第5章:赤い聖剣『フォルティス』

1/1
前へ
/238ページ
次へ

第5章:赤い聖剣『フォルティス』

 暗闇の中、泣き声が聴こえる。あの子だ、娘だ。今すぐ駆けつけて、抱き上げてやらねば。周囲を見渡すが、五感に入るのは、母を求める声ばかりで、我が子の姿を見つける事もかなわない。  気ばかりが焦って振り向いた時、紫の髪が視界に映った。見慣れた背中が、産着にくるまれた同じ髪色の赤子を抱いて歩いている。  名前を呼んで、走り出したつもりだった。だが、口から洩れたのは、音にならない息だけで、足は鉛のように重くて、一歩を踏み出せない。  彼は振り返らないまま遠ざかる。顔を見る事すら出来ず、赤子の泣き声も遠ざかってゆく。  大声で名前を叫ぼうとして、手を伸ばす。だが、必死の努力も虚しく距離は広がるばかりで、もどかしさと悔しさに両目から涙が零れ落ちて―― 「――アルダ!」  その名を呼ぶ自分の声で、シズナの意識は現実に引き戻された。夢の中で伸ばしたそのままに、右腕は空へと突き出されている。  夢なのだ、と自覚すると同時、夢ではない、と嘲笑う自分が心のどこかにいた。  アルダは遠くへ行ってしまった。娘もこの手に帰らない。  腕を下ろしのろのろと身を起こすと、ぽたぽたぽた、と毛布に零れる水分があって、しばし不思議に思いながら呆け、ある瞬間にはっと気づいて両頬に手を当てる。  頬は信じられないくらいに濡れていた。夢の中で流した以上に、涙が溢れている。しかもそれは夢から覚めて止まるどころか、後から後から続いて、悲しみの終焉を告げてはくれない。
/238ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加