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後編
びょおっと風が吹き抜けて、肩より少し長い髪が舞い上がる。
「寒っ!」
悲鳴のように口をついて出た言葉に、背後からの反応がない。
風除けのように立ってくれていても防げないなら、いっそ抱き締めてほしい。
なかなか、それを口にすることはできないんだけど。
ニケツしているときなら、気兼ねなくいくらでも密着することができた。今も、言葉にするよりかは、体を反転させて抱き着く方が気楽にできるのに。
重ねられた手が、いくら待っても温まらなくて、でも動かすこともできないくらいに固定されてしまっている。
そう、まるで柵に貼り付けられているかのように。
「あの、タカシ?」
急に首筋が寒くなった気がして、振り返りながら見上げた。
同じように下の街を見下ろしているか、その手前の私のことを見つめて、微笑んでいるはずの彼を予想して。
「――え?」
けれど、いつものところに、タカシの顔はなくて。
顔があるはずの、頭があるはずの空間には、さっきまで見上げていた星の煌めきがあって。
視線を下げると、首まできっちりと上げられたジッパー、私を包み込む広い肩に厚い胸板。それなのに、少し上にずらすだけで夜空の星。
「え? なん、で……なんで」
冷たいままの手が、私を縫い付けている。そして振り仰いだ私の顔に、タカシの首から下が寄ってきていた。
「うそ、なにこれ、タカシ……!!」
掠れた呼び掛けも意味はないんだろう。だって、耳がないんだから。
そんなまるで他人事みたいに自分を俯瞰している私が、ゴトッという音に反応して足元に目を遣る。
そこには、手摺りから落ちたヘルメットが鎮座していた。
「――」
最初は、なんなのかわからなかった。
「――」「――」「――」
何度もくぐもった音が聞こえて、ようやくそれが私の名前を呼ぶタカシの声だと気付いた。
でもそれは、首の上からじゃなくて、足元から聞こえてくる。
「うそ……タカ、シ」
「――、いっしょに、いよう、な。ズット」
いつもの私なら、歓喜する言葉だった。
でも、いまは。
「や、やだ! やだよ! タカシ?」
どういうことか判らないけど、タカシの頭はヘルメットごと足元にある。それを受け入れることができなくて、タカシからの誘いも受け入れることができなくて、ひたすら首を振る。
「――、イッショ、ニ」
ぐうっと押し込むようにタカシの体が被さってきて、私はエビ反りになりながら手摺りの上に乗り出した体を懸命に引き止める。
下は、かなり距離があるけど、道路。若干ズレたとしても森。どっちにしても、落ちたら助からない。
(もー!誰だよ手摺りをこんな低く設計したやつ!)
心の中でどれだけ悪態をついてもどうにならない。声を出したら力が抜けそうで、歯を食いしばって抗ってみたけど、成人男性で体格の良いタカシに私が敵うなずもなく、ぐらりと空中に体が乗り出してしまう。
(もう、ダメ――!)
こんな時でも、星は輝いていて、それが綺麗で。
悔しいのか、嬉しいのかわからないままに、体全体に風を感じた。
ふと、寒気を覚えてタカシの背中に顔を擦りつけた。
なんだか変な夢を見ていた気がする。
展望台まではもうすぐ。
(でも、いつもより寒いかな。まだ夏なのに)
いくら真夜中でも、もっとじっとりした暑さがあるはずなのに、それがない。
得体のしれない寒さに意識を持って行かれて、なぜだか急にタカシの顔が見たくなった。
(変なの。ヘルメット被ってるから、どうせ見えないけど)
そろりと頭を動かして、腰に回した腕は緩めないように気を付けながら、上へと視線を遣る。
「え」
(――なんで)
私の声は、風に紛れて霧散した。
ツナギの上に見える筈の、そこにあって然るべきヘルメットがなかった。
(道理で、風が冷たいと――)
了
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