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「朔ちゃん、もうすぐ誕生日だね」  臣は言いながら鰆の煮付けに箸を伸ばした。  いつもと変わらぬ我が家の食卓。目の前に座っている臣は週にニ、三度、おじさんが夜勤の時に家で夕飯を食べていく。そして母ちゃんが夜勤の時は臣の家で夕飯をご馳走になる。  片親同士の俺達家族は、十年前にこのアパートで出会って以来、そんな風に支え合いながら暮らしてきた。親が不在の時はもう片方の親が面倒を見る、そんな習慣は片方の子供、つまり臣が成人して就職した今も続いている。 「まだ一ヶ月以上先だろ」 「こら、朔太!いくら幼馴染でも年上の人に向かってその言い方はなに?ちゃんと敬語を使いなさい」  母ちゃんはそう言って俺の頬をつねった。頬に鈍い痛みが広がる。可愛い息子の顔になんてことをするのか。口と同時に手が出るのは昔からで、朔太はこうでもしないと言うことを聞かないんだから、と高校生の今も子供の頃と同じように俺を躾けた。  黙っていれば年の割にそこそこ美人のような気もするのに、見た目に反して中身が完全に「肝っ玉母さん」なのがなんというか、もったいない。 「いいんですよ、美津子さん。朔ちゃんも美津子さんのことも僕は家族みたい思ってるのに。敬語なんて使われるの、寂しいな」  臣はそう言って母ちゃんに微笑みかけた。これぞ臣の必殺プリンススマイル。今まで何人の老若男女をこの微笑みで絆してきたことか。駅前で喧嘩してる酔っ払いや、いちゃもんつけてるおばさんと店員。よせばいいのに臣はそういういざこざに自ら足を踏み入れる。そしていつもなぜか場を和まして円満解決してしまうのだ。  そういう訳で、うちの母ちゃんも例外ではなく、ころりと表情を変えて「臣くんがそう言うなら」と口元を緩ませるのだった。 「ね、朔ちゃん、それで誕生日は何が欲しい?この前パソコン欲しいって言ってたよね」 「臣くんたら、また朔太を甘やかして。いいのよ、そんな事しなくて。朔太もバイトしてるし欲しいものは買えるんだから。お金は自分の事に使ってちょうだい」  母ちゃんは眉根を寄せて大げさに捲し立てる。 「でも……、こんな時くらいしか朔ちゃんにお兄さんらしいことできないから」  そんな事を言いはするが、誕生日以外も卒業、入学なんかの節目や、クリスマス、あとはなぜかバレンタインデーまで何かと理由をつけていろいろと贈ってくれる。父親がいない俺に気を使ってくれてるんだと思うけれど(バレンタインデーは関係ないけど)俺は臣にそういう事は求めていない。 「僕、趣味もないし他に使うあてもないから。まぁ朔ちゃんが喜ぶ顔を見るのが趣味かな」  そう言って今度は俺に微笑みかける。今年で25歳になる男が幼馴染の男にプレゼント渡すのが趣味っておかしいだろ。本当に昔から変なやつだ。 「臣くん、彼女とかいないの?朔太にかまってばっかりで。たまにはデートでもしたらいいじゃないの。すごいモテモテって噂、聞いてるわよ」  その噂は俺も聞いたことがある。臣が駅前の市役所で勤め始めたとき、やたらイケメンがいる、と学校でかなり騒がれていた。確かに綺麗な顔をしてるし、背も高い。さらに物腰も柔らかいと来たら女子が騒ぐのも無理はない。「市役所のプリンス」とアイドル扱いされるのも頷ける。  小さい町だから、というのもあるけど、役所から離れた学校でまで噂になるくらいだから人気は相当なものなんだろう。 「僕はそういうのは……」 「もう!ダメよ!若者は恋をしないと!」  母ちゃんはビシッと臣を指差す。臣はオロオロと困ったような顔で俺に助けを求めた。 「母ちゃんってば、臣は昔からこういう話苦手なんだから。やめろよな」 「あら、でも好きな子くらい、いるでしょう?」  母ちゃんの攻撃が続く。臣はえぇっと、ともじもじしながら頬を染める。出会った頃から臣はこんな感じだ。普通の話はできるのに、恋愛が絡みだすと突然ショートしたように会話ができなくなる。母ちゃんも知ってるはずなのにどうしてするかな。 「早くしないと朔太に先越されちゃうわよ。最近怪しいから」  急に矛先がこっちに向かってきて、焦った俺は飲み込もうとしていた味噌汁を盛大に吹き出した。臣が慌ててテーブルの上を拭く。 「は?な、何がだよ」 「見ちゃったもーん。朔太が女の子と歩いてるとこ」 「い、いつ?」 「先週の金曜」  俺はそれを聞いてがっくり項垂れた。母親に見られるなんて最悪過ぎる。  最近、同じクラスの佐伯さんと仲良くなった。隣の席になってから話すようになって、先週の金曜日、初めて一緒に帰ることができた。偶然だったけど。俺だってそろそろ彼女が欲しいし、欲を言えば童貞を捨てたい!このチャンスを逃したくない。 「今度見ても絶っっ対にほっといてくれ」 「それはどうかなぁ〜」  ニマニマと薄ら笑いを浮かべる母親を睨む。これ以上佐伯さんの話題に触れないで欲しい。年頃の男のなんたるかを全くわかっちゃいない。 「もうこの話終わり!臣、上行ってゲームしようぜ」 「う、うん」  声を掛けると臣はいそいそと空になった食器を片付け始めた。 「男の子ってつまんないわねぇ。色気もへったくれもなくて」という母ちゃんのため息混じりの愚痴は聞こえないふりをした。
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