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5
「朔ちゃん、昨日のこと本当にごめんなさい」
部屋に入るなり、臣は頭を下げた。
さっそくだけど今日から見てもらいなさいね、という母ちゃんの一声で俺達は揃って部屋に押し込められ、妙な空気が漂う中での発言だった。
「俺も、殴ったりしてごめん」
「ううん、僕が悪いんだもん。朔ちゃんが謝ることじゃない」
表情も態度も今日はいつもの臣だ。
「朔ちゃんに好きな人ができたのかと思って、焦っちゃって。今までそんなことなかったし、気が動転して……。驚かせたよね。本当にごめんね」
申し訳なさそうに何度もごめんと繰り返す臣を見て、許さないと思っていた決心が揺らぐ。こんなに謝っているんだし、それに被害があったわけでもない。俺をだって、今までの関係がたった一回の失敗で失くなるのは嫌だ。
「もういいって。昨日は俺も酷いこと言ったんだし。おあいこにしようぜ」
そう言うと臣は安心したように微笑み、頷いた。
臣が俺に対してどんな感情を抱いているのか気にはなるけど、蒸し返してまた変な空気になっても嫌だし、しばらくは吉永の言うとおり様子を見ることに決めた。俺にとって臣はどうしたって大切な存在だし、そうするのが最良の選択だと思えた。
中間テストの答案と問題用紙を交互に見ながら、隣に座る臣はふふっと笑う。
「朔ちゃんはひっかけ問題全部にひっかかるよね」
俺は何か言い訳しようとしたが「だって」と言った後で二の句が告げずに黙りこんだ。ひっかけ問題がひっかけだと気付けないのは事実なのだから、文句の言いようがない。
「素直なのは良いことだけど、時には疑わなきゃね。もしかしたら騙されてるのかも、って」
臣は俺の目を見つめて言う。ひっかけ問題の事を言ってるんだと思うけれど、その言葉の裏に別の意味があるんじゃないかと感じた俺は、臣から少しだけ体を離した。
俺の不自然な行動にさすがの臣も気付いたらしく、何も言わずにテーブルの真向かいに移動した。表情からは何も読み取れないけど、なんだか胸が痛んだ。
「朔ちゃん、ちょっと聞いてくれる?」
臣が俺のペンを持つ手に自分の手を重ねた。一瞬にして昨日の事が蘇り、とっさに手を跳ねのけてしまう。
臣の驚いたような、困ったような顔を見てまた胸が傷んだ。別にこのくらいの接触、今までだっていくらでもあったのに。
少しの沈黙のあと、臣は「もうわかってると思うけど、ちゃんと言わせて」と、真剣な顔で切り出した。
その瞬間、心臓が鼓動を強くした。向かいに座っている臣にまで気づかれそうなくらい、心臓の音がけたたましく鳴り響いた。
「朔ちゃんの事が好き」
臣はそう言って頬を赤らめ、困ったように目を伏せた。この顔はいつも恋愛ネタを振られた時の顔だ。
「好きって……俺、男だぞ」
「わかってるよ」
「……いつから?」
「初めて会ったときから」
あぁ、やっぱり予想通りだった。当時十七歳の男が子供相手に恋愛感情を抱くって普通じゃない。変だよ。
「あの頃の朔ちゃん可愛かったなぁ。天使みたいだった。あ、もちろん今も可愛いよ」
臣はそう言って、ふにゃと力なく笑った。
「信じらんねぇ。相手は子供だぞ」
「だから我慢してたんじゃない。本当に長かったよ。でももうすぐそれも終わりだよね」
臣の顔が恍惚としてくる。まずい。昨日と同じ顔になっている。目が血走ってる。
「どんなに朔ちゃんを好きでも、法を犯すことは出来ないし、今度の誕生日で朔ちゃんは晴れて十八歳。僕たちの関係は合法化するんだよ!」
徐々にテンションが上がっていく臣を見て、俺は思わず後ずさった。
「ちょ、ちょっと待て!俺達の関係ってなんだよ!ただの幼馴染だろ!?」
そう言うと、臣は何言ってんの?とでも言いたげな顔で「そうだけど、朔ちゃんも僕のこと好きでしょ?」と言った。
「好きって……。そりゃ好きだけど、そういう好きじゃない!」
臣は突然自分のバッグから財布を出し、そこから丁寧に折りたたまれた紙を開いてみせた。元は白かったであろう紙の色は、経年を感じさせる色に変わっている。
「これ。僕が十八歳の時の誕生日に朔ちゃんがくれた手紙だよ」
渡された紙には「臣へ いつもありがとう。大すき!」と子供らしい拙い文字で書いてあった。
「なんだこれ」
「朔ちゃんがくれた初めてのラブレターだよ」
言いながら臣はポッと顔を赤らめた。
「ちっげぇよ!子供の大好きに、そんな深い意味ねぇから!」
臣はさっと表情を変え、突然黙り込んだ。その目に光はない。
「それじゃあ、僕の勘違いだったってこと?朔ちゃんは僕のこと好きじゃないの?嫌い?」
今にも泣き出しそうな声で臣が言う。
「嫌いじゃねぇよ」
「じゃあ好き?」
さっきからなんなんだこの問答は。嫌いか好きかしかねぇのかよ。
「好きといえば好きだけど、恋愛感情じゃないんだって」
「そう……なんだ……」
項垂れている臣にかける言葉が見つからない。俺は女の子が好きだ。それはずっと変わらないはずで、だから俺がしてやれることは何もない。臣には悪いけど、このまま諦めてもらうより他はない。
「でも好きってことはチャンスはあるよね?」
「はい?」
臣はそばまでやってくると、目をキラキラさせて俺の手を握った。振り払おうとしても力が強くて振り払えない。
「お、お前、話聞いてたか?」
「嫌いじゃないんでしょう?なら僕と付き合いたいって思って貰えればいいんだよね!」
話の展開についていけない。なんなんだこの暴走機関車は。
「俺は男と付き合う気ねぇって。無理」
「付き合ったこともないのに何でわかるの」
「だって付き合ったらその、キスとかエ、エッチとかするだろ!男となんて絶対できない」
「できたら?」
「え?」
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