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第6話 体育祭 その1
< 第二章 >
△ △ △
五月の最終週の金曜と土曜、僕の高校の体育祭と文化祭が合わさった学園祭が予定通りに始まった。
初日は体育祭。体育祭とはいっても全員が参加する競技は数少なく、だいたいの競技がクラスからの選抜メンバーで構成されていた。僕は長谷川綾と一緒に呼び出し係を受けていたので、本部テント脇の場所でボーッと競技が進むのを見ている。楽な仕事といえば楽なのだけれど、隣との会話が無いというのはやっぱり辛い。
今日の長谷川綾はセミロングの髪を後ろで括っていて、それなりに動きやすい髪型をしていた。あらためて間近で体操服姿を見ると、そこそこの胸の膨らみが確認できる。けれどそれ以上に体育祭にはなんの興味もなさそうな横顔に意識が行ってしまって、やっぱり呼び出し係を受けるんじゃなかったと後悔をしてしまう。
自分のクラスの方を見てみると結構楽しそうに集まっているし、僕をこんな目にあわせた粕谷を探すと、なんと後輩の女の子と嬉しそうに喋っていた。それを見た僕は思わずガックリときてしまう。
振り返って隣をみると、相変わらず体育祭には興味が無さそうな長谷川綾。つまらなさそうにスマホを取り出して触っていないだけマシかもしれない。まあさすがに本部テントの横で、スマホを触って時間つぶしをするヤツはいないだろうけれど。
指定された競技になると僕か長谷川が呼び出しに行って人数を数える。
「じゃあ今度俺行ってくるわ」
「そうね」
会話と言えばそんな会話しかなく、確かに胃に穴が開きそうな時間が一時間以上も流れた。
五月の空は澄んでいて青いのに、僕の心はどんよりとしている。明日の文化祭の店番、金魚すくいはどうなるのだろう、僕の胸には早くも明日の心配が黒雲のように広がっていく。
ウチの高校は一学年が四百人の定員で、そのうち付属中上がりは百二十人くらい。十クラスのうち国公立理系の第一コースと国公立文系の第一コースに賢い付属上がりが集中して、彼らが我が校の進学実績を押し上げてくれている。
僕たち高校受験組の中には適当に高校で勉強して、まあまあ有名な系列大学に内部進学するか、もう少し勉強してさらに上の難関私大に指定校推薦で行ければいいや、という雰囲気が確かにあった。優花なんて本当にそんな感じで、一応国立を目指している僕に対して、べつにそこまで頑張らなくてもいいんじゃないのといつも呆れた顔をする。
そういえば長谷川って、どこを目指してるんだろう。
ふとそんなことを思って、隣に座っている長谷川をチラッとうかがう。そんな疑問なんて僕はいままで思ったこともなかったのに、なぜか急に気になりだした。医療系の学部という感じではないし、薬学部という雰囲気でも無い。理学部、工学部、もしかしたらバイオ系の農学部、いろいろと考えてみたけれど、どうも今ひとつピンとこなかった。これが普通の女子なら「どの学部目指してるの?」と軽く聞けるのだけれど、さすがに長谷川綾には聞きづらい。
そんなことを考えていると、『知力・体力・時の運』というどこかで聞いたフレーズとともに高校生クイズ風の競技が始まった。
毎年思うことなのだけれど、体育祭なのにクイズを混ぜた競技を出すウチの学校ってどうなのだろう。今年はペアになった選手がお互いに背負ったカゴを狙って、赤い玉と白い玉を交互に投げ入れ、玉入れに成功した組からクイズに解答できるという競技になっていた。当然出されるクイズはランダムで、早く玉入れに成功した組が簡単なクイズに当たるという保証はない。まさにこの辺が時の運だった。
一番先に玉入れに成功したペアは初々しい一年のペア。元気に走ってクイズが出される場所までやってくる。そこで出たクイズは――
――「赤玉が二つと白玉が一つ入った赤い袋と、赤玉が一つと白玉が一つ入った白い袋があります、サイコロを振って三の倍数が出た場合は白い袋から……」
それは確率の問題だった。しかもやたらと長い。
まあだいたい毎年こんなクイズも出る。しかし何も一年生に当たることはないのにと思う。一応クイズは二回読み上げられ、そのあとで三十秒の解答タイムが与えられるけれど、見たところクイズの初っぱなからこんな問題なんて想像していなかったらしく、一年の男子二人組はポカンと口を開けていた。
――「……一回目に赤い袋から赤玉が取り出される確率はいくつでしょうか?」
実行委員が用意したのだろう。ご丁寧に司会の後ろのホワイトボードにはクイズの書かれた模造紙が貼られた。僕たちのような外野はある程度おちついて問題を考えられるけれど、全校生徒の前に出てテンパった彼らが解けるだろうか、いや無理。
僕は二回目の問題が読み上げられている間に、試しに暗算で考えてみた。赤い袋と、白い袋、サイコロの目が三の倍数……、あれ? これはどこかで見たような。そんなことを考えながら計算を進める。
「九分の四?」
「九分の四……」
僕が解答を呟いたのと同時に隣からも澄んだ声が聞こえた。長谷川綾の声だった。まさかと思って隣を見ると、同じタイミングでこちらを見た長谷川と目が合う。
「合ってるよな、九分の四で」
「うん、多分。これ、去年のセンター試験の問題だから」
「ああ、それでか」
どこかで見た感じがしたのは実際に過去問で解いていたからだった。しかしそんなセンターの問題だと覚えていた長谷川の記憶力は凄い。
――「残念、タイムアップ!! 答えは九分の四!」
予想通りにテンパった一年生二人組は、全く声を出せずにタイムアップした。また再び玉入れからのやり直しである。ご愁傷様といったところだ。
「すごいな長谷川。覚えてたの、センターの過去問」
「まあね、でも種をあかしたら先月に見たばっかり」
「それでも凄いな」
僕は感心した。昨日や一昨日なら覚えていても不思議じゃないけれど、一月も前なら忘れていても普通。しかも全然試験と関係ない体育祭で出されて、センター試験の問題だと思い出す方がおかしい。
「記憶力いいんだな、長谷川」
素直な言葉を口にすると、長谷川綾はフッと鼻で笑う。
「高橋くんこそ、問題を覚えても無いのに九分の四って暗算で出したじゃない。私はなんとなく解き方を覚えていただけ」
「まあ外野から呑気に計算したからな、あの場所で暗算しろっていってもテンパって無理だって」
僕がクイズの解答席を指さしてそう言うと、長谷川は「そうね」とだけ返す。可愛げがあるのか無いのかわからないし、結局僕は褒められたのか、それとも長谷川の手の上で転がされたのかすら分からない。
次のクイズは関数を使った角度を求める計算だった。今年のクイズは理数系ばっかりかと思いながら問題を聞く。
――そして
「六十度」
「六十度」
またもや長谷川と声が重なった。思わず僕は吹き出してしまう。
「なんだよ長谷川、なんで重ねるの?」
「べつに、高橋くんが勝手に答えただけでしょ」
そう言っていつものように冷笑ともいえる表情をうかべた長谷川だったけれど、僕は見逃さなかった。その冷笑になる前に、長谷川綾はほんの一瞬女の子らしい笑顔を見せかけた。それはとても綺麗で、可愛くて、ほとんどの男だったら惚れてしまいそうな笑顔だった。
「長谷川、数学好きなの?」
「まあね」
「学部、どこを志望してるの?」
「まだ、本気では決めてない。高橋くんは?」
「俺か、そうだな……」
僕は昔から何かを作る仕事がしたかった。作るといっても目に見える何かを作りたかった。ダムとか地下鉄とか橋とか、そんな巨大なインフラ関係じゃなくてもいい。家でもいいし、小さいモノだったらいっそ椅子でも机でもいい、とにかく何か自分が作ったものを残したかった。
「俺は何かを作るようなところがいいかな。建築とか、デザインとか、土木はデカすぎるかな、でもまあそんな感じ」
「へえ、じゃあやっぱり工学部でしょ。でも意外だな、高橋くんは機械とか電気関係が似合いそうだったから」
「ああ……、そっちはあんまり興味ないんだ。長谷川は何に興味あるの?」
「私?」
僕の質問に少し驚いたのか、長谷川は切れ長の綺麗な目を大きくさせる。その表情も年相応で女の子らしい顔だった。
「私は……、そうだな、工学のほうは全然興味がないから、どっちかっていうと理学とか化学のほうかな。あとは、食品関係とか」
「ああ、あっちの方ね。まだ女子率が高いもんな」
そこからだった、不思議なことに長谷川綾との会話が続いた。特に僕は意識して話をした訳じゃない。それでも会話のキャッチボールが自然と続く。事前に情報を知らなければ家族や家のことを聞いてしまったかもしれないけれど、それ以外のことはごく自然体だった。
「長谷川は体育祭に興味ないだろ、朝からつまらなそうだったもん」
「べつに、朝から元気に走れるなあって思って見てた。でもそれを言うなら高橋くんだって興味ないでしょ、クイズまで何も喋らなかったんだから」
「ああ、俺インドア派だからさ」
「へえ、インドア派なのにカノジョ出来たんだ、凄いね」
「あのなあ……」
僕はため息まじりに長谷川を見る。
「高橋くん、クイズ終わったよ。次、呼び出しの順番でしょ」
なんだかまた長谷川にもてあそばれたような気もしたけれど、僕は次の競技の準備へと向かう。ただ、もてあそばれたとはいえ、不思議とそれは不快ではなかった。どちらかというと会話をしていて楽しいとさえ感じたし、長谷川綾は本当に聡明なんだと思った。
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