七夕の茶会

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「どうぞお楽に」  茶碗(ちゃわん)を置き合わせた亭主の挨拶(あいさつ)が済むと、正客(しょうきゃく)(とこ)や道具の説明を求めるのが(つね)だ。本日の正客(しょうきゃく)も、ちらりと(じく)に目を向けて説明を求める。 「本日のお(とこ)趣深(おもむきぶか)く拝見させて頂きましたが、お(じく)の説明をお願い出来ますでしょうか?」  問われた亭主は、手元を狂わせることなくそれに(おう)じた。  点前(てまえ)の流れる動きはそのままに、説明を始める。 「はい。本日の(じく)は私の(ひつ)でございます。10月に良く()けられる、掬水月在手(水を(きく)すれば月、手に()り)を七夕になぞらえました」 「唐の詩人、干良史(うりょうし)の『春山夜月(しゅんざんやげつ)』の一節ですか。手に届かない高さの月も、手の中の水に映る月ならば(すく)うことができる、という……」  月の光は誰にも平等に(そそ)がれるからこそ、その小さな幸せを見逃してしまうのだ。だからその幸せを手にする為に、行動しなければならない。何もしないでは得られないから、行動して結果を得ろと言う禅語(ぜんご)だ。  茶席という場は(みな)平等。刀を(はず)さねば入れぬ程に小さい(にじ)り口は、その象徴(しょうちょう)だ。  しかし、だからと言って安全というわけでもない。  (たたみ)(へり)()まないのは、表向きは()い取られた家紋(かもん)()まない為と言われているが、実際は(へり)仕込(しこ)まれた危険物を踏まないようにする為だし、扇子(せんす)を手元に置いておくのは、()りかかられた時に身を守る為でもあるのだ。  そんなことをおくびにも出さずに作られた場。様々な工夫を()らし、ひと時の幸せを手にしているのだ。  亭主は説明を続ける。 「抱憶星在手((おく)(ほう)すれば星、手に()り)。手の届かぬ所に()織女星(しょくじょせい)も、記憶の中の想い出であれば、(いだ)くことができる、と。今宵(こよい)は快晴。きっと美しい天の川が夜空に華やかさを()えて、一年に一度の逢瀬(おうせ)が叶いましょう」  正客(しょうきゃく)は、誰もいない半東(はんとう)席に目をやる。  いつも茶席に(はな)やぎを()える彼女の姿は、今日はない。 「随分とロマンチックな(じく)ですな。もしや、いつもみえるお綺麗(きれい)半東(はんとう)さんと、何かございましたか?」  その問いに、亭主は茶碗を()く手をピクリとさせた。  だがそれも一瞬のこと。茶碗を静かに置くと、中にある茶巾(ちゃきん)を取り上げ、口端(こうたん)(かす)かに上げて、何事もないかのように茶巾(ちゃきん)(たた)みながらさらりと受け流した。 「えぇ。彼女は、私の手の届かぬところへ行ってしまいました」  そう言って茶巾(ちゃきん)釜蓋(かまぶた)の上に置くと、(ひざ)前で三つ指をつく。 「お菓子をどうぞ」  その合図(あいず)に、正客(しょうきゃく)の手が前に置かれた菓子器(かしき)に伸びる。  菓子器(かしき)には、透き通った色とりどりのグラデーションが美しい、(にじ)のような羊羹(ようかん)()り付けられていた。 「(めい)は、” 希望 ” と付けさせて頂きました。一つ一つが、短冊(たんざく)のように見えましたので」 「希望か……。短冊など、子供の頃以来書いたことはないが」  七夕の短冊には、様々な夢や希望が満ち(あふ)れている。(にじ)()したこの羊羹(ようかん)一切(ひとき)れが、短冊のように見えるというその感性が、理解できるような気がした。  玻璃(はり)水差(みずさ)しから湯杓(ゆしゃく)(すく)った水を、コポポポと音を立てながら(かま)()す音は、並ぶ客人方の耳に(りょう)を運ぶ。  シャシャシャシャと軽快な茶筅(ちゃせん)の音を楽しみ、かすかに鼻腔(びこう)をくすぐる茶の香りに、心を(なご)ませた。  差し出された夏らしい平茶碗(ひらぢゃわん)の中には、綺麗な満月が立っている。  通常の茶碗と違い、口が広く高さが浅いこの茶碗は、茶を冷ましやすい形をしている。(ゆえ)夏茶碗(なつぢゃわん)とも呼ばれた。 「ご主人様、如何(いかが)ですか?」 「どうぞお()し上がり下さい。お次客(じきゃく)様には替茶碗(かえぢゃわん)で、お三方様(さんかたさま)からは水屋(みずや)よりお運び致します」  正客(しょうきゃく)は茶碗を手前(てまえ)に引くと、次客(じきゃく)に「お先に」と挨拶をする。茶碗を持ち上げおし(いただ)いてから正面を(はず)し、口を付けた。  一口含めば、抹茶の芳香(ほうこう)がふわりと広がる。 「おつまりいかがですか?」 「結構なお(ふく)でございます」  5感を()()ませて楽しむそのひと時は、とても贅沢(ぜいたく)な時間だ。  亭主は感想を聞き終えると、使った湯水を捨てるために使う建水(けんすい)の下に用意してあった替茶碗(かえぢゃわん)を手にし、再び茶を()て始める。  迷いのないその所作(しょさ)は、流れるようだった。
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