2.火傷の痕の男

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2.火傷の痕の男

 園山詩織は睨み付けていたパソコンから視線を外して両腕を天井に向けて伸ばした。 ここは三軒茶屋にあるデザイン事務所、Fireworksのオフィス。 部屋の掛け時計が午後9時半を回った。徹夜の残業には慣れていても、そろそろ帰宅しないと肌が荒れてしまう。  彼女は向かいの席の男を見る。数秒間、じっと。 彼を見ているといつも思うことがある。彼は生きているのだろうか、と。 血色のない白い頬、光の宿らない切れ長な瞳、口数の少ない笑わない口元。 そして触れると温かい手。 「ねぇ、(そう)」 職場では苗字で呼ぶ彼のことを詩織は自分だけの特別な感情を込めて名前で呼んだ。詩織に呼ばれた赤木奏は鉛筆を握り締めてスケッチブックに何かを描いている。 『何?』 「今やってるデザインのインスピレーションが降りてこないの。このままだと来週のクライアントとの打ち合わせに間に合わない」 『俺には関係ない』 「関係ある。私にインスピレーションを授けて」 『どうやって?』  赤木は絵を描く手を止めない。詩織を見ようともしない。業を煮やした彼女は席を離れて赤木の後ろに回った。 「こうやって」 スケッチブックに向く赤木の顔を両手で包んでこちらに向け、彼女は彼にキスをした。キスをされても赤木は無表情に詩織を見つめるだけだ。 『これでインスピレーションが降りてくる?』 「降りる。恋愛は芸術家にとって最高のインスピレーションよ」 詩織の甘ったるい誘惑に赤木は呆れの視線を送り、スケッチブックのページをめくった。 『久しぶりに裸婦(らふ)でもやるか』 「やるなら私を描いて。奏のミューズは私でしょう?」 『わかったから。早く脱いで』 「脱がして欲しいなぁ」  夜のデザイン事務所、今ここにいるのは赤木と詩織だけ。赤木は肩を竦めて立ち上がり、詩織を抱き寄せた。 「奏の手先の器用さは女を口説く時にも使えるのよねぇ。この手で何人の女を落としてきたことか。私も奏のこの手に落とされた女のひとりだけれどね」  ブラウスのボタンを外す赤木の手に詩織は触れる。男性にしては細く長い彼の指と自分の指を絡めて彼女は微笑んだ。 詩織と繋がれた赤木の右手の甲には甲の半分を覆い隠す大きな火傷の痕があった。
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