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「おーい、貴美子ちゃん。圭子さんがお土産を包んでくれたよ。持って帰りなさい」
呆然としてしまっていた私に、父の声がかかる。
相変わらず、私を貴美子と呼ぶ父。
しかし、久し振りに、父の声だと思えた気がした。懐かしさが、じわりと滲む。
「あっ、じゃ、帰りますね。さようならぁ!」
千歌がお辞儀するのに合わせて、礼央も頭を下げる。そして二人揃って、長く延びる影を揺らしながら歩いていった。
千歌と礼央の幼い可愛い笑顔や、幼いなりの真剣さが、今さら私に熱く響いた。
近所のおばさんに対する僅かな配慮ながらも、“私”を思い遣ってくれていることを、深く感じ取れる。彼らの中に、“近所の家のおばさんたる、ナツコさん”がちゃんと存在している。
家に帰れば、夫の中に妻な私が、子どもの中に母な私が、確固として存在している。
それを、私はもっと前向きに受け止めていい。
「貴美子ちゃん?」
父が私を呼ぶその声に、私は笑顔を向ける。
私の父は確かにここにいるのに、父の娘たる私は、抹消されてしまった。そんな喪失感に押し潰されそうになっていたことに、今ようやく気がついた。
苦しいのは、私だった。
父にとって私は、もう娘ではないのかもしれない。
しかしそれは、父にとって私が忘れる程度の存在だということの証明なんかではない。
それに安心する“娘な私”が、ここにいた。
それで、良いのかもしれない。
そう、思えた。
貴方が忘れてしまったのなら、貴方の分も、貴方の娘であることを私の中に刻んでいこう。
それで、良い。
私は、私なのだ。それは揺らがない。
父の中に私がいなくなっても、私は、ここにいる。
小さな光は、僅かに、しかし温かく、夕闇を頼りなく歩く私の足元を照らしてくれていた。
終わり
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