一、南方を守護する朱い鳥

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 逃げ出すというのは性分に合わない。怖いというより、情けない気分のほうが(まさ)った。  家に帰るにはどうあがいてもあの道を通らなければならないのだ。明日から期末試験だというのにとんだ迷惑幽霊め。  見た目ほど重たくないリュックを背負って、その背に斜光を受けながら、のそのそと歩く。  この町は夕暮れ時が特に美しい。同時に言いようもなくもの寂しく感じる。日暮れの空は毎日見ているのに、そのたび胸の奥がほんのりとざわつく。黄昏時っていちばん怪異が出やすいんだっけ。誰かがそんな話をしていたかもしれない。  コンビニにでも入って時間を潰したい気持ちだったが、あいにく近所には一軒もなかった。空気を読まないあの煌々とした明るさが、今なら心理的平穏をもたらしてくれるだろうに。でも当たり前のようにひとつも見当たらない。  駅前には学習塾のほうが多いぐらいだ。  さすが人口あたりのコンビニエンスストア件数ワースト一位の我が県。  ともかくそういうわけで、暇つぶしに行くところがないド田舎の高校生は、あてどなく彷徨うほかないのだった。  もうそろそろあれはいなくなっただろうか。戻って良いだろうか。  慣れてきたとはいえ、やはり霊的な存在は不気味なものだし、できれば本格的な闇が到来してからは行き遭いたくない。  というかさっきのあの鳥は?  強そうだったし、幽霊を追い払ってくれたらいいのに。  肝心なところで役に立たないなぁ。派手なだけで。鶏と変わらない。  大きめのため息をつくと、阿鳥は「よし」と口の中で呟き、意志を固めた。  帰ろう。試験勉強もしなきゃいけないし。  もしあれがまだいたら、今度は無理矢理にでも強行突破してやる。  くるりと踵を返し、元来た道を歩き始める。  夕陽の斜光の眩しさに、俯きがちになった。  鳶に似た甲高い鳴き声が、また響く。  手をかざして日を避け見上げると、朱い翼がはためいてる。  ……忙しいなぁ、今日は。  でも賑やかなのは嫌いではない。感傷的な夕暮れ時にひとり幽霊を避けて佇むよりは。  阿鳥は好奇心に任せて、朱い鳥を追いかけた。  線路沿いを走っていた。  このまま南下すれば隣町。奈良県高市郡明日香村へと辿り着く。  鳥を追いかけるうち、途中で線路から遠ざかった。小さな姿と鳴き声を目印に進む。だいぶ走った気がするが。  どこだここは。  いよいよ本格的に眼前には田園地帯が広がっていた。  明日香村には、普段滅多に訪れることはない。  千三百年前はヤマト王権の中核都市だったらしいけれど、その当時の栄華は今や見る影もない田舎町。顔が書かれた変な石とか、大小さまざまな昔のお墓が点在しているので、ひっそり観光地として売ってはいるけれど、やっぱり栄えてはいない。  もう帰りたい。寂寞の想いが込み上げる。不意にあの鳥が、励ますように力強く鳴いた。  疲れて、たまに歩いたり、たまに走ったりしながら鳥を追う。何故そんなことをしているのかだんだん忘れてきた。  だけどただなんとなく導かれているという予感がしてならなかった。
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