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結語
小説家、田中芳樹氏をご存知の向きは多いであろう。
氏は、1996年の著作(中国武将列伝)で「中国史には面白い武将が沢山いる。けれども三国時代の武将ばかりが有名で悲しい。他の時代の武将にももっとスポットライトが当たってほしい」と言っていた。
だが、スポットライトを当てるためには、結局のところ舞台がなければ始まらぬ。舞台とはすなわち「分かりやすい物語」である。
歴史に出てくる人物関係は複雑である。無駄に難しい。当たり前である。田中氏は、言うなれば「難しい」を「難しい」のまま楽しめる方である。だが、それでは楽しめる人は増えぬ。
ここで三國志を俎上に載せよう。
二十四史「三國志」。陳寿が編纂し、裴松之が注釈を加えた、三國時代の情報を手に入れるにあたっての基礎史料である。 当たり前だが、ほぼ生の情報であり、難しい。内容も淡泊である。
それを分かりやすく、読者に受け入れやすくした大傑作がある。羅貫中「三国志演義」。いわゆる正史視点で眺めると噴飯物の内容が多く含まれることで有名だが、これなしで三國志が知られることなど、まずあり得なかったであろう。
さらに、三国志演義が日本に渡ると、ひとまず現代にのみ限定して話をするが(※明代に成立した演義は、江戸時代には日本でも人気を博している)、吉川英治が「三国志」としてさらに分かりやすくし、畳みかけるように横山光輝が漫画として、またテレビでは「人形劇 三国志」がこの物語を表現した。その上で光栄の歴史シミュレーションシリーズが来る。
これだけ噛み砕いて紹介されたがために、人々は三國志を身近に感じることが叶った。今ではその確立された素地故に正史にまで踏み込める人口も少なからぬように思う。
田中氏のぼやきには共感するところ大なのだが、「なら三國志位丁寧に紹介ルートを舗装された時代がどれだけありますか?」とは駁さずにおれぬ(一応付言しておくが、もちろん田中氏が「難しくない」物語を上梓されていることは承知している)。
どの時代も人間は同じである。
英邁な人間は英邁であるし、
愚者は愚者、悪逆の徒は悪逆の徒である。
即ち、どの時代、どの地域であっても、
そこに人間がいれば面白い。
後は、その時代、その地域を
どれだけ平易に、どれだけ面白く
紹介できるか、である。
この解説が、誰かにとっての「あれっ、もしかしてこの時代、面白いんじゃね?」と言うきっかけになってくれれば、と願ってやまぬ。
最後に作者の弁を代行しよう。
「みんなももっと五胡十六国の物語書いていいのよ?」
ではまた、いずこかにて。
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