一、南方を守護する朱い鳥

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 いわゆる怪奇現象、というやつなのだろうか。  高校に入学して少し経った頃から、視界の端に黒い影が映り込み、じっと見つめられているような視線を感じるようになった。  それは決まって、阿鳥がひとりきりのときにだけ現れた。  沙由紀をはじめとする友人や家族に打ち明けたことはない。  話したところでメリットを感じないし、今のところ自身に危険が及んだことがないから、という論拠に基づいて、今のところ黙秘を貫いている。  改札口を出てすぐ、街路樹の枝に、朱色の鳥が留まっているのが目に入った。  明るい赤にオレンジが混じった両翼。尾羽は先端に行くにつれて金色に輝きながら枝垂れている。 駅前は閑散としている。阿鳥は一人ぽかんと口を開けて、その不思議な生き物を見上げていた。  幼い頃訪れた橿原の考古学博物館で、あれと似た写真を見たことがある。どこか近所の古い遺跡から発見された壁画に描かれていた……のだったか。名前は、なんだったっけか。でもいま目の前にいる実際の姿は、あの壁画よりも些かぽっちゃりしているかも。あれももう少し茶色ければ鶏で間違いないのだが。 なにせ記憶があやふやだ。  いっときはぴたりとあしをとめて驚いたけれど、怪奇現象もこうして頻発する世の中だし、何が起きても不思議ではない。 やがて阿鳥は、その生き物をぼーっと眺めつつも、ゆっくりと帰途につく。 受け入れてしまう自分が、少し怖い。  なんとなく、きょろきょろと忙しなく首を動かす鳥は、辺りの様子を伺っているようにも見えた。  阿鳥が今まで、心霊に遭遇することはあっても実害を被ったことはなかったのは、あの鳥がひそかに見張っていてくれたおかげなのかもしれない。  茜雲に向かって凛と首を伸ばす姿は、やや鶏っぽさもあるけれども、とても美しかった。  特になんということもなく、街路樹の真下も通り過ぎた。  信号と川を渡り、ひとけのまばらな住宅地の路地に入っていく。  これといった異常は見られない。  先程の黒い影の気配も去っている。  ひとまず胸を撫で下ろした。  しかし自宅近くの道を進んでいたときだ。  キィ、という鋭い一声が空にこだました。  嫌な予感はしたけれど、もしかしたら鳶かも、と思い気に留めず。しかしもう一度、今度は程近くで鳥の声がすると、  ――ああ、やっぱり。  金色の長い尾が頭上を掠めるほどに低く滑空して。 「わっ」  頭を両手で覆って庇った。  沙由紀にもらったバレッタが外れでもしたらどうしてくれる。ムッとして、赤い翼を羽ばたかせる例の鳥のほうへと目を上げ、阿鳥は思わず肩をびくりとさせた。  数メートル先に、あれがいた。  纏う気配でわかった。いつもなるべく目に触れないようにしているから、正面からまともに見るのは初めてかもしれない。  かろうじて人の形をしているが、塗り潰されたような黒い影だ。髪は長いことがシルエットから判明したが、目や鼻や口はない。全身が真っ黒なのだ。  それに対して抱いたのは、恐怖というより嫌悪だった。  何故自分に執着するのだろうかという、疑念と憤りも含まれていた。  とはいえ、正体不明のこの世ならざる者に向かって、なんの対策も無しに突っ込んでいくほどの果敢さはない。  とりあえず、距離を保とうと踵を返し、背後を気にしながら、重い足をしだいに加速させる。
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