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「昨晩な、天蓋さまが来たよ」
私たちは、その人のことをいつからか「天蓋さま」と呼ぶようになった。竜之歯ぶらしだけを買っていくなら「竜之歯ぶらしさま」でも良かろうと小僧のころに思いもしたが、いざ大人になってみれば、商売人がその客を買い物のなかみで呼ぶのは、すこぶる失礼であると知った。かといってもちろん名前がわかるわけでもない。じゃあということで「天蓋さま」と呼んでいる。
「へえ、また竜之歯ぶらしおひとつ買われていったかい」
妻は、はたと顔を上げた。腹がふくらんでくるにつれ、顔にもいくぶん肉がついて、丸くなってきた。天蓋さまは竜之歯ぶらししか買われないのを妻も知ってはいるが、毎度念のためという様子で、妻はこう訊く。
「おん。ほんでいつものように、ゆったりゆったり帰られたわ」
「ほんにまあ、私がここへ嫁いでから毎月のこと。重かろうに」
妻は竜之歯ぶらしの話をするときには必ず、重かろうに、と言う。ここへ嫁いできて、職人が納めにきた竜之歯ぶらしを初めて受け取って重さに仰天してからずっとだ。天蓋さまよりもすこし小柄な妻からしたら、それはもう重たいものなのだろう。
次の月にも、またその次の月にも天蓋さまは店を訪ねて、竜之歯ぶらしを買っていく。私はもう十年もここで店番をしているが、竜之歯ぶらしをいただけますか、という声色さえ変わらない。天蓋さま自身が、お鎮守さまなのかもしれん、といつのころか私は思うようになっていた。
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