一、南方を守護する朱い鳥

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 中学校の部活以来の長距離走だった。ひいひい言いながら、それでもなんとか追いつく。  一件の家の屋根先に、鳥は羽を休めていた。  ここがゴールなのだろうか。  あっけなく訪れた旅の終わりに、阿鳥は肩で息をしながら、その建物の全貌を見上げる。  どうやら喫茶店のようだ。瓦屋根に漆喰の外壁だが、モダンな洋風の扉とお洒落な木製の看板が出ている。  一瞬だけ躊躇ったものの、生唾を飲み込み、思い切ってドアノブに手をかける。カランと竹風鈴の清涼な音がした。  店の中は薄暗かった。  なんで外から確認しなかったのだろう。  少し見れば営業していないことは明らかだったのに。  自分の短絡的行動が恥ずかしい。声にこそ出さなかったけれど、「やば」心の内で唱え、くるりと回れ右をした。そして、 「うぇぇっ?」  今度は声に出していた。  一寸先に鳥の頭。反射的に後退(あとずさ)ったからよかったものの、あやうくその(くちばし)に膝の皿を割られるところだった。  明らかに異質な佇まいの朱い鳥が、そこに直立していた。  間近で初めて見るその姿。  鶏に似た体型と大きさだが、首が長い。こう見ると、「ちょっとぽっちゃりした小さな孔雀」と言い表したほうがより良いかもしれない。  長い首を、すんとまっすぐにこちらに向けている。瞳の色は菜の花のように鮮やかな黄色。見開いた両眼から、どんな感情なのかは読み取れない。  両者、しばし睨み合ったまま――正確には、驚愕の面持ちで硬直する阿鳥を鶏モドキが無表情で見つめたまま――沈黙の時間が流れた。  先に動き出したのは鶏のほうだった。  阿鳥の視線を受け流しながら、足元を通り過ぎ、静まり返った店内を優雅とも言うべき足取りで歩み進む。  まるでその先に目的地があるかのようだった。  ようやく我を取り戻した阿鳥は、思わず一歩踏み出し、声を上げていた。 「待って」  鳥を追って店内を進むと、奥のおそらく厨房に繋がる暖簾と、手前にもうひとつ、半開きになった扉があった。見ると鳥は嘴で器用に扉をもう少しだけ押し開けて、ぽっちゃりした胴を隙間に滑り込ませていた。  導かれるように、さらに阿鳥も続く。  扉を抜けると、不思議の町だった――とまではいかなかったが、それでなくともじゅうぶんに非日常な光景を、阿鳥は目にすることとなる。  そこはやはり再び屋外で、小さな日本庭園となっていた。  白い砂利敷きの地面に一本の松の木が聳え、どこからかせせらぎとししおどしの音が響く。奥に見えるは風流な縁側と、薄影の向こうの和室。  中庭らしい。  表からはわからなかったがどうやらこの敷地は相当に奥行があり、正面から見ると洋式のカフェだが、内側に住居スペースとして純日本家屋が建つという構造らしかった。  とだけ言うと全く非日常ではないが、問題はその白い砂利の中、ざくざくと無遠慮に鳴らしながら足跡をつけていく鶏モドキ。気後れして入口で動けない阿鳥。  そこへ。 「どちら様ですか」  という人間の声。はっきりとした、男の声だ。  阿鳥は飛び上がってしまった。ほんのついさっき幽霊にばったり出会った時よりも、その反応は過剰だった。 「すみません! 間違えました!」  久しく人間と会話していない感覚に陥って頭が混乱する。  ただ、謝罪は誠意を見せることが大事だという意識だけが明確で、阿鳥は反射的に勢いよく頭を下げていた。  けれど、落ち着いた声は阿鳥に向かって、何気ない口ぶりで尋ねてきた。
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