第20話 漆を奏でる

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第20話 漆を奏でる

「いやあ助かります。青年団のメンバーだと、漆器の展示とか、体験教室くらいしか思い浮かばなくて」  清明に連れられて廃校となった小学校にやってきた立夏たちに、一階の玄関先待っていた代表の青年は人懐こい笑みを浮かべる。  立夏はその顔にどこか見覚えがあった。彼女の視線に気付いたのか、代表は自分の顔を指さして言う。 「申し送れました。おれは高橋っていいます。母がいつもお世話になってます」 「あっ、やっぱり!」  つい自分も指さしてしまってから慌てて手を引っ込める。 「似てらっしゃるって思ってたんです」 「よく言われます」 「ご両親にはいつもお世話になってます」 「いえいえこちらこそ」  司朗が丁寧に頭を下げると、高橋も照れたように頭を下げた。 「いやあ、浄法寺の人気カフェのお二人が参加してくださるなんて、心強いですよ。この年代の人は普段町中に働きに行ってることが多くって、声をかけてもなかなか集まらないんです」  ああ、なるほど。と立夏は思った。  清明のような農家や司朗のような自営業ならともかく、会社員ならこうしたプロジェクトに参加するのは体力的にも時間的にも難しいだろう。平日はもちろん仕事があるし、休日は疲れを癒すか家族との時間を持つのでせいいっぱいだろう。  その意味では清明が立夏たちに白羽の矢を立てたのは最善の選択だったと言えた。 「見てのとおり、せっかくの木造の校舎なので、このレトロな味わいを生かして何か地域を盛り上げたいんですよね」  高橋の案内で校舎内を巡る。  ずっと締め切っていたのだろう。かなり埃臭いが、それは換気と掃除を充分にしたら解決するだろう。床板の傷みもところどころ激しい箇所があるが、校舎内全部を解放せず、一部だけを使うことにして改修するべきポイントを絞れば費用も安く上がるはずだ。  木枠の窓にはまった歪みガラスの味わいなどは、取り壊したりせずにぜひ何らかの形で活用してほしいと立夏も思った。 「さっきもお話したとおり、おれと清明じゃいくら頭を絞っても、漆の体験工房くらいしか活用策が思いつかなくて」 「それだったらもう他にも立派な施設があるしな」  顎に手を当てて高橋と清明の話を聞いていた司朗が、ふいに立夏に声をかける。 「立夏だったら、ここで何をしてみたい?」 「ええっ、わたし?」  いきなり水を向けられて、立夏はあわてた。 「浄法寺の外から来た人のほうが、ここの良さがわかることもあると思うんだよね」 「それを言うなら司朗くんだって」 「残念ながらぼくにも清明と同じ考えしか浮かばなくってさ」 「こら司朗、さりげなくおれをディスるんじゃない」 「うーん。本当に何でもいいんなら、だけど」 「どうぞどうぞ」  穏やかな高橋に促されて、立夏はおずおず口を開く。 「ここに来て、高橋さんや菊池さんたち、農家の方にいろんな郷土料理の作り方を教わって、すごく楽しかったし、おいしいなって思ったんです。だから外の人がもっと気軽に、いろんな郷土料理を食べられる場所があったらいいなって」 「へえ、それはなかなか面白いかも。ぼくも教わりたいくらいだな」  司朗が目を輝かせる。 「冬になると農家のお母さん方も少し手が空くでしょう? だから季節限定の農家レストランみたいな感じでやってもいいんじゃないかな」 「それが実現したらうちのおふくろたち、はりきっちゃうだろうな」  清明と高橋は顔を見合わせて頷き、笑う。 「ついでだから、家で眠ってる昭和グッズとか持ち寄って、懐かしい雰囲気を出すのとかどうかな。使わなくなった黒電話とか、昔の商品のポスターとか古い農具とか転がってるうちは多いんじゃないかな。ここも廃校だから、こういう古い木の椅子とか机がたくさんあるし」  立夏のアイディアで司朗も触発されたらしい。 「それ、いいね。素敵かも」  とんとん拍子に話がまとまり、帰り支度を始めていたとき、通りかかった音楽室の前で立夏はその存在に気付いた。  思わず立ち止まる立夏に、前をゆく三人も足を止める。 「どうした、立夏?」 「あれ、ピアノだよね」  開け放たれた扉の向こうで埃をかぶって佇んでいたのは、一台のグランドピアノだった。野生動物が侵入していたのか、天板や脚柱の一部が齧られたように抉れていて、天板の上には動物のフンらしきものや、無数の傷も見える。 「今も弾けるのかな」 「さすがにここにずっと放置されてたから、難しいでしょうね。修復や調律してみないことには何ともいえませんが」  答えたのは高橋だ。 「あんた、ピアノに興味あったっけ?」 「せっかくきれいなのに、ちょっともったいないなって思って」 「立夏は、ピアノ弾けるの?」  尋ねる司朗に、立夏は肩をすくめた。 「ねこふんじゃったくらい」 「清明くんたちは?」  高橋と清明はぶんぶん首を横に振る。 「じゃあ、司朗くんは?」 「中学までは習ってたから、ちょっとくらいだったら」 「えーっ、すごい!」  立夏は色めきたった。 「ねえねえ、ちょっとだけ弾いてみてよ。ちょっとでいいから!」 「ええっ!? ちょ、ちょっと待ってよ、立夏」  ぐいぐい背中を押す立夏にたじたじになる司朗に、清明が「いいじゃん、何か弾いてみろよ」と追い討ちをかける。先ほどの仕返しのようだ。  心底困った顔をしながらも、司朗はそっと蓋を開ける。  いったい何年ぶりに開けられたのかわからないが、幸いにも鍵盤はほとんど汚れてはいなかった。  司朗の長い指が鍵盤を叩く。  ポーン、と澄んだ音がした。 「おっ、音出るじゃん」 「ちゃんと弾くには調律しないとダメだと思うけど」  言いながら司朗は幾つかの音を確かめていたと思ったが、指を握り合わせてほぐすような仕草をしたと思った次の瞬間には、鍵盤を撫でるように両手が動いていた。  立夏は声を失った。  司朗が弾いたのは、どこかのどかな雰囲気の旋律の曲だった。  聴いていると気持ちが明るくなってくる。思わず足取りも軽くなりそうな、楽しい曲だった。いつしか高橋と清明も、司朗の演奏に耳を傾けていた。  曲はほんの一、二分だっただろうが、立夏にはもっとずっと長く感じた。 「すごい! すごいよ司朗くん!」  すっかり舞い上がる立夏に、司朗は苦笑して頬を掻いた。 「全然すごくないよ。小学生でも演奏する曲だし」 「いや、マジでびっくりした。おまえにこんな特技もあったんだな」 「ねえねえ、今のは何て曲?」 「『茶色の小瓶』だよ。言葉の響きが掻いた漆を入れとくタカッポみたいだろ? それで昔から何となく好きだった」 「おまえってホント、漆マニアな」 「ほっとけ」  「せっかくきれいな音が出るピアノなのに、この傷がもったいないなあ。ネズミかな?」  無数の傷の付近を立夏が指でなぞると、積もった埃で跡がつく。  その傷を見ていて、立夏はふと思いついた。 「司朗くん、たしか、漆器は欠けても修復できるんだったよね?」 「そうだけど」 「前に読んだ本に書いてあったの。昔、日本の漆器がヨーロッパに渡って、その美しさに影響を受けた人々が『漆黒』に憧れてピアノを黒く塗装するようになったんだって」 「へええ、初めて聞いた。面白いですね」  高橋が目を輝かせる。 「立夏、もしかして――」  司朗も立夏の考えていることに思い至ったようだ。 「うん。せっかくここは漆の里なんだし、このピアノを漆で修復してみたら面白いんじゃないかな?」 「いいですね、それ。ここのシンボルになるかも」 「おまえ、塗ってみたら?」 「は?」  清明に肘で小突かれ、司朗は目を瞠った。なぜ自分がといわんばかりだ。 「いや、浄法寺塗の職人がたくさんいるだろ。ぼくの出る幕じゃないよ」 「おまえだって職人だろうが。それにあんただって、こいつが漆を塗るところ、見てみたいだろ?」  言いながら清明が立夏に目配せする。一も二もなく立夏は頷いた。  それでも司朗は渋い顔だ。 「でも――」 「じゃあ、みんなで協力して一緒にやるっていうのはどうかな?」 「代表、ナイスアイディア」 「あんたらなあ、ひとごとだと思って」 「いいじゃん別に。おまえも変なこだわりを捨てるいいチャンスかもよ?」 「こだわり? ぼくが?」 「これから言うこと、怒るなよ」  強めに念押しして、清明は続ける。立夏にできるのは、そんな二人をはらはらして見守ることだけだ。 「おまえさ、自分はここで漆を掻いて生きていくんだ、って何かにつけて言うじゃん? おれさ、別にそこまで明確に線引きしなくていいだろ、ってずっと思ってたんだよね」  意味がわからないというように司朗は眉を寄せる。  飄々とした様子で清明は続けた。 「昔からこの里の人間はさ、山から木を切り出して削って、漆を掻いて、塗って、それを使って生きてきたんだ。おまえもこの里の人間なんだからさ、好きなことをしたらいいじゃん? ここはおまえんちの会社じゃないんだから」 「清明……」  それ以上司朗はこの話題を続けなかったが、心の中で清明に感謝していることは、立夏にもわかった。  青年団員の浄法寺塗職人と司朗が協力し、ピアノの修復が始まった。  損傷の激しい天板と脚柱部分の塗装をやすりとサンドペーパーでいったん落とされた後で、透明な生漆で下地が施される。その上から、鮮やかな朱漆が幾重にも塗り重ねられた。  無駄のない仕草で、まるで絵を描くように漆を塗る司朗は、集中のあまり外界の音はいっさい耳に入っていないかのようだった。  そんな司朗を見るたびに、やはり塗りも好きなのだなあと心から感じる。  それは清明も同じだったようで、ふと目が合うと、にかっと笑ってきた。そんなとき、どこか泣きたくなる気持ちを堪えて、立夏も笑うのだった。  浄法寺塗の蒔絵師が漆の葉の蒔絵を施し、漆塗りのピアノは完成した。  黒と朱、二色のピアノは廃校を利用した農家レストラン『こびる亭』のシンボルになった。  レストランの利用客は誰でもこのピアノを弾くことができる。  漆掻きとカフェの営業、どちらもない日などは、司朗も漆のピアノで演奏を披露してくれることが増えた。ピアノを弾く司朗は、以前よりもどこか表情がやわらかくなったような気がする。  そんなとき立夏は、地元の女性たちと郷土料理を作ったり給仕をしながら、司朗のやさしい旋律に耳を傾けるのだ。  もちろん、レストランの店内を照らすのは、里の皆で作った漆の和ろうそくである。  漆を掻くことは、言葉を紡ぐことに似ている。音楽を奏でることにも。  これからもずっと、大切なものを集めていこう。ひとつずつ、丁寧に。
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