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「――あとりん、今日なんかあった?」
練習中、阿鳥が何か考えごとをしているのを、沙由紀は見過ごさなかった。首を傾げると、頭の高い位置でひとつに纏めている髪がふらりと揺れる。その結び目に、阿鳥とお揃いの、ちりめん生地の赤紫色リボンが見える。
「うー……」
嘘や誤魔化しは性にあわない。そこで阿鳥は聞き返した。
「さーちゃんはさ、前世って信じる?」
「前世?」
きょとんとした顔で聞き返してくる沙由紀。雰囲気は優しげながらも、根が真面目で現実主義者の沙由紀は、周りの子たちが血液型占いで一喜一憂するのを内心冷めた目で見ていそうなタイプでもある。下手に語ると軽蔑されそうで、慎重にことばを選ぶ。
「いやー、私は信じてないんだけどさー……」
すると、教室後方の椅子から低い声。
「前世が人間の確率ってものすごく低いんじゃなかったか。たしか二パーぐらい。知らんけど」
軽音部一年、樫崎夏恵だ。ドラム担当の彼女は、今日は机を叩くぐらいしかやることがなくて暇そうにしている。
「テキトー言うなし」
阿鳥とは雑なやり取りを交わす仲である。
「どっちにしろ、めっちゃ功徳を積まなきゃ人間になれないんじゃね? 阿鳥の来世は良くてダンゴムシってとこだな」
「何それ。ひっどい」
そこで思考を巡らせていた沙由紀嬢が口を開いた。
「うーん、いろいろ説はあるけど――輪廻転生は仏教の考え方なのよね。仏教が伝来したのは六世紀の中頃だから、宗教的、哲学的な思想として、日本人の心にむかしから根付いているんじゃないかしら。実際はどうであれ、前世や来世の存在に縋りたいと思う気持ちはわかるわ。死んで全部終わりだなんて、寂しすぎるもの」
沙由紀が漆黒の長い髪を解き、腰元へふわりと広がるのを眺めながら阿鳥は、なるほどね、と呟いた。概念としての『前世』は全然変な考え方じゃないと思うのは阿鳥も同じだ。けれど問題は、その実際がどうかというところにあるのだった。
「めのこはぁ、来世もかっしーと巡り会いたいって思うよぉ」
夢見がちに語る幼女ボイスの主は、七五三野琴。身長百四十八cmのミニマムなベーシストである。加えておかっぱの童顔という容姿は、小学生と言っても通用するに違いない。検証したことはないけれど。『七五三野』という漢字四文字/音三文字の珍しい苗字も、『琴』という趣深く雅な名前もあまり浸透しておらず、友人からの呼称は『めのこ』で統一されている。
「かっしーと一緒なら、種族はメダカでもカラスでもいいよ!」
と言い切る女児に、
「そうだなぁ。ダンゴムシは嫌だけどなぁ」
と小動物をわしゃわしゃするムツゴロウさんのテンションで答えるかっしー。めのこと同じ八組で、いつも一緒にいる。身長差が姉と妹、親と子ほどある凸凹コンビだが、雰囲気的には自分たちの世界に没するバカップルのそれと近い。
それはさておき、
「あとりんは、信じてもないのに、どうして前世とか言い出したの?」
めのこが不思議そうに聞いてきた。
「ん〜? まーちょっとね。信じてる人もいるのかなって、気になっただけ……」
ふと顔を上げると、窓の外に朱雀の姿が見えた。一瞬ぎょっとして、慌てて教室に視線を走らせる。朱雀がいるということは、あの幽霊がいるということと同義だ。けれどそれらしき影は見当たらなかった。冷たく這い寄るような気配もない。
もう一度目をやると、朱雀は「今日行くぞ」とでも言いたげに胸を張ってこちらを睨みつけていた。わかってるよ、と心の中で返事をする。気のせいかもしれないけれど、朱雀との距離が縮まったような気がした。意思疎通できているような、そう思っているのは自分だけのような。
なんだか無駄にいきがっているように見えなくもないけれど。
同室のバンドメンバーに、かの鳥の姿は見えていないようだった。見えていればめのこあたりが指さして騒ぐに違いないのだが、全く気づく気配もなかった。
幽霊が現れる可能性も捨てきれないため、阿鳥は下校時まで周囲を気にしていた。
けれど幸い何事もなく、朱雀はいつのまにかいなくなっていた。
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