第四章 ~開花する淫蕩の血~

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 シャワーを浴び終えてリビングへ行くと、エイダが朗らかな笑顔で出迎えてくれた。 「やあ、アイヴィー。調子はどう? あんたのためにサンドイッチ作って持ってきたよ。遠慮しないで食べてね」  アイヴィーがいつも美味しそうに食べるので、すっかり気を良くしたのだろう。バスケットには、一人で食べきれない量のサンドイッチが詰められていた。 「ありがとうございます、エイダさん。でも、こんなにたくさんは……。良かったら、おじ様も食べる?」 「ありがとうな、アイヴィー。昨夜から何も食ってないから助かるぜ」  ディランは礼を言ったのち、サンドイッチを手に取って一口食べた。 「アイヴィーが言うならしょうがないね。今日だけはディランにも分けてやるよ」  不承不承といった感じのエイダの言葉に、当然ながらディランは黙っていない。 「何だよ、今日だけはって」 「だってそのサンドイッチ、ディランのために作ったわけじゃないし。あんたも一応は料理できるんだから、自分で食べるものぐらい自分で何とかしなよ」 「あ、あの……二人共、喧嘩しないで……」  アイヴィーが恐る恐る仲裁に入ると、二人は同時にこちらを向いてなぜか陶然となる。 「そうだね、喧嘩は良くないよね。ごめんね、アイヴィー」 「俺も悪かった。だからどうか、そんなに怯えた顔をしないでくれ」 「え? ええ……」  理由はよくわからないが、ひとまず喧嘩をやめてくれたことにホッとする。 「頼まれたことはやったから、あたしはもう帰るよ」 「待て、エイダ。もう一つ頼みがある」 「今度は何?」  ディランに呼び止められ、エイダは訝しげに振り返った。 「アイヴィーに必要なものを買ってこさせようと思っているんだが、お前ちょっと付き合ってやってくれないか? こんな治安の悪い街に、アイヴィー一人だけで外出させるのは不安だからな」 「そう思うんだったら、あんたが一緒に行ってやればいいじゃない」 「俺は掃除や片付けで忙しいんだよ」 「掃除ならあたしが代わりにやっておくよ」 「自分の家の掃除を他人にやらせるかよ。特に相手がお前なら尚更だ」  その後も二人はしばらく揉めていたが、最終的にはエイダが同行してくれることになった。  ディランには色々と文句をぶつけていたものの、いざ買い物に出かけるとエイダは楽しそうに付き合ってくれた。  アイヴィーもまた、姉と出かけているような気分になり、服や下着などの必要なものだけでなく恋愛小説や紅茶、好物の甘い菓子に至るまで大量に買い込んでしまった。  普段は部屋に引きこもっている分、出かけるたびに色々と欲しくなってつい衝動買いしてしまうのである。  一通り買い物を終えたのち、二人はカフェでゆったりくつろいでいた。 「何だか、無理矢理付き合わせてしまったみたいでごめんなさい。エイダさんだって忙しいでしょうに」 「アイヴィーが謝ることないよ、あたしもあんたと出かけて楽しかったし。でも、ディランと一緒じゃなくて良かったのかい? 昨夜、デートには行かなかったんでしょう?」 「いくら相手がおじ様でも、男性と一緒に下着を買いに行くのはちょっと……。それに、デートならまた機会がありますから」 「あんたは何て健気でいい子なの! とても魔界生まれとは思えないよ!」  エイダは感激した様子でアイヴィーの手をギュッと握る。 「それにしても、エイダさんが魔導士の末裔だったなんて、全然気付きませんでした」  この事実を聞かされたのは、つい先程のことである。  彼女はディランの依頼を受けて、あの家にアイヴィー以外の魔族が入れないよう結界を張ってくれたのだ。 「普段は魔力を抑える指輪を嵌めているんだ。周囲にバレると色々面倒だからね。まあ、上位の天使や悪魔にはすぐに見破られるだろうけど」  バーの常連客でもエイダの素性を知っている者は、ディランを含む数名しかいないという。 「ところでエイダさんはいつから、私が淫魔だと気付いていたんですか?」 「最初からだよ。ディランにはさっき、何で黙っていたんだってすごく怒られちゃったけどね」 「最初からわかっていて、どうして私を働かせてくれたんですか?」 「一目見ただけで、あんたがいい子だってわかったからだよ」  エイダは柔和な笑みを向けて、アイヴィーの頭を優しく撫でてくれる。 (私達闇の眷属を恐れない人達が、まだこの世界にいたのね……)  ディランも最初は驚いてはいたものの、忌み嫌ったり恐れたりする様子はなかった。それどころか彼は、アイヴィーを居候させるとまで言ってくれたのだ。  正体を知っても、今まで通りに接してくれる二人に、アイヴィーはますます好感を抱いた。 「それに、あたしから見れば悪魔より人間のほうが、よっぽど質が悪いね」  それからエイダは唐突に、低い声音で吐き捨てるようにつぶやく。  かつてこの人間界では、強大な魔力を恐れた人々の手により、大勢の魔導士が迫害を受け虐殺された。  エイダのように、現代まで生き延びてきた魔導士の子孫も、その力をひた隠しにしながら今の社会で暮らしているのだ。  言葉や表情には出さないが、彼女も過去に相当辛い経験をしてきたに違いない。 「あの、エイダさん。大丈夫ですか?」 「大丈夫だよ、ありがとう。アイヴィーは優しいね。だけど、あたしのことよりディランを気にかけてやって。あのおっさんも色々と苦労しているから」 「おじ様が……?」  ディランにも何か秘密があるのだろうか。  アイヴィーは訝しげに首を傾げるも、エイダは詳しいことを語ろうとしない。 「やっぱりまだ聞いていないのか。でも、近いうちにきっと話してくれるんじゃないかな。それまで気長に待っててやって」 「はい」  気にはなるが初対面の時も、ディランはアイヴィーの素性について詮索してこなかったのだ。だからアイヴィーも、彼の方から話してくれるのを待とうと決めた。 「ところで、ディランとはどうだったのさ? 明け方までよろしくやっていたんでしょう?」  エイダは身を乗り出しながら、好奇に満ちた眼差しで尋ねてくる。 「えっ!? そ、それは――」  いくら相手が親しい同性とはいえ、男女の行為について語るのは憚られた。 「言わなくていいよ、何となく想像はつくから。ディランは絶対に否定するだろうけど、アイヴィーを抱きたくてたまらないってバレバレだったしね」  その時のディランの様子を思い出したのか、エイダは堪え切れない様子で吹き出した。 「あの、エイダさんとおじ様って、どういう間柄なんですか?」 「まあ、簡単に言えば腐れ縁ってやつかな。あっ、誤解しないでね。あのおっさんと付き合っていたわけじゃないから」 「そうですか」  アイヴィーは何気ない風を装うが、内心では心の底から安堵していた。  いくら今は恋人がいないとはいえ、ディランが他の女性と愛し合っている場面を想像するのは辛い。 「さて、そろそろ帰ろうか。ディランも待っているだろうし」 「エイダさん、今日は本当にありがとうございます」 「次回はディランと一緒に行けるといいね。あんたにお願いされたら、絶対に嫌だとは言わないと思うけど」 「近いうちに、おじ様に頼んでみます」  いずれはディランとデートもしたいが、今はそれ以上に毎晩抱いてもらえることのほうが、アイヴィーにとっては遥かに嬉しかった。
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