アルバン・ヘルツに花束を

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 半ば『壊れた傘は歌わない』とは関係の無い話をずらーっと書き連ねてさぞかし辟易されたと思ったのですが、沢山のスター、ありがとうございました。  私が推理小説を愛読していることは先述しました。が、密室トリックやアリバイトリックを考えることははっきり言ってかなり苦手です。というか出来ない。  どちらかと言うとクリスティーのように「アリバイを作ったのは殺人者では無く、共犯者の方であった」「その言葉を言ったのは殺された人物では無く、その人に変装した犯人であった」「自殺に見せかけた他殺では無く、他殺に見せかけた自殺であった」「『彼女は居なかったのよ』の『彼女』は容疑者だと疑われた女性では無く、真犯人の方であった」といった発想の展開、心理的トリックを考える方が好きです。そして謎解きよりも犯罪が起こるまでに一体何が起こったのか? 凶行をしでかした人物はどのような人物で、その周囲にはどんな人物がいて、どのような環境で生きて、何があったのか? を突き詰める方がずっと興味深いです。メグレ警視シリーズの産みの親にしてフランスの推理作家の大家ジョルジュ・シムノンがこのタイプで、昨今の北欧ミステリーもこのパターン。  対するトリック重視の本格推理小説はあまり好きではありません。昔は勿論、魔術を見て歓声をあげる子どものように好きでしたが、今は子供心を失ったように本格ミステリーに閉口するようになりました。決して読まないとは言いませんが、私自身がそれを書こうとは思わないです。  クリスティーと同年代でトリック重視の本格推理小説スタイルを最後まで貫いたのは『不可能犯罪の巨匠』と謳われ、怪奇幻想と歴史ロマンの話も書いたジョン・ディクスン・カー。ディクスン・カーの犯罪は本当に脱出王フーディーニ並みなので犯人云々よりも「どうやって犯行現場から出たんだよよ!?」とハウダニット(どうやってそれを行ったのか?)重視なこともあります。ホワイダニット(何故殺したのか?)にはあまり重点を置かず、謎解きゲームです。  ディクスン・カーが現れて約90年。今の犯罪はより残虐化、猟奇化し、犯罪者の若年化もしています。もともと子どもの犯罪者というのはどの時代にも一定数いたようですが、昔は窃盗や強盗という動機が有りましたが、今はただムカついたとか、なんとなくといった衝動的な動機は近年俄かに増えたものです。……果たしてこれらの事件を「謎解きゲーム」として扱って本当に良いのか? と問われたら私の答えは「否」です。  事件をゲームのように扱う時代はもう終わった。というよりも殺人事件といった重大事件を本来そういう風に扱ってはきっといけなかった。ずっとそのスタイルで書いてきた作家はそれでも良いかもしれませんが、これから新しく新本格を書こうと思う人はかなり大変だと思います。これからは恐ろしい事件であればあるほど目を背けずに「何があったのか」「どうしてこんなことが起きてしまったのか」「その背景には何があるのか」をとことん突き詰めて、批判し、批評し、時に糾弾し、最後に一欠片の希望や勇気を読者に残す。これからの推理小説やミステリーはきっとそれがより主流になるでしょう。新本格が好きな方は申し訳ありませんが……  追伸:三段落目で挙げたクリスティーの心理的トリックの話が全て分かった人は立派にクリスティーのファンです。  
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