10

1/1

630人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

10

 こっちに来て、と連れてこられたのは長机とパイプ椅子しかない簡素な部屋だった。会議とか来客とかそういう時に使うような類の部屋のようで、なんだか落ち着かない。  俺なんかが入っていいのかと少し迷ったが、臣はそんな事を気に留める様子もなく椅子に座り、バッグからカレーを取り出した。  臣から座るように促されてから、ようやく俺は手前にあった椅子に腰を掛けた。 「ずいぶんたくさん持ってきてくれたんだね」  臣はカレーの入ったタッパーの蓋を開けながら、吹き出すのを堪えてるみたいな顔で俺を見た。  普段ほとんど家事を手伝わない俺には、ちょうどいい大きさのタッパーがどこに収納されているのかわからず、やっと見つけたタッパーは何を入れる為に使うのか検討もつかないような道具箱みたいな大きさで、とにかく俺はそれにカレーとご飯と残りのポテトサラダを全部詰めて持ってきた。詰めながら普段の一人前よりは多いかな、と薄々感じてはいたけど、どうやら大分多かったらしい。俺はそんな失敗がバレるのが恥ずかしくて、それしか入れ物がなかったと嘘をついた。  臣はどこからかプラスチックのスプーンを取り出し、タッパーの蓋の上にご飯と少しのカレーとポテトサラダを盛りつけた。  てっきりそっちが俺の分かと思っていたら、大きな容器の方を俺の前に置いた。 「そんなんじゃ足りないだろ。こっち食えよ」 「足りなくなったらまた貰うからいいよ」  一緒に食べるなんて予想もしてなかったから仕方がないけど、これじゃまた臣に借りを作るみたいな気がして嫌だった。  無理やりにでも取り替えてやろうと思ってタッパーに手を伸ばすと、臣はその手を押さえ、さっさと食べ始めてしまった。基本的には優しいが、こうと決めたら頑固だ。  俺は渋々カレーにスプーンを沈めながら、さっきまで臣と親しげに話していた女の人の事を思い出していた。他にも人いるんだろうか。なんとなしに周りを見渡し、耳を潜め、何か物音がしてやしないか、気を張った。 「朔ちゃん、何をそわそわしてるの?」  臣がきょとんとした顔で俺を見る。 「俺、ここにいていーのかなーって。怒られない?」 「大丈夫だよ。今は僕たちしかいないし」  そんなこと気にしてたんだ、と臣は笑いながら言った。  俺達だけということに少しだけほっとして、俺はまたカレーを口に運ぶ。一人で食べていた時とは違って、母ちゃんの作ったカレーの味が今度はしっかりと口の中に広がった。ほっとひと息つきながらカレーを味わっていると、視線を感じる。顔を上げると臣が俺をじっと見ていた。その口元は緩みに緩みきっている。 「なんだよ」 「幸せを噛み締めてる」  臣はふっふっふっと怪しげな笑み(俺にはそう見える)を俺に向けた。 「一緒にカレー食ってるだけじゃんか」  そう言った俺に「朔ちゃんも、いつかわかるよ」と含みのある言い方をした。  俺は場の空気を変えたくて、全然関係のない質問をすることにした。 「さっきの人さ、女の人。仲良いの?」 「え?あぁ、マキさんのこと?んー別に普通だよ」  そうは言うけど、職場の人を名前呼びしてる時点で仲いいと思うんだけど。しかも女の人を。 「綺麗な人だったな。役所にいたら目立ちそうなのに、全然知らなかった」 「マキさん、中途採用だからね。最近入ってきたんだよ」 「へぇー」 「すごく気が利くし、しっかりしてるから助かってるんだ」  臣の口から女の人の話題が出るなんて、ほとんど初めてだと思う。あれだけの美人、一度見たら忘れなさそうだけど、でもなぜかどこかで会ったことがあるような気がした。  臣の話に相槌を打ちながら、そういえば、と思い至る。 「臣さ、明日仕事あるの?」 「休みだけど?」   明日は金曜日。役所は土曜日休みのはずだ。でもマキさんはさっき、また明日、と言っていた。臣とマキさんは会う約束でもしているのだろうか。さっきの様子からして親しそうだし。もしかしてデート……。 「朔ちゃん、どうしたの?急にだまっちゃって」  臣は俺の顔を覗き込みながら言った。  なんでもない、そう答えつつも、俺の頭の中では臣とマキさんが仲睦まじくデートしている様子がありありと浮かんでは消えていった。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!

630人が本棚に入れています
本棚に追加