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第5章:赤い聖剣『フォルティス』
暗闇の中、泣き声が聴こえる。あの子だ、娘だ。今すぐ駆けつけて、抱き上げてやらねば。周囲を見渡すが、五感に入るのは、母を求める声ばかりで、我が子の姿を見つける事もかなわない。
気ばかりが焦って振り向いた時、紫の髪が視界に映った。見慣れた背中が、産着にくるまれた同じ髪色の赤子を抱いて歩いている。
名前を呼んで、走り出したつもりだった。だが、口から洩れたのは、音にならない息だけで、足は鉛のように重くて、一歩を踏み出せない。
彼は振り返らないまま遠ざかる。顔を見る事すら出来ず、赤子の泣き声も遠ざかってゆく。
大声で名前を叫ぼうとして、手を伸ばす。だが、必死の努力も虚しく距離は広がるばかりで、もどかしさと悔しさに両目から涙が零れ落ちて――
「――アルダ!」
その名を呼ぶ自分の声で、シズナの意識は現実に引き戻された。夢の中で伸ばしたそのままに、右腕は空へと突き出されている。
夢なのだ、と自覚すると同時、夢ではない、と嘲笑う自分が心のどこかにいた。
アルダは遠くへ行ってしまった。娘もこの手に帰らない。
腕を下ろしのろのろと身を起こすと、ぽたぽたぽた、と毛布に零れる水分があって、しばし不思議に思いながら呆け、ある瞬間にはっと気づいて両頬に手を当てる。
頬は信じられないくらいに濡れていた。夢の中で流した以上に、涙が溢れている。しかもそれは夢から覚めて止まるどころか、後から後から続いて、悲しみの終焉を告げてはくれない。
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