居場所

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 ・・・  あれから、七十年近く経つ。  にもかかわらず、和子の中では未だに鮮明に残っている記憶だった。今、目の前にいる黒猫に助けてもらった思い出は、彼女にとってかけがえのないものだ。 「やっぱり、夢じゃなかったのね」  呟くように言った。  幼い和子は、村に帰った後、森の中での出来事をみんなに話した。が、誰も信じてくれなかった。お前は夢でも見ていたのだよ、と大人たちは笑いながら言った。  もっとも、和子はずっと信じていた。自分の見たものは夢ではなく、現実だと。  そして今になり、自分が正しかったことが証明されたのだ── 「あの時のお礼がまだだったわね。助けてくれて、ありがとう」     ペこりと頭を下げる。すると、ミーコはぷいと横を向いた。 「ふん、別にお前を助けたわけじゃないニャ。あの時は、暇だっただけだニャ。ちょっと暇つぶしに、バカな小娘をからかってやっただけだニャ」 「ふーん、そうだったの。で、今日はわざわざ何しに来たの?」  尋ねたが、ミーコは無視して毛繕いを始める。傲慢ささえ感じられる態度だが、和子は不快にはならなかった。むしろ、微笑みながら黒猫の動きを見ている。  不意に、ミーコが顔を上げた。 「小娘、お前はここに残る気かニャ?」 「うん、残るよ」  答えた途端、ミーコの口からため息のような音が漏れた。 「お前は、昔からアホだったニャ。そのアホは、今も続いているようだニャ。お前のアホは、死ななきゃ治らないようだニャ」 「違いますう。アホ言う方がアホなんですう」  口を尖らせて言ったが、ミーコはじっとこちらを見ている。その瞳には、先ほどまでとは違う感情が浮かんでいる。  和子は黒猫から目を逸らし、家の中を見回した。木造の平屋に、様々な物が置かれている。どこにでもあるようなものだ。高級品などない。  でも、そのひとつひとつに思い出がある。 「あなたには、わからないでしょうね。人間はね、長く生きていくうちに大切な思い出がいっぱい出来るの」 「そうかニャ。あたしには、その思い出が重くなりすぎて、お前の足かせになってるように見えるニャ」  ミーコの言葉に、和子は笑みを浮かべた。確かに、その通りなのだろう。 「ふふふ、そうかもしれないね」  言った後、和子はもう一度家の中を見回した。  ややあって、口を開く。 「ここにはね、私の思い出がいっぱい詰まってる。私の住む場所は、ここだけ……そう決めて、今まで生きてきた。人間はね、生まれる場所を選ぶことは出来ない。でも、最期の居場所を決める権利くらい、あってもいいんじゃない?」  和子の言葉を聞き、ミーコはふんと鼻を鳴らした。 「そうかニャ。だったら、勝手にすればいいニャ。まったく、お前は昔から意地っ張りだったからニャ。言っても聞かないだろうしニャ。それに、あたしの知ったことでもないニャ」  そう言うと、ミーコはひょいと飛んだ。軽々と縁側に上がり、とことこ近づいて来る。 「小娘、缶詰がもうひとつ残ってるはずだニャ。さっさと開けろニャ」  その態度に、和子は思わず苦笑する。 「何よ、よこせっての? だいたい私は、小娘なんて呼ばれる歳じゃありませんよ」 「ふん、二百年生きてる化け猫さまから見れば、お前なんか小娘だニャ。だいたい、せっかく訪れた客に、ご馳走も出せないのかニャ? お客をもてなすのは、家の主人の務めだニャ」 「わかったわよ。もう、わがままなんだから」  笑いながら、彼女は鯖味噌煮の缶詰を取り出す。缶を開けた後、皿の上に中身を盛りつけた。 「はい、召し上がれ」  皿を差し出すと、ミーコは無言で食べ始めた。目を細め、とても美味しそうに味わっている。その姿は可愛らしく、見ている和子の表情も(ほころ)んでいた。  が、彼女はあることを思い出す。 「ミーコ……あんた、ここにいて大丈夫なの?」  尋ねると、ミーコは顔を上げた。 「あたしは三百年も生きてる化け猫だニャ。お前ら人間と一緒にするニャ」 「そう」  言った後、彼女の表情が真剣なものになる。 「今日、あなたに会えて本当によかった。来てくれて、ありがとう」 「ふん、お前なんかに会いに来たわけじゃないニャ。偶然、ここらに寄ったら、周りに誰もいなくて面白くないから、ここに来ただけだニャ」  ミーコは鯖を食べながら、憎まれ口を叩く。  その後、和子とミーコは語り合った。まるで、古くからの親友のように。  暗くなった部屋の中で、微かな寝息が聞こえていた。和子は、ちゃぶ台の上に顔を載せ眠っている。その顔は、とても幸せそうだった。久しぶりに他者と会話が出来て、よほど楽しかったのだろう。  ミーコは、そんな彼女の寝顔をじっと見つめる。  しばらくして、目を逸らした。その動きは、どこか寂しげであった。  次の瞬間、黒猫の姿は消えていた。  既に夜の(とばり)が下り、空には星が輝いている。その星明かりは、和子の家にも届いていた。  いや、届いている……などという生易しいものではない。今夜の星の光は異様であった。  やがて、ひとつの星がどんどん輝きを増していく。輝きとともに、大きさも増していった。  その星は、真っすぐ降っていく……そして、大地に衝突した。  次の瞬間、膨大な量のエネルギーが解放される。周囲数十km四方にあるものは、全て消し飛んだ。
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