2-2ー4 淝水以後の諸国家元首

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2-2ー4 淝水以後の諸国家元首

・後秦384 - 417 初代 姚弋仲(ようよくちゅう) 279 - 352 劉曜、石勒、石虎に服属。特に石虎の時代には石虎より重んぜられ、勢力基盤を確立した。冉魏がらみの争乱に巻き込まれた際には後趙寄りの立ち回りをし、前秦と刃を交えたりもする。その後東晋に服属したが直後に死亡。大動乱をうまく切り抜けた立ち回りの絶妙さは、五胡十六国時代の人物中でもトップクラスであるように思われる。 二代目 姚襄(ようじょう) 331 - 357 姚弋仲の息子。父とともに東晋入りし、その死後には跡を継いだが、陰険な殷浩が全力で嫌がらせを仕掛けてくるのに堪忍袋の緒が切れ、前燕討伐を命じられたのをいいことに全兵力を率いて前燕に寝返る。そして自立を宣言した後当時東晋が占領していた洛陽を攻撃するが見事に敗北。更にその後西に逃れては前秦と衝突、敗死した。父親とは違い、立ち回りと言うよりも迷走と呼ぶのがふさわしい生涯だった。 三代目 姚萇 331 - 394 姚弋仲の息子、姚襄の弟。兄の敗死を受けて羌族を引き連れ前秦に投降。苻堅は歓迎したが、王猛をはじめとした配下たちは猜疑の目を向けていた。その為戦果にて忠誠を証明する必要があり、実際に凄まじいまでの戦果を挙げた。ところがこれが更に姚萇への警戒心を高めさせる結果につながった。淝水後の混乱の中失策があり、それを理由に苻堅に殺されると危ぶんだ姚萇は独立を宣言。後秦を建てる。 その後苻堅は西燕の慕容冲(ぼようちゅう)との戦いの中単身五将山(ごしょうざん)へ出奔、すかさず姚萇は軍を派遣し、苻堅を捕える。そこで姚萇はなぜか苻堅に「ぼくに禅譲しなよ、ね?」と苻堅に持ち掛けた。回答は「バカか死ね」であったので、姚萇は苻堅を殺した。殺した上で懇ろに弔ったり「ぼくは悪くないんだ!」と謎の許しを乞うなど、この辺りの姚萇のオモシロ度は常軌を逸している。 その後苻堅の霊による復讐におびえながら死んだ。 四代目 姚興 366 - 416 姚萇の息子。姚萇が全幅の信頼をもって後継に指名していて、そしてその信頼通りの活躍を見せる。ちなみに皇太子時代に劉勃勃(りゅうぼつぼつ)、後の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)を服属させており、正直読んでいて「姚興後ろ、後ろー!」と叫びたくなってしまうのは我のみではあるまい。各地に転戦、多くの敵対勢力を服属させ、後秦の最盛期を築き上げた、まごうかた無き名君と呼ぶべき存在であるが、柴壁の戦いによる敗戦を境に衰運の途を辿る。南燕の慕容超(ぼようちょう)にたかられるわ劉裕にたかられるわやっぱり赫連勃勃は自立して好き勝手始めるわ周りの国々もなんか力をつけて好き放題し始めるわ親族は反乱を起こすわで疲労困憊の態となる。特に東晋内で急激に勢力を伸長させていた劉裕(りゅうゆう)には頭を痛めており、桓玄(かんげん)残党の桓謙(かんけん)を利用して蜀で自立を宣言した譙縦(しょうじゅう)、五斗米道の盧循(ろじゅん)などと結び劉裕包囲網を築こうとするがあっさり粉砕、却って劉裕の東晋内発言力を強化する手伝いをする。 そして後継者問題を微妙に宙ぶらりんにしたまま死亡。これによって後秦は決定的衰運に乗る。 五代目 姚泓(ようおう) 388 - 417 姚興の息子。真面目だが気弱であったという。そのため弟らは姚泓の帝としての器を疑っており、やがては反乱を起こすに至る。更には赫連勃勃が好き放題に暴れる。まさに内憂外患と言う状態にあって、これまで嫌がらせ程度であった劉裕が軍を率いて攻め込んできた。武勇に優れた勇将、叔父の姚紹(ようしょう)存命中はそれでも何とか防いでいたが、姚紹が陣没するとたちまち後秦軍の防衛力は瓦解、洛陽、長安共に攻め落とされる。どこまでも外部に翻弄され続けた生涯であり、伝を読めば読むほどと暗澹とさせられる。 ・後涼 384 - 403 初代 呂光(りょこう) 338 - 399 氐賊の名家で、代々苻氏に仕えていた。苻堅の命を受けて西方征服の都督に任じられた。このことからもその手腕を苻堅に高く買われていたのがうかがわれる。しかしながら征服戦争に出ているさなか淝水の戦いが勃発、しかも前秦は惨敗。お出掛けから帰ってきたら家が焼けていました、レベルの話である。なので呂光は新しく家を建てた。前涼の遺児の涼復活の野望を挫き、代わりに涼王を自称。エグいことをなさる。しかし呂光自身には王としての器がまるでなかったようで、あっさりと北涼、南涼が分離。失意の中病を得て死んだ。 二代目 呂纂(りょさん) ? - 401 呂光の後継者は嫡子の呂紹(りょしょう)であったが、長庶子であった呂纂は弟に天王の座がもたらされるのが許せなかった。ので殺した。またこのパターンか。そして皇帝の座につくや勢力拡大、と言うよりは裏切り者粛清のために南涼を攻め、負ける。なので標的を変えて北涼を攻めようとしたら南涼に反撃を食らいそれどころではなくなる。凄まじくグダグダである。その後酒浸りの日々を送った末、いとこの呂超(りょちょう)に殺された。 三代目 呂隆(りょりゅう) 呂光の甥。呂超の兄。とは言え実権はほぼなかった。この状態で国としての勢力を維持できるはずもなく、姚興にあっさりと攻め滅ぼされた。以後後秦の武将としての地位にはありつくが、姚泓と姚弼(よういく)の兄弟ゲンカに巻き込まれ、姚弼に連座して殺された。 後涼は初代から既にグダグダで素晴らしいな。 ・西秦385 - 431 初代 乞伏國仁(きっぷくこくじん) ? - 388 鮮卑。前秦の武将として活躍したが、淝水の大敗を受け反旗を翻した叔父の乞伏歩頹(きっぷくほたい)を討伐する、振りをして叔父と合流、周辺諸部族を糾合し、自立を宣言した。しかし、勢力を固め切る前に死亡した。 二代目 乞伏乾歸(きっぷくけんき) ? - 412 乞伏國仁の弟。前秦とは比較的優良な関係を保ちつつ勢力を伸長させる。しかし強勢を誇っていた後秦の攻撃を受け、南涼へと亡命。このとき西秦はいったん滅亡する。南涼で暗殺の危機に見舞われたので更に後秦に亡命、ここで武将としての功績を残す。その後、後秦の勢力が衰えたのを見計らい再度独立を果たす。不屈の自立心を備えた乞伏乾歸だったが、その最後は姪の乞伏公府(きっぷくこうふ)に殺されるという呆気ないものだった。 三代目 乞伏熾磐(きっぷくしばん) ? - 428 乞伏乾歸の息子。乞伏公府を殺すと、更に南涼を滅ぼし、国内外の体勢を整え、北涼との戦いを繰り広げる。志半ばにして斃れるとその後を弟の乞伏暮末(きっぷくぼまつ)が継いだが、この人は苛烈な政治によって民心を大きく失い、やがて 431 年、夏に攻め滅ぼされた。 西秦は覇王として天下に鳴らすわけにもゆかず、何とか動乱の中を生き抜こうと足掻いたように感ぜられる。それは結果を見れば、ずっと周辺国家に翻弄され続けた、とも言えよう。 ・南涼397 - 414 初代 禿髮烏孤(とくはつうこ) ? - 399 呂光さんアンタとはやってられませんマン第一号。始め呂光が強勢を誇っているうちは敢えて逆らうまいと臣属し、その威勢が衰えると独立した、と言うのが史の伝えるところである。内外に人士を養い、国力を拡充させていたが、落馬して死んだ。「やれやれ、こんなことをしたら呂光どもを喜ばせてしまうではないか」と自嘲したという。 二代目 禿髮利鹿孤(とくはつりろくこ) ? - 402 禿髮烏孤の弟。後を継いだとは言ってもわずか二年ほどの在位期間であり、事跡らしい事跡もあまり残っていない。亡命してきた乞伏乾歸を暗殺しようと企んだとか、その程度である。 三代目 禿髮傉檀(とくはつじょくだん) 365 - 415 禿髮烏孤、禿髮利鹿孤の弟。しばしば夏や北涼の侵略を受けることに危機感を覚え、国力拡充のためには領土が必要と侵略戦争に打って出るも見事それが裏目に出る。出征の隙を西秦に衝かれ、あっという間に滅ぼされた。降伏の翌年、禿髮傉檀は毒殺された。 禿髮傉檀の息子に北魏の武将、源賀(げんが)がいる。かれの元の名は禿髮破羌(とくはつはきょう)。凄い名前だし北魏で大活躍している人だしで、非常に面白い人である。 ・北涼 397 - 439 初代 沮渠蒙遜(そきょもうそん)368 - 433 呂光さんアンタとはやってられませんマン第二号。呂光が西秦討伐失敗の咎を沮渠蒙遜の伯父に押し付け、処刑したことに憤り反旗を翻す。はじめ後涼の地方長官であった段業(だんぎょう)を推戴する形で勢力を立ち上げたが、ある程度の実力を蓄えた段階で段業を殺害、独立する。硬軟織り交ぜた巧みな外交戦略を得意とし、勢力入り乱れる涼州にあって着実に勢力を伸長。北魏、東晋、宋いずれとも友好的な関係を築き上げ、勢力維持を果たした。 息子の沮渠牧犍(そきょぼくけん)の代にあっても北魏との友好関係は続いたが、北魏から迎え入れた側室の暗殺未遂事件が発生。この事件の対応を誤ったところ北魏の侵略を受け、攻め滅ぼされた。 ・夏 407 - 431 赫連勃勃 381 - 425 匈奴鉄弗部の生まれ。なおこの部族は赫連勃勃が十歳のころに北魏と争い、ほぼ壊滅させられている。そう言った苛烈な幼少期を生き延び、長じるに従い聡明で美しく、残虐で信義に欠ける立派なキチガイに育ったという。北魏の追及から逃れるため後秦入りし、そこで武将としての才能を開花。だが後秦が北魏と盟を結ぶと聞き、不倶戴天の敵に尻尾を振るとはと激怒、離反。夏の建国を宣言し、以降全方面に向かってケンカを売り続ける。しかしあまりにも独裁的存在であったため、その死後は後継者たちもうまく国体を維持できず、北魏に併呑された。その意味では、国名も「赫連勃勃」と呼んでしまった方がふさわしいようにも思われる。
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