三、埋葬マイソウル

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「あ、文化祭の曲なにやりたい?」  続かなくなって、突然の話題転換。 「めのこアニソンやりたいって言ってたよね。さっきのは?」 「二期の主題歌。めのこのウォーミングアップ用」 「……ソウナンダ」  めのこはいつだって、ウォーミングアップから全力疾走である。 「かっしーはもっとハードロックやりたいって言ってた」 「私ついていけるかなぁ」  歌はともかく、ギター演奏に関しては今年の春から始めた完全素人の阿鳥。それに対して樫崎夏恵は、中学の吹奏楽部でパーカッションを担当し、たしかな経験を積んできた実力派。彼女が希望する曲のラインナップは、初心者にも容赦がない難曲ばかりだ。 「ユイちゃんだって音楽経験なかったんだから大丈夫だよ」 「それはアニメのキャラだからさぁ」 「めのこね、こないだかっしーが言ってたバンメの曲練習してきたよ! ちょうどいいからあとりん聴いて。Aメロがあんま自信ないけど」  充電が完了し、ぴょこんと椅子から立ち上がっためのこは、おもむろに楽器を構えた。フェンダープレイヤーのプレジジョンベース、パールホワイトの艶やかなボディ。奏者がミニマムサイズなので、その分楽器は大きく厳つく見える。阿鳥は少し距離をとって身構える。これはめのこのパフォーマンスが、広域に及ぶためである。  幼児のように柔らかい指先から、信じられないような重厚かつアグレッシブなサウンドが放たれると、狭い防音空間は、たちまちめのこの滾るソウルとパッションに塗りつぶされてしまう。  『バンメ』すなわち夏恵の推しロックバンド、『BAND-MAID』のこと。メイド服姿で重厚なハードロックを演奏する独自のスタイルで人気を博する。  フレットにかけた小さな手が滑らかに動く。自信がないと言っていたAメロだが、正確無慈悲なリズムの刻みはまったくそれを感じさせない。パワフルなヘドバンも健在。パイプ椅子に片足を乗せて体重を預けながら、音に没頭する。聴いている分にはテクニックにもまだまだ余力がありそうに感じた。  ――不意にベース音がくぐもった。  あれっと思うか思わないかのうちに、視界の隅に映りこんだのは、例の黒い影だった。  部屋の入口近く、隅にいる。そこだけ空気が暗く澱んでいる。  今まで、ひとりきりのときにしか現れなかったのに。  金縛りにあったように動けない。耳にキーンと嫌な音が響き、サビにさしかかっためのこのベース音は、曲の盛り上がりとは裏腹に、水の中で聴いているかのごとくどんどん遠ざかる。  阿鳥は孤独なパニックに陥る。演奏中のめのこは、気づくはずもない。  影は動かなかった。ただじっと、こちらを見ていた。その視線は、前より強く感じられる。  朱雀は……いないのか。  部室の窓は二重の防音カーテンで締め切っているため、その姿を確認することすらもかなわない。  やっぱりあの鶏、肝心なときに役に立たない。  音の遠いベースの、振動だけは腹に響く。  硬直した身体は荒ぶるめのこのほうを向きながら、動かせる目の端で幽霊の動きを注意深く窺う。異様な空気。電車で酔ったときのように気分が悪くなってきた――。
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