0人が本棚に入れています
本棚に追加
仕事終わりに鏡に映った自分の顔が想像以上に酷かった。
寝不足とデスクワークによる運動不足とストレスが蓄積された顔だった。肌はボロボロ、目の下には隈。
あまつさえここ最近では毎日マスクをつけながら仕事をしているせいで、右の頬に赤くポツリとニキビができていた。大人ニキビといえば聞こえがいいが、残念ながら連日の不摂生とマスクの摩擦攻撃を受けた不名誉な傷だ。
今日も上司の小言やクライアントからの無茶ぶりを何とかこなしながら、仕事から帰ってきて鏡を見た瞬間にこれだ。
誰も居ない部屋の中で、私は声を上げながら泣いた。しばらく泣いていると、お腹から悲しい犬の鳴き声みたいな音が聞こえる。
こんなに乙女な悩み事で悲嘆にくれていても、空気の読めない腹の虫は空腹を叫んでいて泣いているのが馬鹿らしくなった。
「あー!もうたこ焼きをお腹いっぱい食べたい」
泣いて崩れた化粧をクレンジングクリームで落としてから、すっぴんをマスクで隠す。目元がうっすら赤くなっていたが夜だし、近くのコンビニ行くだけだから特に問題は無いだろうと財布と家の鍵だけを持って玄関を飛び出した。
自宅から一番近いコンビニに向かう。店の中に入ると思ったより電灯が明るくて、先ほどまで涙を流していた目がしぱしぱと痛んだ気がする。
目を擦りながら冷凍食品のコーナーに向かうと、高校生くらいの男の子の店員さんが陳列をしている最中で一瞬視線が合う。
彼は特に何も言わなかったが少しだけ頭を下げて、重そうな商品の入った箱を退ける。申し訳ない気持ちもあったが、せっかく退いてくれたのでお目当ての冷凍たこ焼きを手に取った瞬間、隣から控えめの声が聞こえた。
「あの」
「え?」
声をかけてきたのは隣で陳列を続けていた店員さんで、私は彼に視線を向けた。すこし心配そうな表情が見える。
「目、赤いですけど大丈夫ですか。あまり擦らない方がいいですよ」
また無意識に目元を擦っていた様で、はっとして手を降ろす。
「ありがとうございます」
「いえ」
早口で告げた礼に彼は微笑んだ。年下の筈なのにやけに大人っぽい穏やかな笑みに、なんだか恥ずかしくなってその日はそそくさと家に帰った。
目元は冷やして、買い置きをしていた少し高めの保湿パックを使ってゆっくり休んだ。その日は想像以上によく眠れて、もしかしたらあの店員さんの笑顔のお陰でストレスが緩和されたのかも知れないなんて、馬鹿なことまで考えてしまう。
数日してから出勤前にあのコンビニに行くと、丁度あの店員さんがレジに立っていた。彼は私の差し出した買い物かごの商品をレジに通してから、何かを思い出したように口を開く。
「目、治ってよかったです」
「お、覚えてたんですか」
「勿論です。折角綺麗な人なのに、あんなに目が腫れてて気になってたんです」
彼の言葉に顔が熱くなった。
これは大人になったら相当女泣かせになるだろう。
彼は言葉に詰まる私を見て笑う。この前の微笑みとは違い、少し意地悪な笑い方だった。
「今度は目じゃなくて、耳が真っ赤になっちゃいましたね」
「か、からかわないでください」
「からかってるわけじゃないんですけどね。はい、おつりです」
お釣りを掌に乗せられ、そのまま踵を返そうとする私に彼のささやくほど小さな声が聞こえた。
「何かに一生懸命な人は本当に綺麗なものですよ」
それは私に話しかけるというよりはほとんど独り言の様で振り返った時には、彼はこの前と同じ優しい微笑みを浮かべていた。
「お仕事行ってらっしゃい」
「いってきます」
完全にしてやられた気分で、半ば逃げるように走って仕事に出かけた私はドキドキと早まる心臓の音を誤魔化すように咳払いを一つ。
息切れしながらも自分のデスクに座って大きく息を吐くと、何だかとてもすがすがしい気分で頭の中がさえわたる感覚だった。
隣のデスクの同僚が私を覗き込んで不思議そうに口を開く。
「最近、なんだかきれいになった?肌艶いいし、いい化粧水とか見つけたなら私にも教えてよ~」
私はその同僚のうらやましそうな視線を受けて、ぼんやりとあのコンビニの明るい照明を思い出す。
「私はただ一生懸命なだけだよ」
彼の言葉を借りて発した自分の声がとても楽しそうで、彼女は不思議そうに首を傾げていた。
最初のコメントを投稿しよう!