2-2ー3 淝水以前の諸国家元首

1/1
前へ
/22ページ
次へ

2-2ー3 淝水以前の諸国家元首

・漢(前趙) 304 - 329 初代 劉淵(りゅうえん) 251 - 310 魏晋の時代に人質として差し出された匈奴王、すなわち単于の正統後継者。文武を修め、多くの人士に傑物と目されていた。そのお陰で警戒され、なかなか重用はされなかった。楽しい楽しい八王の乱をきっかけとして「匈奴どもを抑える」と言う名目のもと故郷に戻り、匈奴諸部の推戴を受け単于継承を宣言。劉聡(りゅうそう)劉曜(りゅうよう)石勒(せきろく)王弥(おうび)と言う笑っちゃうほどのビッグネームを従え攻勢に出るも出だしが遅すぎた。攻勢に出たのが 304 年。さすがにわずか六年で天下に覇を唱えるのは厳しすぎた。 二代目 劉聡 ? - 318 劉淵の三男。劉淵の配下武将として飛び抜けた武勲を挙げた。劉淵が後継者として示したのは長男の劉和(りゅうわ)であったが、劉淵死後速攻で劉和を殺害、皇統を強奪する。ついでに次兄の劉恭(りゅうきょう)も殺す。その後劉淵の果たせなかった洛陽・長安陥落を果たし、楽しい虐殺タイム、凌辱タイムに耽る。その際に、例えば劉淵第一の軍師であった陳元達(ちんげんたつ)を殺したり、佞臣の靳準(きんじゅん)に好き放題振る舞う契機を作るなど、国力衰減待ったなしモードを確立した上で死んだ。 三代目 劉曜 275 - 329 劉聡のあとをついたのは劉粲(りゅうさん)という事になっているが、全力で悪政暴政に耽ったあげく靳準に殺されている。この靳準を倒し、帝位についたのが劉淵の養子である劉曜だった。ちなみにこの時に漢の国号を捨て、趙を名乗っている。劉曜は劉淵の時代にやはり大きな活躍をしていたが、同じく大きな功を上げていた石勒からは主であるとは認められず対立。酒を飲んで決戦に挑み酔っぱらって落馬して捕まった。何をやっているのか。そして石勒に殺された。一応息子の劉煕(りゅうき)が跡を継いだが一瞬にして殺され、前趙は滅んだ。 ・後趙 319 - 351 初代 石勒 274 - 333 奴隷出身。五胡のうち羯と言う種族は、実質「石勒は匈奴でも鮮卑でも羌でも氐でもない、じゃあ何だろう、とりあえず羯って種族ってことにしちまえ」と名付けられたようなものであり、五胡十六国時代を見渡しても異様な存在感を示している。劉淵軍に帰属して、石勒十八騎と呼ばれる優れた部下を率いて軍内での存在感を確立。劉曜から独立した後、厄介極まりない東晋の将・祖逖とは何とか休戦状態を保ちつつ劉曜を撃破した。祖逖の影におびえながら国内を整備、国家の基盤を作り上げるさ中に死亡。 二代目 石虎 295 - 349 石勒の甥。石勒の跡を継いだのは息子、石弘(せきこう)であったが「石弘なんぞより俺の方がふさわしいだろ」と簒奪、殺害。劉聡と同じパターンである。しかもこの人が怖いのは、一回嫌がる石弘を強引に帝位につけ、その上でわざわざ殺しているところだ。ここには石勒の配下の権勢を大きく削ぐ意図があったようだ。 暴君と言うイメージがあるが、更にそれが後世の曲筆であるという説も出回っている。そのようなわけで実態を捕えるのが難しい人物だが、石勒の後継者選びを尊重しなかったのと同じく、自らの後継者の扱いについても杜撰であったのは間違いがないようだ。そのため死後後継者争いが泥沼化し、更には養子として迎え入れていた冉良(ぜんりょう)の息子、冉閔(ぜんびん)によって石虎の一族は皆殺しにされた。 その冉閔が前燕によって滅ぼされたのは、前部に書いたとおりである。 ・前秦 351 - 394 初代 苻洪(ふこう) 284 - 350 元々の名前は蒲洪(ほこう)。劉曜、石勒、石虎に服属していた。冉閔によって中原が荒れると西進し、自立。そこで「苻姓に改めれば王になれる」と言う予言を聞き、苻姓を名乗る。やがて石虎時代よりの部下であった麻秋(ましゅう)の裏切りに遭い、毒殺された。 二代目 苻健(ふけん) 317 - 355 苻洪の息子。父を殺した麻秋を討ち、皇帝を名乗る。なので前秦の初代皇帝はこの苻健である。毎度実代数とズレておるが、まぁ気にせぬように。最初東晋との協調路線を取っていたが陰険な殷浩(いんこう)の策謀で内部を揺さぶられたり桓温に攻め込まれたりで対応にてんてこ舞いとなる。が、その甲斐もあり関中での勢力を確固たるものとした。 三代目 苻生(ふせい) 335 - 357 苻健の息子。元々は兄の苻萇(ふちょう)が皇太子だった。苻生自身は凶相であったこともあり、いつ祖父の苻洪に殺されてもおかしくないほどの虐待を受け、それがもとで大きく性格を歪ませたと言われている。例えば「残」「偏」「欠」「少」などの文字を使った者を殺すなど、後の明の朱元璋(しゅげんしょう)レベルの行いも為している。 とは言えこの手の暴君は蛮行をいやでも大袈裟に書かれるものであり、やはり全蛮行を為したとは考えづらい。一説には彼を殺した苻堅が簒逆行為を正当化するために悪事を盛ったのではないか、とも言われている。 四代目 苻堅(ふけん) 338 - 385 苻健の甥。凋落した稀代の名君と言う扱いであるが、ポスト淝水の行いが非常にマッドであることを考えれば、苻生を倒すまでの流れも徳行に基づいたものであると無邪気に信じるのは少々厳しい所がある。理想に敗れた、と言う従来の通説は、美しい物語ではあるが美しすぎるため棄却したい。何にせよいくらでも叩けば埃が出てきそうな名君であり、後日彼の戴記は腰を据えて読み込んでみたいものである。 五代目 苻丕(ふひ) ? - 386 苻堅の長庶子。弟で、後に東晋に帰順する苻宏(ふこう)が皇太子であったが、淝水以後の混乱によって苻堅が姚萇(ようちょう)に殺されると、皇帝を名乗った。ほぼ自称レベルの代物であり、正統性はないに等しい、が、それでも苻堅を慕っていた将兵らは苻丕についたようだ。しかし西燕との一戦で大敗、敗走。その途上東晋軍に攻められ、死んだ。 六代目 苻登(ふとう) 343 - 394 苻堅のいとこの息子。傍系の宗族だが、相次いで皇帝を失っていった中擁立された。淝水の戦いに関与しなかった氐族の軍勢を接収することに成功したため一大勢力足りえ、苻堅を殺した後秦との決戦に臨んだ。始めこそ後秦軍に対して優位に立ちまわっていたものの「大界の戦い」にて大敗を喫し、勢力を損なう。その後は以下の離反などもあり徐々にすり潰されていき、最後は姚興(ようこう)に殺された。 息子の苻崇(ふすう)が跡を継ぐも、やはりあえなく攻め滅ぼされ、前秦は滅亡した。 ・成漢 304 - 347 初代 李特(りとく) ? - 303 流民集団の親分の成り上がりである。八王の乱……とは関係のない別の反乱によって生じた流民らを糾合、漢中に流れた。しかし流民たちは十万にも届こうという大集団であり、狭隘な漢中(かんちゅう)の地では到底収容しきれるものではなかった。そこで朝廷に請願、益州、すなわち三国志に言う蜀の地へ移住する。そこで出会った趙廞(ちょうきん)と言う人物の元にいったん就くものの、弟の李庠(りよう)を殺されたため反旗を翻し、殺す。また朝廷から派遣された羅尚(らしょう)とも対立。この戦いの中で成都に拠り、自立を宣言するも、その後敗死した。 二代目 李流(りりゅう) 248 - 303 李特の弟。李特の敗死を受けて流民集団の取りまとめ役を引き継ぎ、羅尚への抗戦を継続するが、間もなく病に倒れた。李特の息子、李雄(りゆう)の将器を重んじており、「この者であれば我らの悲願を為してくれるであろう」と後継者に指名、死亡した。 三代目 李雄 274 - 334 李特、李流が叶わなかった羅尚打倒を果たす。そして 304 年に成都王を自称。劉淵の漢王自称と同年のこの宣言は、実質五胡十六国時代の幕開けである、と言われている。そして蜀に住まう賢人・范長生(はんちょうせい)を、幾度もの招聘失敗にも懲りず臣下として迎えた。その卓抜した内政の手腕を生かし、30年間の治世は蜀の地に稀に見る平和をもたらしたという。名君主ではある、あるのだが、後世に残るミソを残しているのがよろしくない。 四代目 李班(りはん) 288 - 334 李雄の兄、李蕩(りとう)の子。蜀解放の戦いのさなか戦死した李蕩の存在を重んじての計らいだったとされるが、それなら李雄は子供を作るなよ、と言う話である。李雄は名君ではあったが、張茂ほどのド聖人にはなれなかったようだ。そりゃ皇帝の息子なら自分の方が後継者にふさわしいだろって思うはずである。その為李班は、皇位継承直後さくっと李期(りき)に殺された。 五代目 李期 314 - 338 李雄の息子。まぁ李期の気持はわからないでもないのだが、しかしこいつ何の根回しもなしで李班殺したのか。皇族の大半からの総スカンを食らい、内紛が巻き起こった。バカか。バカなのか。結果親族の李寿(りじゅ)に実権を握られ、しかもそれを不満に思って反逆しようとして殺された。救いようのバカとしか言いようがない。 六代目 李壽 300 - 343 李特の甥。大きな武力を保持している人間が納得いかない人事押し付けられりゃそりゃ切れるだろってもんであるが、いや本当李雄はアホなのか。もっとも李寿は李寿で諫言してきた人間を殺すわ、石虎の苛政を、多分苛政を行う意味もあまり把握しないままで運用するわでどうしようもない人間のようだが。 七代目 李勢(りせい) ? - 361 李寿の息子。バカ。忠臣を遠ざけ、荒淫に耽り、無事桓温に攻め込ませる隙をどでかく作って差し上げ、うまうまと滅ぶ。成漢の滅亡が 347 で、死亡が 361 年とか、よくもまぁ生き恥を晒せているものである。さすがにこの者くらいになると李雄がどうこうとかまるで関係ないな。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加