船上のスピカ

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なんだ、このふんわりとした卵は。味噌汁は赤味噌でだしが効いているし、付け合わせのフキノトウのあえ物なんか、香りといい澄んだ塩味といい、絶品じゃねーか。 「なあ、ビール追加してもいいか」 「ええー。寝不足なのに、アルコール大丈夫? 電車で寝過ごすよ」 おまえは俺のお母さんか。 「一杯だけだし。つきあえよ」 俺おごるからさ、と言うと綾は困ったように目をそらした。 「うーん、そういうつもりで誘ったわけじゃないんだけどな」 そういうつもりって、どういうつもりだよ。俺は店員に生ビールを二杯注文し、綾は恐縮しながらも、冷えたグラスを一気に半分飲み干した。 「ぷは。うまっ」 「……親父(オヤジ)だな、木下」 「だから、そういうこと言わないの。それよりさ、カイくんの仕事の話、してよ」 「おまえなぁ……」 俺は思わず脱力してしまう。 「俺は機中でも仕事してて、戻ったら机の上は書類の山で、やっと今、解放されたところなんだが?」 「だってカイくん、メタハイ担当でしょ。今、どういう状況なのか知りたいんだもーん」 綾は急に瞳を輝かせると、ずいと身体を乗り出してきた。 「メタンハイドレート、通称『燃える氷』。資源に乏しい日本の、救いの手になるかもしれない夢の自国産天然ガス――それがこの冬、本格的に採掘段階に入った――なんて、オイルマンなら血が騒いで当然っ。あ、私はオイルウーマンだけど!」 「お、おい木下、声でけーよ。落ち着け」 俺は思わず綾の肩を叩いてとめた。 なんなんだ、おまえは駅前でテレビのインタビューに答えるおっさんか。 ビール一杯で酔っ払えるなんてうらやましい。 「あ、ごめーん、つい。でもカイくんこの間、掘削船(ドリルシップ)に乗ってたでしょ。駿河湾、何週間だっけ? 採掘試験したんだよね」 「おまえ……そんなの興味あんのかよ」 「あるよっ。あたりまえじゃん。せっかくこの職についたのにさー、総務にいると書面ばっかりで、現場、全然わかんないんだもん」 頬をはんなり桜色に染めて、綾がこちらをにらんだ。 こいつ本当にエネルギー馬鹿なんだな、と俺は苦笑した。 メタンハイドレートは、メタンガスが水と混じりシャーベット状になった状態で、海底の地層に眠っている。その埋蔵量は、日本のエネルギー消費量、数十年分とも試算されている。 起死回生の、一発大逆転。 たしかに化石燃料の九割近くを外国に依存する日本が、ある日突然、資源国になったら。 ――きっとこの国は一変する。 そんな壮大な夢を、可能性を、メタハイ開発は秘めている。 「で、どうだった? 成功したの?」 「えー……秘密」 「ええー?! なにそれ、けち」 「目下、色々、苦労してんの」 「ふーん。そこをなんとか。もうちょっと話してよ」 「……おまえ、ホントそういう動機で俺を誘ったんだ」 「うん。なんで? あ、ごめん期待した?」 いいやと俺は首を振った。 会社に入ってから、その手の誘いも受けはした。でも正直言って今は、色恋に割くような時間や精神的余裕はない。
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