一、南方を守護する朱い鳥

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 不覚にも気づかなかった。  沙由紀は普段、部活中だけ長い髪を一つに纏めている。今はテスト期間で部活動も休止。そのヘアゴムの出番はなかったのだ。  それにしてもお揃いとは。  自分で言っておいてちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめている沙由紀に、 「結婚しましょうか」  とイケメンボイスで迫りたいのはやまやまだが、なんとか自制し、阿鳥は早速バレッタを持った手を自分の側頭部へと上げる。  暑くて鬱陶しいという理由で、肩まで伸ばしたことの一度もない、飾り気のない短い髪だ。そうそうないことなので、何度か差し直したが、やがてパチン、という音とともにしっかりとした金具の手応えを得た。  膝に抱えたリュックサックの外ポケットから鏡を取り出して、少し顔を斜めに傾けて様子を見る。  もともと赤みの強いブラウンがかった地毛が、陽の光でさらに赤みを増しているけれど、案外バレッタの落ち着いた色合いは受け入れている気がする。 「うん。似合ってるよ、やっぱり」  沙由紀が満足げに微笑む。 「やっぱり、なの?」 「うん。あとりんに似合う色。自分のセンスに確信を持った。今」  沙由紀の照れと冗談混じりの笑いに、阿鳥も柔らかな笑いを重ねる。 「これ、かっしーとめのこもいっしょに付けたらかわいいかもね」 「かっしー」および「めのこ」とは、同じ軽音楽部でバンドを組んでいる樫崎(かしざき)夏恵(なつえ)七五三野(しめの)(こと)のことである。  テスト期間中は、クラスの違うふたりとはしばらく挨拶以上の絡みがない。話題には頻繁に上るけれど。 「バンドのドレスコードにするのね。それ素敵」  基本、阿鳥の発言全てに肯定的な沙由紀は、今度も手を合わせて同意してくれた。気持ちはありがたく嬉しいけれど、いささか残念さも残る。  これは半分本気だけれど、半分は社交辞令なのだ。  当面は、沙由紀とだけお揃いを楽しもうと、すでに心に決めていた。  本心としては、沙由紀以外の誰とも被りたくないのだから。 「そういえばバンド名、そろそろ決めないとね」  沙由紀が、窓の外を眺めながら呟く。もう次が終着駅だ。 「あれっ、『生チョコパフェ』でいくのかと思ってた」  先週ちょっと話し合った際は、めのこがそれっぽいことを言って終わっていたと記憶している。  しかし沙由紀は凛と正面を向いたまま言った。 「ううん。部活が始まったら言おうと思ってたけど、あれはダメよ。語呂が悪いし、イメージカラーにどうしてもチョコレートの茶色を連想してしまって、私たちの音楽の方向性と合わないわ。もっと華やかさがないと」  基本、他人に対して肯定的な沙由紀だが、ダメなときはダメと、根拠を持ってきっぱりとした判決を下す。そんなところは見ていて気持ちが良い。 「そっかぁ」  そうするとつまり、語呂が良くて、かつ視覚的華やかさのあるバンド名を考えなければならないということだ。  とてもじゃないけれど思いつかない。しかし、 「ねぇ、考えておいてねー、リーダー」  と、こちらを覗き込んでくる沙由紀の、甘えを含んだような声音には、 「はいはーい」  と調子よく答えてしまうのが自然の摂理であった。  改札口へと進む沙由紀と手を振り合って別れてから、阿鳥自身は乗り継いでもう二駅ほど電車に揺られることになる。  といっても時間にしてものの五分もない。  何も考える間もなく、自宅の最寄り駅に到着する。  頭の左サイドにしっかりと留められたバレッタを、一度たしかめるように軽く触れてから、座席を立つ。  開く自動ドアに向かいながら、特別荷物も多くないのに外面ばかり大きなリュックを、背に回した。  、と思ったのはそれとほぼ同時だった。  目に入るより少し早く気配でわかる。  わかるようになってしまった。と言うべきか。  それほどまでに頻繁に、それはのだ。  ひとけのないホームの向こうから仄暗い視線を感じる。  背中に少し寒気は走ったが、何の事は無い。  無視すればいいのだから。  気付いていないフリを決め込むと、阿鳥は足早に改札へと向かった。
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