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私、林原梓は、この街にありふれた平凡な会社員だった。都内の私立大を出て総合商社の事務職に就き、仕事もそつなくこなしている。
大学生の頃にバイト先で出会った2歳上の俊彰と、5年付き合って結婚した。その頃の俊彰は契約社員で、両親は難色を示したが、結局反対を押しきって入籍した。
二人の収入を合わせてようやく年収800万円程度なのに、わざわざ広尾の賃貸マンションで暮し、大学時代の延長のように週末は気ままに遊び歩いていた。
私よりもあとに結婚した友人に子供が生まれても、祝福こそすれ羨ましいとは思わなかった。まだ遊んでいたい。それは俊彰も同じだと思っていた。一週間前、俊彰から離婚したいと告げられるまでは。
「ねぇ、おねえさん」
考え事をしているところに突然肩に手をおかれ、私はビクッと震えて振り返る。そこには待ち人ではなく、にやけた顔をした若い男性が立っていた。
「誰か待ってんの?」
そう言って私の隣に座る。そこは俊彰のために空けてあるのに、なんて馴れ馴れしいんだろう。
「来ないんでしょ?もう、いいじゃん、俺らと飲まない?」
俺ら、という言葉にひっかかって視界を広げると、私を挟むようにもうひとり男が立っているのに気づいた。いつから見られていたんだろう。29歳にもなると、ナンパなんてただ面倒くさいだけだ。
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