第5話 私が復讐をする理由

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第5話 私が復讐をする理由

 △ △ △ 「ただいま」  私は真っ暗になっているアパートの扉を開ける。母はとっくに夜勤の仕事に出かけたのだろう、家には誰もいなかった。一年前まで住んでいた家は売り払われて、いまの私は母との二人暮らし。こんな毎日の繰り返しが私の心を復讐へと向かわせている。  何度思い出しても仲のいい私の家族だった。母は美人で優しく、父は腕のいいパン職人。小学六年だった弟はサッカーが上手だった。父親が病気で倒れたのは私が高校一年のとき。それは夫婦の夢だった自分達の店を出してから五年目の出来事だった。  病気の影響で右半身に麻痺が残った父は、リハビリをしてパン屋を再開するつもりでいた。主治医の先生も半年ほど頑張ればある程度動くようになると言ってくれていた。  それなのに、あの男は私たちから何もかも奪い去ったのだ。 「返済は待てません」  店の開業資金を借りていた一流銀行からの返答は、冷徹で血も涙もないものだった。融資の担当はそれなりに話を聞いてくれていたという。ところが父の入院している病院に一緒に来た銀行の支店長は冷たく言い放った。 「長谷川さん、半年も店を閉めてたらお客も帰ってきませんよ。とにかく一月後の返済が滞ったらこちらも相応の手続きに入ります、ではお大事に」  借りている残金は家のローンを合わせてまだ二千万以上あったようで、とても一括で返済できる額では無かった。父と母は病院から銀行へ何度も行き、どうにか返済を待って欲しいと懇願したらしい。母の話によると何度も床に頭をこすりつけて土下座をしたという。ところが返事は冷たいもので、逆に訴えるところに訴えてもらってもいいとさえ言われた。  弁護士の先生に相談しても法律上は銀行の言うことが正しく、契約上はどうしようもないという結論。疲れ切った父はリハビリをせずに自殺をして、生命保険で返す道まで考え始めた。  結局のところ自殺までされては風評が悪いと考えた銀行は、担保になっている店と家、そして父の定期預金その他諸々を差し押さえるので自己破産しろと言ってきた。父や母、そしてその親戚兄弟が集まって出した答えは父と母が離婚して、父は銀行の言うとおりに自己破産することだった。それが一番資産を残せる方法だということだったけれど、手元に残ったのは本当に僅かなお金だった。  住む家も無くなり、リハビリをしても再開する店も無い。そんな状況に追い込まれた父がまともに右半身のリハビリをするはずもない。弟は父と一緒に父の実家、つまり祖父のところに引き取られ、私と母はアパートを借りてここに残ることになった。  母子家庭の優遇措置とかなんとかで税金や授業料は払わなくてもよくなったけれど、私と母の生活はひどいものになった。母は父と結婚するまでに取っていた准看護師の資格で仕事に復帰をした。ただブランクを経て再開した福祉施設での仕事は中年に差し掛かった母には激務で、週に二日ほどの夜勤をこなして帰ってくる母の姿は本当に疲れ切っていた。  私はそんな母が夜勤の仕事をする日を狙って、復讐のターゲット探しをする。私は私の家庭を崩壊させた銀行が憎かった。そんな銀行の言うとおりの法律になっている社会が憎かった。八つ当たりだということは理解していたけれど、とにかく社会的地位にあるヤツを貶めることを私は決意していた。  できればあの銀行の支店長がよかった。けれど私の顔も割れているし、さすがに相手も気づくだろう。ならばその銀行に勤める別の偉いさんが一番いい。あとは政治家とか役人、裁判官なんかも貶めるにはいいターゲット。とにかくあと一年のうちにそのターゲットの人生と家庭を崩壊させて復讐を完成させるつもりだ。  そのときすべてが公になったら私は学校を退学になる確率が高い、よくて無期停学。どちらにしろ卒業できないことを考えて援交で稼いだ小金は貯金している。アルバイト代と合わせてもまだ五十万ほどしかないけれど、一年後に無いよりはあった方がいいと思う。  今日私が釣った男は学校の教師だった。私の着ている制服を見ただけで目の色が変わったのがわかった。「へえ、名門だね。賢いじゃん」と私の髪をなで、服の上から胸を触る。「そんな訳ないでしょ、中古の服を買ったの。自分の高校の制服で来る訳ないよ」、と私がそんなでまかせの嘘をつくと、男の顔つきが明らかに失望の表情へと変わった。  そのあとはよそよそしい態度になり、防犯カメラの死角で三十分も私の身体を触りまくってから果てた。最後までさせてくれと言わなかっただけマシかもしれないけれど、こんな教師に教わっている女子高生は可哀想だと思う。自分たちが、気色が悪いほど性の対象になっていることを知らずに過ごしているのだ。コイツは教師でありながら高校のレベルで女子高生の価値を判断し、ニセモノの女だとわかると失望した。いわゆる名門校や伝統校の、一般的に賢いといわれている生徒の身体を触ることに興奮する性癖には反吐が出る。  帰り際に「ホントはどこの高校?」なんて聞いてきたものだから、「私、本当は去年高校を中退したの」と言ってやったら不機嫌になって、出した金が惜しいとばかりにカラオケボックスを出て行った。援交をするオトコなんて所詮こんなものだ、本当のことなんて教えてやる必要もない。  そんなことを思い出しながら、私はブレザーとスカートを脱いでハンガーに掛けた。一応明るい部屋の中で男の唾や体液などが制服についていないかチェックをする。今日のことで分かったけれど、教師に限らず制服マニアというのは本当にいるらしい。この調子なら違う高校の古着を買って行った方が安全だろうか。 「ふふっ、安全って……」  誰も居ない部屋で思わず一人で自虐的に笑う私。  なにが安全だろう、安全なんてものは望んではいない。大物を釣り上げたときに露見させて一緒に破滅してもらうのに安全も何もない。私はブレーキの無い自転車に乗って坂道を下り始めたいる。もう引き返せない。何本もの交差点をすり抜けて、ターゲットになった男に捨て身の体当たりが出来るのか、それとも途中の十字路で自動車にはねられるのか。そんなことは今の私にはわからなかった。  シャツと下着を洗濯機に投げ入れてシャワーを浴びる。あの男に何度もなでられた髪を洗い、どさくさ紛れにシャツの間から手を入れられた肌にお湯をかける。いつだったかいきなりキスをされた時には何回も顔を洗ってうがいをした。こんなことでも気持ちが悪いのに、本当に最後までウリをしている女の子たちはどんな気持ちなのだろう。それとも、彼女たちからみれば私は卑怯者なのだろうか。  風呂場の鏡をシャワーで流し、綺麗になったミラーに映った自分の姿を見る。大人っぽいとよく言われるけれど、まだ私は十七歳だ。あんなことがなければ今頃は家族四人で過ごせていたはずだし、父親のような年齢の男に身体を触らせるようなこともなかった。でも今の私は違う。たとえ八つ当たりといわれようが、破滅主義といわれようが、私は誰かを巻き添えにして幸せから引きずり落としてやらなければ自分の気持ちが収まらない。  鏡に映った私はなぜか泣いていた。泣いちゃダメだ、負けちゃダメだと思いながらも泣いていた。私だって本当はこんなことをしたくない、本当は好きな男の子ができて一緒に受験勉強をしたりして将来の夢を話したい。だれもいない一人きりのお風呂場で、そんな正反対の自分が顔を出す。  不意に高橋俊と有原優花がデートをしていた場面を思い出した。  ――私だったら彼氏がウンザリするような話なんてしないのに……  一瞬そんな馬鹿げた想像をした私は、「なにそれ、私バカみたい」と自嘲しながら、そっとシャワーの栓を締めたのだった。 <第一章 おわり>
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