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第一舞 はじまり 〜リラ編〜
リゼフィーネは歩いていた。薄暗い霧の中で。リゼフィーネは、何故こんなところにいるのか分からず、狼狽えていた。
(……私はどうして、こんなところにいるの……?)
リゼフィーネは、そんな疑問を持ちながら辺りを見渡すが、四方八方を濃い霧に囲まれている。これでは、リゼフィーネが幾ら見渡しても此処がどんな場所かも分からない。
「……誰か、誰かいませんかー!!」
困ったリゼフィーネは声を上げ、歩き始めた。しばらく、リゼフィーネが霧の中を歩いていると、ぼんやりとだが、少し先に誰かが居るのが分かった。リゼフィーネはその人を見て、駆け寄ろうと走った。その人物も、それと同時に走って行こうとする。リゼフィーネは思わず叫んだ。
「待って!!」
そこでリゼフィーネは目が覚めた。と、同時に思い出す北条紫(ほうじょうゆかり)としての莫大な量の記憶。その記憶が、一気に入り、リゼフィーネに激しい頭痛が襲い掛かる。
(痛っ!こんないっぺんに記憶入れられたら頭、パンクするよ!!……い、痛すぎ、……ベルを……)
あまりの激痛に、リゼフィーネはベッドから起き上がることすら出来ない。横になったまま、震えの止まらない手で、ナイトテーブルのベルに手を伸ばした。リゼフィーネは、なんとか掴んだベルを鳴らそうと持ち上げたが、手を滑らせて落としてしまった。
ーガチャンと、ベルが床に落ちた。
その途端、リゼフィーネは激しい頭痛がしなくなり、スッと頭が軽くなる。リゼフィーネは急に頭痛がしなくなったことに、戸惑いつつも入れ終わったと言うことで納得した。
(……まさか、容姿まで変わってないよね?)
リゼフィーネはそんな、嫌な考えに顔が真っ青になった。もし、そんなことがあったなら、幾らこの世界でも言い訳出来ない。怖くなったリゼフィーネはベッドから起き上がり、鏡を覗こうとするが、扉をノックする音でそれは阻まれた。
(えっ?もう来たのっ!?)
リゼフィーネは、ノックの音を無視して隠れ場所を探そうとするが、見つけるより先にドアが開いた。扉を開けて入ってきたメイドは、リゼフィーネを見て、ほんの少しだけ目を細めた。
「リゼフィーネ様?お目覚めになったんですか?」
(……良かった。びっくりしてるみたいだけど、流石に容姿は変わってないみたい。私が元気なことに驚いてるんだ。)
ドアを開けて入って来たのは、リゼフィーネの専属メイド、カリナだった。栗色の髪に紅玉の瞳をしていて背の高い、よく気の利くメイドだ。……なかなかの整った綺麗な顔立ちをしているのだが、愛想がないせいで彼女に近づく男性はいない。
カリナはリゼフィーネの言葉を無視して、つかつかと駆け寄った。主の言葉を完全に無視している辺り、ある意味凄い。
「リゼフィーネ様、失礼します。」
そう言って、カリナがリゼフィーネの額に手を当てた。熱が無いのを確認すると、リゼフィーネに告げる。
「リゼフィーネ様、すぐに旦那様と奥様を連れて参ります。それまでお待ち下さい。」
「……えっ、ちょっと……」
引き留めようとするリゼフィーネに構わず、カリナは部屋を出て行った。
(……なんか今日のカリナ、様子がおかしい。いつもはこんなことないのに。やっぱり、何か変わっていたのかな? )
リゼフィーネは、今すぐにでも鏡台に行って覗き込みたかったが、いつの間か履き物が無くなっている。これではベッドから降りることが出来ない。
(……私、カリナに行動、読まれてる……?)
リゼフィーネがそう思っていると、廊下をバタバタと走る音がした。
(……えっ??もう来たの?)
間も無くして、ドアが勢いよく開き、二人の人物が現れる。
「「リラ!!」」
リラとはリゼフィーネのことだ。リゼフィーネのことをそう呼ぶ人は数少ない。
「お父様に、お母様!?」
そう、リラの父親のマティアスと母親のオリアンヌだ。
相当急いで来たらしく、マティアスは紺碧の髪に汗が滴っている。銀色の瞳には、焦りの表情が浮かんでおり、知的でクールな顔も台無しになっていた。
オリアンヌも、蜂蜜色の髪は少し乱れており、濃茶の瞳が期待と不安に染まっていた。それに、いつもの穏やかな表情ではなく、隠す気のない切羽詰まった表情だった。
「り、リラ、大丈夫なのか?」
(お、お父様が私の前で表情を崩してる……!?)
リラは、マティアスの労わるような心配そうな顔を見て、思わず口をあんぐりと開けてしまった。
(と言うか、声まで柔らかい様な?……いや、別にお父様と仲が悪い訳ではないけど、お父様は、いつも私の前ではカリナみたいだから……。)
リゼフィーネは内心戸惑いつつも、マティアスの言葉に笑顔で答えた。
「はい、なんともないですよ?と言うか、何故そこまで驚いていらっしゃるんですか?」
リラの問いに答えたのはマティアスではなく、オリアンヌだった。
(……お母様が微妙に、顔を曇らせた様な気がするけど、気のせいかな?)
「リラ、何も覚えていないのね?あなたは、5歳の誕生日パーティーで突然、意識を失って倒れたの。それから今日までの三日間、ずっと寝込んだままで私達は心配して夜も眠れなかったのよ。ティアなんて仕事を放り出してリラの様子を見に行こうとしてたんだから。」
(……お母様……?なんですとっ!?っていうか、ティアって!?まさかお父様のことっ!?)
オリアンヌはその時の様子を思い出したのか、どこか心配そうな悲しそうな目つきでリラを見た。そこまで心配してくれていたことにリラは胸がジンと熱くなるのを感じた。
「なぁ、アン、頼むからティアって呼ぶのやめてくれないか?なんだか女みたいだ。それに、仕事を放り出そうとしてなんかいないぞ?ただ、城内での執務中に忘れ物を取りに行こうとして、屋敷に戻ろうとしただけだ。」
「あら、貴方だってアンって呼んでるじゃない?私がティアって呼んでも別にいいでしょう。それに、忘れ物なら執事に持って来させればいいこと。なのに、自分で取りに行こうとした時点でバレバレだわ。」
ティアと呼ぶのをやめないと言われた上に、あっさり嘘を見破られ、マティアスは項垂れた。
(お父様、嘘が下手すぎ……。)
そんなことをリラが思っていると、いつのまにか私のすぐ横にオリアンヌがいた。
「リラ?心配してたのはティアだけじゃないのよ??屋敷にいる全員があなたが目覚めるのをずっと待ってたんだから。もちろん、私もよ?だから、早く元気な姿を見せてあげてね。絶対喜んでくれるわ。」
「そうだぞ、リラが倒れたあと、屋敷の人間は殆どパニック状態だったんだからな?……私なんて、倒れてアンに呆れられたぐらいだったんだぞ。」
リラは優しい笑顔で話すマティアスとオリアンヌを見て、嬉しくなり微笑んだ。
(……お父様、最後なんて言ったんだろう?まぁ、いいや。)
「はいっ!お母様、お父様、しばらくしたら中庭で走ってきます!!」
「まぁ!ふふ、そうね、中庭で走ったら元気だってわかるものね。」
「そうだな、それは名案だ!!」
リゼフィーネの提案に、喜んで賛同するマティアスとオリアンヌ。二人は、肝心な所まで頭が回らなかった。
(よーし、中庭30周だー-!!元気だってみんなに教えてあげなきゃ!!)
ーコンコン
実に完璧なリズムで、ドアをノックする音が聞こえた。その途端、マティアスは顔面蒼白になって、必死で隠れる場所を探し始めた。
(……お父様?どうしたんだろう??)
訳の分からないリラは、了承していいのか戸惑う。マティアスはジェスチャーで必死に、入らせるな!!と言っているが、オリアンヌはそれを無視する。
「どうぞ、お入りくださって。」
その言葉と同時に、ドアが開く。ドアの向こうに、1人の人物が現れた。この国にしては珍しい灰色の髪、ディープレッドの瞳をしており、背は大して高くないが、迫力が凄い男性だ。
「マティアス様?執務を放り出して、ここで何をしているのですか??」
(ひぇっ!?こ、怖い……!)
その声色はとても冷たく、たった一言で部屋の温度が一気に下がった。既に冷や汗ダラダラのマティアスは思わず後ずさり、男性との距離を十分にとった後、言った。
「じぇっ、ジェロンッ!!……い、いや、……その、む、娘が……」
マティアスは、ジェロンと言う男性になんとかごまかそうと言い訳する。だが、その男性の威圧のせいか、まともに喋れない。
「だから、なんですか?娘が心配だからと、三日間連続で私の目を掻い潜り、私に全て押し付けようとしたんですか?」
男性がそう言うと、男性の背後から何か黒い棒の様な物が出て、マティアスの口を閉ざす。
マティアスは必死に抵抗するが、そんなことお構い無しにマティアスの服の襟を掴む。男性は右手でズルズルマティアスを引きずりながら、ドアの向こうへ消えていった。
「……お、お母様?あの男性は一体、誰なんですか??」
「ジェロンのこと?」
「はい。多分そうだと思います。」
「フルネームは、ジェロン・アリスターよ。ティアとヒルシュビーゲル公爵のお目付役なの。あの二人はいつも執務を放り出そうとするから。」
オリアンヌは呆れた様な声で言うが、顔が笑って
いる。さっきのことが余程面白かった様だ。
(……お母様、ドえ……ゴホゴホッ。)
「……そ、そうなんですか。アリスターさんも大変ですね。」
「そうかしら?ジェロンはティアとヒルシュビーゲル公爵の行動なんてすぐ分かるから苦労はしないはずよ?」
「………」
(あ、アリスターさん、何者!?)
ーガチャッ
「奥様、突然失礼します。ヒルシュビーゲル公爵家から、お手紙が届きました。」
「ヒルシュビーゲル公爵家から?分かったわ。リラ、ごめんなさいね、また来るわね。」
そう言って、オリアンヌはメイドとともに部屋を出ていった。そして、リラは何を思ったのかベルを鳴らした。
「リゼフィーネ様、何かご用ですか?」
「紅茶を淹れてきてくれないかしら?」
「かしこまりました。」
カリナが部屋を出て行き、それを遠ざかって行ったのを確認して、リラは鏡台に座る。
母親譲りの艶々と輝く金髪、祖母譲りの珍しい紫丁香花(ライラック)の瞳。誰かどう見ても、リゼフィーネ・ラ・ミュンヒハウゼンだ。
(……う〜ん、何も変わっていないはずなのになぁ……。北条紫の記憶が入ったせいで、赤の他人みたいに見えるよ……。)
ーそれに……
(北条紫の記憶がおかしい……?)
リラが、北条紫の記憶を探っていると分かったのだが、記憶にいくつか矛盾しているところがあった。と言うより、記憶の一部がないのだ。
(私が、ベルを落としたから……?)
その記憶がないと言っても、今はなんの問題も無いはずだ。だが、リラは胸がモヤモヤして落ち着かない。
(……どうして?どうして、こんなにモヤモヤするんだろう……?)
ーカチャリ
リラが北条紫の記憶に戸惑っていると、カリナが紅茶を持って、戻って来た。
「リゼフィーネ様、そこで何をしていらっしゃるのですか?」
「なんでもないよ。ただ、髪がボサボサだな〜って思っただけ。」
「確かにそうですね。紅茶を飲み終わったら、髪を綺麗にいたしましょう。」
( だいたい、なんで私は転生したの?前世は普通の女子高校生だったし。かと言って、悪役令嬢的な感じじゃないし。第一、私は乙女ゲームとか、RPGよりもパズルゲームの方が好きだったからな。う〜、分からないよッ!)
「……リゼフィーネ様、頭痛でもするんですか?」
カリナが訝しげに言った。
(えっ!?マズいッ!!ごまかさなきゃ!……そうだ!!)
「ううん、そうじゃないの。ただ、中庭で走ってるって、みんなに分かるような場所ないかな〜って思ってただけだから。カリナは気にしないでね。」
「……はぁ?すみません、リゼフィーネ様のおっしゃっていることが理解出来ないのですが。」
リラは、さっきの両親とのやりとりのことを話した。聞き終わったカリナは、リラの肩をがっしり掴み、こう言った。
「……リゼフィーネ様、もし、もし、屋敷の者を苦労させたくないのなら、それだけは、絶っ対に、おやめください。」
とやけに、語調を強めてやめさせようとした。それに、カリナの雰囲気が急に変わったので、リラは黙って頷いた。
(……か、カリナ、顔、怖いよ……?)
リゼフィーネが紅茶を飲み終わり、髪をとかして貰うと、カリナは言った。
「リゼフィーネ様、アルフレート様が騎士団からお戻りになるようです。」
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