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 テスト期間も終わり、今日がテスト返却の最終日だった。最後に配られた教科は平均点ギリギリだったものの、前回の点数からすると大幅アップだ。どの教科も目に見えて良くなっている。答案用紙を受け取る時、教師から「頑張ったな」と声を掛けられることも何回かあった。  吉永からは「ずりぃぞ」となじられたが、これは単なる運ではなく、努力の結果だと言うことを強調して反論した。まぁ、大半は臣と臣が作ってくれた特製問題集のおかげだけど。  家へ帰ると、すぐさま手を差し出した母ちゃんにテストを手渡すと「やっぱり朔太はやればできるんじゃない。さすがは私の子だね」と言いながら、子供にするみたいに俺の頭をぐりぐりと撫でた。  「臣くんに頼んで良かったわ」と、母ちゃんは満足そうに答案用紙を眺める。あの一件について、どうやら母ちゃんは何も気付いていないらしい。息子があんな目にあって、喜ぶ親などいない。  それはそうと、てっきり臣も一緒に待ち構えていると思っていたのに、その姿はない。  そんな俺を見て母ちゃんは「臣くん、今日も仕事が忙しくて遅くなるって」とため息をついた。テストが始まってからここ数日、臣の残業が続いている。時々残業してくる事はあったけど、これほど連日続くのは珍しい。  そう思っているのは母ちゃんも同じらしく「朔太の勉強、随分熱心に見てくれてたけど、無理させちゃってたのかしら」と思わずギクリとするようなことを言われ、何も言えなくなる。  「臣くんが帰ってきたらカレー温めてあげてね」そう言い残して母ちゃんは夜勤に出かけた。残された俺は一人分のカレーを皿に盛り、夕食を取り始めた。  ボーッとテレビを見ながら、俺がこうしてカレー食ってる間も臣は仕事してんのかな、と思うと、途端に味がしなくなるような気がした。俺のせいじゃない、と後ろめたさを見ないふりして、カレーをどんどん口に運ぶ。  ふと、昨日のポテトサラダが残っている事を思い出して冷蔵庫の扉を開けた。きれいにラップがかけられている。そういえば臣は母ちゃんのポテトサラダ好きなんだよな、とまた臣の影がチラついて、必死で考えないようにする。  でも人というのは考えないようにすればするほど、考えてしまうようで、俺は気が付いたらカレーを温め直し、ご飯とポテトサラダをタッパーに詰めていた。  役所までは家から自転車で二十分、熱々は無理でも暖かいカレーが食べられるはずだ。ずっしりと重たい一人分の夕食をカゴに乗せて、俺は自転車に飛び乗った。  きっかり二十分自転車を漕いで役所に辿り着くと、薄暗い建物の中で一箇所、明かりが付いているのが見えた。自転車を止め、汗ばんだ体にシャツを仰いで風を送りながら、玄関口まで歩いていく。当たり前だが玄関の扉は閉まっていて、引っ張ってみてもガチャリと音が鳴るだけだった。  何も連絡せずに来てしまったけど、臣は本当に中にいるんだろうか。今更そんな心配をしながら、外から中の様子が見えないかと建物を回ってガラス窓から覗き込む。すると奥の方から人が歩いてくるのが見えた。臣だ。気付いてもらおうと手を振ろうとすると、さらにその奥からもう一人、女の人が姿を表した。俺は振り上げた手を急いで下げ、二人から見えないようにガラス窓の下に体を引っ込めて、顔だけを出して様子を伺う。  女の人が臣を呼び止め、二人で連れ立ってこっちへ向かって歩いて来た。 「げ、こっちに来るっ」  見つからないよう窓の下に体ごと隠れて、息を潜める。物音を立てないようにゆっくりと息をしながら、一体何をやってんだろう、と惨めな気持ちになってくる。別に隠れる必要なんてないじゃないか。腹が減ってると思って夜食持ってきた、と言えば済む話なのに。なんで隠れてるんだろう。でもなぜか、二人が仲良さそうに話をしてるのを見た瞬間、体が勝手に動いてしまっていた。 「朔ちゃん……?」  突然背後から呼びかけられて、うひゃあと情けない声が出た。 「な、なななんで、なんでわかっ……!」 「あれだけ大胆に自転車止めてあったらわかるよ」  臣は駐輪場を無視して建物の前に堂々と放置してある自転車を指差して言った。  だって夜だし誰もいなかったし、と言い訳しようとしたところで、綺麗な声に遮られた。 「臣くん、知り合いなの?」  臣の背後からひょいと顔を出したその人は、さっき臣と話をしていた女の人だ。  「僕の幼馴染の藤森朔太くん」 「あら、そうなの。はじめまして」  声だけじゃなく、見た目も綺麗な女性に声を掛けられ、俺はドキマギしてしまった。  母親と教師以外の大人の女の人と話す機会なんてないからどう接していいのかわからず、焦ってしまう。 「バスの時間、大丈夫?そろそろ来ちゃうんじゃない?」  臣がそう言うと女の人は腕時計をチラと確認して「あ、本当」と少し慌てた素振りを見せた。 「それじゃ私行くわね。倉持さん、また明日。朔太くんもまたね」  ヒールの踵を慣らしながら女の人が去っていくのを臣は片手を振って見届けると、すぐに俺に向き直って「どうしたの?」と小首を傾げた。 「あの、腹減ってると思って、今日カレーで……」  しどろもどろになりながら、用意してきたカレーとポテトサラダが入ったバッグを臣に渡す。 「持ってきてくれたの?」  臣が中を確認する。 「だって、俺のせいで残業してんだろ。なんか悪ぃ気して……」 「朔ちゃん!朔ちゃん……!!」 「な、なんだよ」 「ありがとぉ」  臣は締まり無い顔で笑いながら、カレーの入ったバッグを抱きしめた。 「……そんなに喜ぶことかよ」 「嬉しいよ。朔ちゃんが僕の為にしてくれることなら何でも」  その時かすかに、胸がきゅっと掴まれるような感覚がした。本物の臣に久しぶりに会えたような気がした。 「ちょうどお腹空いてたから、今食べちゃおうかな。朔ちゃんも一緒に食べる?途中だったんでしょ?」 「……何でわかんの?」  夕飯を途中で切り上げた事までお見通しって、もはやエスパーなのかと疑ってしまう。もしかして、顔にご飯粒でも付いているのかと焦って顔中を手で触って確かめた。  そんな俺を見て臣はくすりと笑い「朔ちゃんのそういう所が好きだよ」と、こともなげに言った。
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