の森のようなまったりと和やかながらも清涼な空気だった。途端に緊張がほぐれ、阿鳥のコミュ力はいつもの調子を取り戻した。
「あ、うん、もちろん。私もそれ、今言おうと思ってたところ」
「嬉しいな……同じ中学の子、クラス離れちゃったから」
俯きがちな沙由紀は、流した前髪を耳にかけながら、自然と上目遣いになる。
「それで、部活はもう決まってたりする?」
再び問われる。
「部活かぁ……。うーん軽音、やろっかなーとか思ってたりは、するけど……」
我ながら曖昧な答えで情けないけれども、嘘のつけない阿鳥は、やや歯切れ悪く本音を口にする。すると、
「ホント!? 奇遇。私もちょっと考えてたの」
沙由紀の顔がぱっと明るくなった。
「嘘っ、マジで?」
「あっ、に、似合わないかな」
今度は、不安げにまつ毛を伏せる。阿鳥はもげるかと思うほど首を横に振った。
「ううん」
むしろギャップ萌えというやつだ。
「でも私、地味だしトロいから、軽音部のノリについていけるか心配で……」
たしかに大人しくお淑やかそうな見た目は、軽音のイメージからはかけ離れているようにも思える。でも新入生代表挨拶の際の毅然とした態度と口調からは、メンタルの強さも垣間見えた。恐らくはそこまで心配することでもないのではないかと思う。とはいえ軽音部は人数も多いし、今年の入部希望者も多いことが予想される。上下関係も、厳しいとか厳しくないとかいろいろ噂の絶えない部ではある。
「新歓ライブ、見ていかない? 一緒だと心強い」
もはやそう誘うための全ての条件が整っていた。
「ほ、本当? こちらこそだよ。あー蘇芳さんに会えてほんとによかった」
沙由紀は両手を合わせ、ほっとしたように目尻を下げる。
「阿鳥でいいよ。鈴屋さんは中学でなんて呼ばれてた?」
「さゆ……か、さーちゃん……かな」
沙由紀は、恥ずかしそうに小さな声で答えた。なんでか呼び捨てにするのが無性に気恥ずかしくて、以来愛称は『さーちゃん』になった。
小柄に見えた沙由紀だが、連れ立って歩くと意外なことに、阿鳥より三センチ身長が高かった。顔が小さいから全体的に小さく華奢に見えるのかもしれない。それでも脚の美しさには眼を見張るばかりだったし、かと思えば制服の上からでもそれとなく主張できるほど胸はある。中学のテニス部で鍛えられ発達してしまった下半身に比べ、胸板の貧弱な阿鳥としては、うらやましいこと限りなしである。
沙由紀は幼少期よりピアノを習っているという。それこそイメージにぴったりだ。白いピアノに白いワンピース、白いレースの日傘が似合う。バンドをやるとしたらキーボードをやりたいと言っていた。さらに父から譲り受けたというアコースティックギターを所持しており、これもそれなりに弾けるらしく、見学に行くようになるや、先輩から早速熱烈な歓迎を受けていた。趣味でカラオケに行く程度の阿鳥とは、音楽経験に如実な差があった。
けれども軽音部に入部したら絶対一緒にバンドを組もう、と沙由紀は申し出てくれた。
「あとりんの声って、すごくかっこいいもん。一緒に歌いたい!」
と、どうやら地声だけでそのように判断しているようだった。ご期待に添えるかどうか自信はなかった。
ちなみにあとりんというあだ名はこのとき初めて呼ばれた。ごく自然にだったので、生まれたときからそう呼ばれていたのではないかと錯覚してしまった。
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