ありがとう

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あんなに仲の良かった父が、音信不通になって、その知らせを聞いた時には、ショックで何も手につかなかった。 「大好きな父が、ステージ4のガンになったこと…」兄弟から知らせを受けて、急いで病院に向かった。 病室のベッドには、元気そうな父と、まだ母とは呼べない義母がいた。自分の母の死後、半年もせずに、転がりこんできた後妻業の女だった。父は、その女が可哀想で、一緒になったと言ったが、子供達の気持ちなど気にせずに、勝手に籍まで入れてしまった。 その女は、1度目の結婚で、旦那が逃げて、2度目と3度目の結婚は、旦那が亡くなっていた。そして、4度目が私の父との結婚だった。そんな話を聞いていたので、父も亡くなったら困ると思い、毎日のように病院へ通った。長い時間一緒にいるために。 父も、私が義母を嫌っていることを知っていて、「仲良くしてやってよ」と会うたびに言ってきた。そのたびに、悔しくて悔しくて仕方なかった。父とガンが治ったら、ゴルフを一緒にしようとか、旅行に行くためにパンフレットを持ってきて、どこに行こうかと相談したり、退院したら美味しいものを食べようと、2人で計画をしていた。元気な笑顔が印象的だった。ゴルフに行くなら、筋トレしなきゃと、病人なのに、病室で筋トレしている父を見て、可愛いと思った。 でも、進行が進むにつれて、我慢強い父の口から、「痛い!辛い!」と言う言葉を聞くことが増えた。弱っていく父、でも懸命に生きようと、お金はいくらでもかかってもいいからと、先生に最新の治療を頼むが、「うちの病院では、出来ません。先進医療は、成功例が少ないので、やらない方が良い」と、言われてしまったのだ。 私は、その時の悔しいと涙ぐむ父の顔を、忘れることが出来ない。私自身、今思えばたくさんの病院の中で、なぜ他の病院にも行くことをしなかったのか、後悔している。もっと、出来ることがあったんじゃないかと… その日は、突然の電話が入った。 「父が亡くなった」と… 昨日、あんなに元気だった父が、数時間前まで、笑顔だった父が、亡くなったなんて、信じられなかった。泣きながら、病室に着くと、白い布が顔にかけられていて、父の身体は、冷たくなっていた。こんなに早く逝ってしまうなんて…泣き崩れた私に、弟は、「夜中に連絡があって、ここに居たら殺される。だから家に帰る」と、着替えていたと教えてくれた。その数時間後に、亡くなった知らせを受けたのだ。だから、誰もが、信じられなかった。 お通夜もお葬式も済んだ頃、私に言葉が降りてきた。 「ありがとう」 それは、父からの言葉。 父は、母と一緒に居るのを、感じる。 私のそばにも、2人でいてくれることも… 「あなた達の子供で良かった。本当にありがとう。」いつまでも、手を合わせるのが、日課になった。父の亡くなった朝も、そして、今も、空には龍神雲が見守ってくれている。
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