船上のスピカ

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掘削船(ドリルシップ)『たいよう』。 全長二百十メートル、幅約四十メートル。搭載可能人員二百名。 船体中央部には約百二十メートルの巨大な掘削やぐらがそびえ立ち、そのむこうには三十人乗りの大型ヘリも離発着できるヘリ甲板が見える。 機械油と潮の香りの混じった風がゆるく頬を撫でた。 俺はごちゃごちゃ並ぶ機器類やら、鋼管(ケーシングパイプ)が積まれた甲板を歩きながら作業服の襟元を開く。 ――あーあ、いいなぁ。正直、私はカイくんが羨ましい。だって同じ会社にいたって、私は事務方だから、絶対に『たいよう』になんて乗せてもらえないもん。 ふと一ヶ月前のあの夜、綾が俺に最後に放った言葉が脳裏をよぎった。 そうか、こいつはずっと悔しかったのか、とあの時俺は初めて綾の本音を理解した。 会社に入った当初、一律に机を並べて研修を受けていた同期生も、その後進む道はそれぞれちがっている。 望むと望まざるとに限らず、後戻りは不可だ。 誰の人生でも時間だけは平等に過ぎ去っていく。 (だけど木下は……現実から目をそらしてなかったな) そうだ。あいつは文句一つ言わず、ただひたすら今、おのれのやるべき最善をつくしている。 (女なのに格好いいよな、木下は) それにひきかえ、あの夜の俺は情けなかったよなぁ、くそ。 伸びた無精髭に手を当てた。 疲労困憊していたとはいえ、いつまでも弟のことで、ぐじぐじメソメソと。 同期とはいえ木下は年下、俺は男で兄貴だろうが。 (畜生、負けてらんねえ。俺ぁここからだ、ここから) 「もう忘れねえよ。俺は、いろいろ背負ってここに立ってるって……」 なあ敏也、そうだろ、と空を見上げる。   青く明るく光る真珠星(スピカ)。 敏也の笑顔が胸に浮かぶ。顔中がクシャクシャになる、いつもの陽気な笑い方で。   ――俺も応援してるから。夢、叶えろよな。正兄(まさにい)。 「っせえよ……おまえに心配されなくったって、もう大丈夫だっつーの……」 先ほどまでまばゆいほど輝いていた満天の星たちは、そろそろ力を失い始めている。 東の水平線がわずかに白い。 こうしてどでかい太平洋のただ中にいると、地球は確実に回っているんだな、と実感する。 もうすぐ明日という名の新しい一日が、また、始まる。  一度すぎ去れば二度とは戻らない――かけがえのない二十四時間が。 ――カイくんは選ばれたがわの人なんだから。私のぶんもがんばってよ。朗報、期待してる。 (そういや、まだ木下に連絡してなかった) 俺ははっとしてヘルメットに手をやった。やっべえ。井戸は一度掘り始めたら止まらないし、興奮して、すっかり約束を忘れちまってた。 (ま、成功とは言っても、まだ道半ばってとこだが……木下なら、今の状況もわかるだろ) まだこの先も越えなくちゃならない山はたくさんある。 頼むから、このままうまく行ってくれよー、と巨大なやぐらを見やる。 連絡した直後にトラブル発生だけはやめてくれよな。いかにも格好悪りぃ。 (……そうだ、船を降りたら) 木下だって色々抱えてるみたいだし、愚痴吐かせてやるか。この間の借りもあるし。本社に戻ったら、今度はこっちから(メシ)に誘ってやろう。 次の交代時間までまだあるな、と研究区画の入り口にかかった時計を見やる。 仮眠して(メシ)を食って、携帯をいじるには十分だ。 「てなわけで、俺はよろしくやってっから」 挑むように唇の端をつり上げ、星空を見上げると、青い星はまだ静かに瞬いていた。 俺は満足すると、すっかり凝った首をこきこき鳴らしながら、ほの暗い甲板を後にした。          了
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