編集長の身近な男ーぶち壊しの中島

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編集長の身近な男ーぶち壊しの中島

中島のネクタイは今日もグリーンだ。 緑色が好きだから服も文房具もそればかり選んでしまうと本人が言っていた。 身長は逢坂とあまり変わらない。編集部では背の高いほうだ。 焦げ茶の瞳は大きく幼さが残る顔なので、新入社員に間違われやすい。 生意気という感じはなく、逢坂はことあるごとに中島をかわいがってしまう。 書類を見ながら、中島が前髪を掻き上げた。 中島が入社して間もない頃、染めているのだろとからかって髪に触れたことがある。自分とは違う栗色の髪が珍しかった。 思ったよりも柔らかく、さらさらとしていて触り心地がよかった。 そのまましつこく髪を弄っていたら、中島に手を振り払われてしまった。 赤い顔をして、触らないでくれと言われたので、それ以来頭を撫でることだってしていない。 顔を動かさず、中島が視線だけを合わせてきた。 歯を見せて笑ってくる。 驚いた逢坂は、馬鹿、と声に出さずに唇を動かした。 会議中に、そんな嬉しそうな笑みを見せてはいけない。他の者に舐められてしまう。 集中しろと、唇を動かし、自分の書類を何度か指差した。 中島は笑顔で何度も頷く。 話が通じている割には、顔を引き締めない。 何がそんなにおかしいんだと思い、軽く睨みつけてやった。 「それでは、新しい文庫本シリーズについて、まずは皆さんに意見を求めます。何か希望やアイディアはありますか」 皆川の言葉に、中島が手を挙げた。 笑っていても仕事は忘れていなかったかと思うと、逢坂は嬉しくなった。 「すみません。そのことについてなんですが、そもそも、文庫という考えをやめにしませんか」 会議室内がざわつく。 逢坂は眉間に皺を寄せた。やってくれたよ、と思った。 中島は編集部内で、『ぶち壊しの中島』と呼ばれている。 いつも会議を引っくり返すのは中島だった。 ある程度決まった企画に奇抜な意見を出しては、仲間たちを慌てさせる。 ときには名案、ときには的外れ、会議で中島の意見が採用される確率は三割を切っている。 今日はどちらに転ぶのか。逢坂は中島を見つめた。 (頼む、変な理由をつけるなよ。会議は、面白い案さえ出せばいいというものではない。実行してもいいと言える、確実な根拠が必要だ) 中島は、会議室内を見回した。まずは左にいる皆川、視線を一周させた後、最後に再び逢坂を見た。 先程の笑みは消え、静かな落ち着いた表情になっている。 逢坂は頷いた。よし、言え、という合図のつもりだった。中島が頷く。 「ひと回り大きい新書サイズで刊行したらどうでしょうか。ビジネス新書くらいの薄さにして、長いものは分冊しましょう」 「文庫版のほうが価格は安くなるから、気軽に購入できるんじゃないか」 素早く、逢坂は言葉を返した。 (さあ、どう答える) 逢坂は固い表情で中島の出方を窺った。 「活字を大きくすれば、書籍は必ず分厚くなります。サイズが小さいからといえ、辞書や弁当箱のような厚さの文庫本を読者が読みたがりますか。それなら、印刷するところを大きくする、つまり、書籍自体のサイズを大きくすればいいのです」 中島が編集者たちを見た。 数名が頷いている。じっと聞き入る者もいる。これならいけると逢坂は確信した。もうひと押しだ、期待を込めて中島を見つめた。 「薄い書籍なら、女性は持ちやすくなります。ソファに寝転んで読むのにもちょうどいいでしょう。当然、持ち運ぶのも便利です。コストはかかりますが、読者にとって買いやすいものができあがると思います。今は文庫で出版するレーベルが多いです。あえて新書サイズで出せば話題性があると思いますが、いかがでしょう」 逢坂は笑みを浮かべてボールペンのキャップを外して、書類に『新書、分冊、提案中島』と書き込んだ。顔を上げて、中島に向かって大きく頷いた。 「いい考えだ、中島」 「ありがとうございます」 中島は子供が親に誉められたような、心から喜びを表した顔になった。 ああ、と逢坂は、声を漏らした。 力が抜けてしまう。思わず頭を抱えてしまった。 (だから、その笑顔はやめろ。男がそんな無防備な顔を見せてどうする) 入社して五年も経つのに、中島はこの素直さが変わらない。よく変わる顔は見ていて和むが、ここは職場だ。学校ではない。 (中島には、いつか、表情の作り方を教えてやろう。心のままの表情を他人に見せては、相手に隙を与えることになる)
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