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 佐伯さんとは次の週の日曜日に約束をして、グラスの手作り教室に行った。教室はあの時、この先はラブホ街だと行っていた道のちょうど手前にあった。知らなかったら素通りしてしまうような、数人程度しか入れない小さな工房だった。  佐伯さんは他校に彼氏がいるらしく、もう一年以上の付き合いになるらしい。これから受験でなかなか会えなくなるから、手作りでお揃いの物を渡したいのだと言っていた。  それを聞いて驚きはしたが、がっかりはしなかった。数週間前まで、きっと俺は佐伯さんに恋をしていたに違いないのに、何の感慨も沸かない自分にびっくりしている。  手作り教室を出ると、辺りはすっかり夕闇に包まれていた。駅で佐伯さんと別れ、電車に乗り込む。電車に揺られながら徐々に顔を出していく月を見ていたら、なんだか無性に臣に会いたくなった。  電車に乗っていても、街を歩いていても、いるわけないのに臣を探してしまう、会いたいなんて言えるはずがない。俺があの時ちゃんと臣の話を聞いていれば、こんなふうにはならなかったんだから。割れてしまったグラスは元に戻らないし、俺が代わりの物を作ったところでどうだっていうんだ。  臣にちゃんと謝りたい。勝手に勘違いして嘘つき呼ばわりしてごめんって。臣はきっと怒ってるよな。許してくれないかもしれない。愛想を尽かされたかも、もう笑いかけてもくれないかもしれない。じわじわと目の奥が熱くなってくる。  最寄り駅に着いてもまだ、何かの拍子で涙が溢れてきそうだった。どうして俺は臣を信じることができなかったんだろう。  たった一回の過ちで全部裏切られたみたいに思ってしまった。裏を返せば、今までの臣はそれだけ誠実だったって事だ。自分が子供だったんだ。  臣に会いたい。いつもみたいに笑って欲しい。それだけでいい。そばにいてくれるだけで……。  勝手に疑って、突き放して、今度は会いたいと言って泣く。我ながらガキ過ぎて逆に笑えてくる。見上げた空にぽっかり月が浮かんでいる。臣もどこかで見ているだろうか。  視線をもどした先に、見慣れた人影を見つけた。少し俯き加減で歩くあの癖は間違いない。 「臣!!」  叫んだ声に臣は一瞬立ち止まり、振り返ろうとしてまた歩き出す。さっきよりも早歩きで逃げるように去っていく。俺は焦って臣を追いかけた。ここで逃がすわけにはいかない。 「臣!待てよ!」  そう言った瞬間、臣は急に立ち止まった。止まりきれなかった俺は臣の背中に思いっきり突進してしまう。  どすん、と鈍い音がして二人とも地面に倒れた。  「いってぇ、急に止まるなよ」 「朔ちゃんが止まれって言った」  背中に手を当てて臣は言う。 「なんで逃げんの」 「それは……、朔ちゃんが顔も見たくないって言ったから」  臣は俺から顔を背けて答えた。 「言ったけど……」  気まずい沈黙が流れる。 「俺、誤解してた。マキさんのこと。佐伯さんから聞いたんだ。マキさんが結婚してる事も、グラスの事も……」  臣は視線を外したまま頷いた。 「グラス、割っちゃってごめん。お詫びになるかわかんないけど、今日佐伯さんと作って来たんだ。完成するのは一週間後だからまだ渡せないけど……」  臣は表情を変えずに話を聞いている。やっぱり怒っているみたいだ。 「あ、こ、これで許して貰おうなんて思ってないからな。俺なりの、その、けじめっていうか」 「朔ちゃん、ごめん、なんの話?」  臣は困ったように笑った。本当にわかっていない様子だ。 「いや、だから、この前会ったとき臣が持ってた紙袋の中身の話だよ。落として割っちゃっただろ?あれグラスじゃないの?」  臣は考えるような仕草をしてから、あぁ、と思い出したように手を打った。 「違う違う。お煎餅だよ」 「は?せんべい……?」 「あの工房の近くに老舗のお煎餅屋さんあったでしょ?割れせんが安かったからいっぱい買ったんだ。たぶんそれじゃないかな。元から割れてるやつだから大丈夫」  笑いながら臣は俺の肩に優しく触れる。情けないことこの上ない。俺の早とちりで臣にすごく嫌な思いをさせてしまった。 「俺、臣がマキさんといるとこ偶然見かけたんだ。一緒に出掛けたり、名前で呼ぶくらい仲良くしてる人なんていたことなかったからさ、焦ったんだ。臣が取られるって思った」  そうだ、俺は焦ってた。冷静じゃなかった。最初からちゃんと聞けばよかったのに。現実を突きつけられるのが怖くて、逃げてたんだ。 「そんなの僕だってそうだよ。朔ちゃんが他の誰かに取られちゃうかもって怖かった。だから焦って、あんな事した。本当はちゃんと段階踏むつもりだったんだ。怖がらせちゃってごめんね、童貞なのに……」  いつもの温厚フェイスと童貞というキーワードのミスマッチさに消化不良を起こしそうだ。たぶん俺は臣をどこか神聖化して見ているのかもしれない。だからこういう拒否反応が出てしまうんだと思う。 「僕が朔ちゃん以外を好きになることなんてない。朔ちゃんしかいないもん」  そして急に純情が顔を出してくるからリアクションに困る。引いたり惹かれたり、感情がジェットコースターみたいに上がったり下がったりする。 「それとね、朔ちゃん、もう一個誤解してるよ」  これ以上俺は何を誤解しているっていうんだ。困惑顔の俺を見て、臣は口の端を上げる。 「マキさんの名前。本名は牧友美さん。牧は苗字だよ」  自分のアホさ加減に、本気で呆れてため息が出る。確かめればすぐわかることなのに。  臣は口元を手で隠しながらクツクツと笑った。
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