くせおめ編

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くせおめ編

 かつて戦争があった。  その頃のボクは後世に繋ぐために身につけた技術をその戦場で振るっていた。  それは間違いでは無いのだろう。この技術は本来はそのためのモノだ。  ボクは生まれてからずっと戦う技術を磨いてきたとはいえ戦うために生まれてきた訳ではない。だから戦争とはいえ罪のない人間を切り殺すことに葛藤があったが、命令だからと律儀に従い続けた。  その先の未来にどんな悲劇であるかなど知るハズもなく。 ───X年後───  ピピピという電子音が頭の中で鳴り響くのにあわせてボクはいつものように目覚める。  時刻は朝の四時ちょうど。朝のテレビの再放送(ショーグン・ダンターグ)の始まる時間だ。  百年以上も昔に作られた古いドラマなのだが、ボクは昔からこの番組が好きだ。内容など既に全話記憶しているくらいなのに毎朝テレビにかじりついてSNSで実況するのは辞められない。仕事の都合が悪いとき以外は欠かしたことは無いだろう。  そんな朝のご機嫌な時間を今朝は不用意にぶち壊された。 「大変です。起きてください先生!」  テレビの中で主役の俳優(ケンさん)が見栄を切った瞬間、黒服の男が勢いよくドアを開けて叫んだのだ。  思わず振り向いてボクは見栄を見逃してしまう。  この男はボーズと言う名でいわゆるヤクザ。  彼が所属するミョージンカイは今のボクの雇い主だ。 「起きているよボーズくん。朝も早くから何事かな? 折角のいいところを見逃したじゃないか」 「そんなテレビの再放送を見ている場合じゃないんです。若が……若がヤツらに!」 「なんだって?!」 「これが書き置きです」  ボーズに渡されたメモにはこう書いてある。  ミョージンカイ若頭、ナリアキ・ヴェステンブルフの身柄は預かった。返してほしければオーガ山の権利を手放してミョージンから出ていけ……と。  回答期限は一週間で差出人はオーガ山クランの親方シュヴァハ・オパ。  このクランはミョージン町にあるオーガ山を拠点として活動する格闘技道場であり、過去ミョージンカイを相手に何度も衝突している武闘派集団である。  二十年前の大抗争で一度多くのクランメンバーが死に至り弱体化したが、二十年の間に再び力を蓄えたそうだ。  腕がたつとは一部で知られてこそいるが、流れ者であるボクがミョージンカイに雇われたのもその対策の為だ。  本来ならばボクとしては知らぬ存ぜぬとしたいところなのだが、話を聞く限り義はミョージンカイにある。それにナリアキはボクが弟子にしたいと思うほどになかなかの筋のよさなので、ボクはミョージンカイに協力していた。  そしてボクはナリアキの力量を知っているからこそボーズの報告に驚いていた。 「ヤツらはいったいどんな手段で若を?」 「酒に酔っていたところを狙われたか、それとも寝込みを襲われたか。数に任せたという可能性もあるが、そんな話は聞いていないんだろう?」 「仰る通り。クランの連中がこの辺りを大勢で歩いていたら確実に目立ちますがそんな話は一つも。それに昨夜の若は酒は飲まずに早くから床に向かっていましたので飲み屋で襲われる可能性もありませんし、若の家にある防犯装置が働いていない以上は寝込みでもありません。まったく何が起きたのやら」 「ふむ……ナリアキくんの事は心配だが、まずは何が起きたのかを知るべきだな。とりあえず彼の家に向かうぞ。車を出してくれ」 「了解っす」  何が起きているのかまずは把握するべき。  ボクはボーズの運転でナリアキの家に向かった。  彼はミョージンカイの若頭という地位の前にニシカワ・ヴェステンブルフ組長の実の息子であるが、実家ではなくミョージン町内に借りたマンションに住んでいた。  彼なりに父親と距離を取りたい理由でもあったのかもしれないが、ミョージンカイの中では「女性にモテるナリアキは父親と同じ屋根の下に女を連れていくことに抵抗があった」と噂されていた程度で深いことは誰も知らない。  ボクも女だし彼の家には稽古のために足を運んだことがあるのでミョージンカイの人間にはボクを彼の愛人の一人だと思っている人間もいるくらいだ。 「そう言えば若がいないのなら部屋には入れないんじゃ?」 「それは問題ないよ。前に合鍵をもらっているし」 「マジっすか。先生も噂通り若のコレだったんですね」 「そういう関係じゃないぞバカ。ナリアキくんに頼まれて個人レッスンをしていたので、その時にだ」 「若と先生の個人レッスン……ごくり」 「ん……いいから真面目に運転してくれ」  変なことを気にして変な妄想をし始めたボーズには少し頭が痛くなったが、まあそれだけボクも女として魅力あると思われているのならば気分は良い。実際一度くらいならばご褒美に相手をしても良いと思うくらいにはボクはナリアキが気に入っていた。  ボクの部屋からナリアキの部屋まで時間は車で五分程とすぐである。ボーズの妄想を突っ込んでいるうちに直ぐに到着したので、合鍵を持ってボクは彼の部屋に上がり込んだ。 「……やはりどこにも異常はありませんね」  部屋に上がってからボクたちは手分けして中を改めたのだが怪しいところはなにもない。  荒らされた形跡は一切無くて書き置きなども残っていない。  昨夜ナリアキに何があったのか謎は深まるばかりではあるが、強いて言えば彼の刀も見当たらないことだろうか。  彼は大刀ホクト、中刀ゲント、小刀ナントという三本の兄弟刀を所有していたのだが、そのうちのホクトとナント、それに携帯用にホルスターが台の上から消えていた。  仮にナリアキが何らかの戦いをクランの連中としたのであれば武器としてそれらを持ち出したのも用意に想像がつく。  だがそれならば何故ゲントだけは残していったのであろうか。 「強いていうならばゲントを置いていったことくらいか。ナリアキくんのホルスターなら三本とも持ち運べるハズなんだが」 「ちっくしょう! こうなったら俺が若のところに乗り込んでやりますぜ」 「やめておけ。ナリアキくんを手玉に取るような相手にキミが勝てるとはとても思えない」 「そんなもんやってみなければわからないですよ!」  はやるボーズがゲントを手に持ち飛び出そうとしたのでボクは止めた。  どうみても彼の行動は勇み足だし、それに手に持ったゲントにも問題があったからだ。  刀の素人な彼は気づいていないようだが目釘が揺るんで外れそうになっており、このまま振り回すのは非常に危険な状態である。  行くにしてもそれを直すのが先だろう。 「だから慌てるな。それに目釘が外れかかっているじゃないか。ちょっとこっちに寄越せ」 「めくぎ?」 「束のところに撃ち込んである竹の棒だよ。それがちゃんとハマっていないと刀がすっぽぬけて非常に危険なんだぞ」 「さすがは先生。面目ない」 「これくらい常識なんだがなあ」  ヤクザなのにいまどきは刀に不勉強と言うのもいかがなものかとは思うが、いまどきは拳銃しか使わない方が当たり前なのだろう。  刀を扱う専門家としては少し残念に思いつつもボクは目釘の緩みを直そうと、一旦束から刀を取り外した。  どうせなら点検をしておこうという何気ない行動だったのだが、どうやらそれはナリアキの求めるモノだったようだ。  なかごと束の間に挟まっていたのは小さな手紙。  どうやらナリアキが残していったもののようだ。 「……なんだと?!」 「何が書いてあったんですか? その手紙」 「ナリアキくんの弟についてだ」 「弟? 若は一人息子のハズですが」 「いいから読め」 「なになに……」  ボーズに読ませた手紙の内容を要約すると次のようになる。  ナリアキにはダイゴという生き別れの弟がいて、そのダイゴがミョージンカイとクランの今後を話し合いしたい……と。  手紙に書かれた通りならば、ダイゴは二十年前にミョージンカイの悪行に耐えかねた彼ら兄弟の母の手でシュヴァハに預けられたという。  その時の年齢は物心もまだつかない一歳。そのままシュヴァハの養子ダイゴ・オパとなった彼はシュヴァハの言葉を盲目的に信じているようだ。  救いと言えば曲がりなりにも正義を名乗るだけあり、全面抗争が秒読みになったこの時期にあえてナリアキに接触したのはそれを避けるため。  重ねて言うが手紙に書かれた通りならば、顔も覚えていない兄ナリアキにも兄弟としての情を抱いているそうだ。そしてナリアキの性格を考えれば、弟が生きていたと聞けば彼は疑わないだろう。  この手紙を読んだナリアキが弟との再開と抗争の手打ちのために誘いに乗るのは目に浮かぶ。  だが傍目には手紙の内容が真実だとは到底思えない。  実際に彼が人質に取られた以上、手紙の内容は信憑性を失っていると言ってもいいだろう。 「いくら若でもこんなあからさまな誘いに乗るだなんて」 「悪く言うな。それだけナリアキくんにとっては弟の事は大きいんだろう。死んだと思っていた弟が生きていて、しかも会いたいと言われれば信じたくなるのも無理はない」 「そういうものですかね? 俺にはちょっと理解できませんよ」 「ボクだって会えると言われたらみえみえの嘘でも信じたくなる相手はいるさ。別に不思議じゃない」  再三だが手紙に書かれた通りならば別の可能性もあるのだが今は言っても仕方がない。  ひとまず手紙に書かれていたナリアキが呼び出されたオーガ山中腹にある殺生石をボクたちは目指すことにした。  オーガ山の麓にあるミョージンという小さな町。  ここでは二つの組織が争いを起こしていた。  一つはオーガ山中に拠点を構える格闘技道場「オーガ山クラン」。男を磨くために設立された女人禁制の格闘技道場である。  彼らは男を磨くと言いつつも同性愛に耽り稽古も疎かな連中であり、とてもではないが格闘技道場とは思えない。  あげく正義を自称してこそいるが町民は彼らの恐喝を前に泣く泣く食料を提供しており、揺すりタカりの常習犯と言い換えた方が正しい。  どこが正義なものか。この町に来てすぐに恐喝の現場を目撃したボクとしてはそうとしか言えない連中だ。  二つ目はそんなオーガ山クランに対抗している地元のヤクザ「ミョージンカイ」。町の名を冠した侠客だが本質は大地主で、ヤクザという形態も余所者から町民を守護するために行っていた。  百年と少し前にあった対外戦争とその後の内戦の時代には各地で自警団が求められた為、ミョージンカイのような地主型ヤクザは今でも地方では珍しくはない。  ミョージンカイの存在理由を考えればオーガ山クランは町を荒らす余所者ではないか?  先程の説明だけではそう思うだろう。  だが厄介なことにオーガ山クランはミョージンカイよりも更に歴史の古い団体で、かつては表看板通り男を磨き正義を教えるれっきとした格闘技道場だった。  ミョージンカイの組長ニシカワ・ヴェステンブルフも若い頃にはクランの門を叩いた程で、ミョージン町民もかつては進んでクランを援助していたほど。  その関係が崩れたのは三十年前。ニシカワと入れ替わりで入門した現在の親方シュヴァハ・オパがクランの頂点に立ってからだ。  彼は親方になってから独自のやり方で弟子たちを洗脳し、栄光ある格闘技道場を十年で異常者の集団へと作り替えてしまった。  元クランメンバーとしてシュヴァハの行動に怒りを覚えるニシカワが全面戦争を仕掛けたのが二十年前のこと。この抗争はミョージンカイの辛勝に終わるが、ニシカワは妻と息子そして多くの組員を失ってしまった。  抗争の果てに歴史あるオーガ山クランが壊滅しミョージン町に平和が戻ってきた訳だが、その状況が一変したのが半年ほど前。まるで二十年前からタイムスリップしてきたとしか思えない状態で復活したクランによる恐喝行為が始まってからだ。  シュヴァハは外道にしか思えない。雲隠れしていた間の彼は各地から孤児を集め、物心つく前から彼の望む男へと子供達を育てていたからだ。  学問もろくに修めず徒手格闘の技術だけを学んだ彼らは盲目的な正義を信じる純心さとシュヴァハの命令を絶対として他者を虐げることを厭わない邪悪さを併せ持った歪な青年と言える。  ボク自ら部外者のふりをして接触した感想だが、町民の方々に聞いた限りでも意見は同じである。娼婦に扮して色仕掛けをしてみたときには断られたが、彼らが性的趣向も含めてシュヴァハ好みに育てられたのなら仕方ない。断じてボクが女性としての魅力に欠けていたとは言わせない。  プライドを傷つけられた恨みでは無いがボクはシュヴァハ・オパを許すつもりはない。百人近い子供達の未来を踏みにじるような人間など気持ち悪いとしか思えないからだ。  出発してから三十分程でボクは件の場所に到着した。  道中ボーズから「応援を呼んだ方が良くないか?」と提案されたがボクはそれを断る。それどころかボクは近くまで車で送ってもらった後はボーズと別れて一人でその場所へと向かっていた。  このままミョージンカイの人間と共に乗り込めば全面戦争の引き金となるのではないか?  その懸念からである。 「さて……争った形跡は無さそうか?」  とりあえずボクは現場をあらためて、足跡の有無などからそこで誰かが争ったかを確認した。しかし足跡や残留物は見当たらない。ナリアキが本当にここに来たのかさえ疑わしく思えるほどに殺生石の周囲は綺麗に整っていた。  だがオーガ山の殺生石というのは意外と知名度の高い観光スポットで遠方から週に一人は必ず訪れる場所である。石畳も整備されていて足跡の一つくらいはあって然るべきだが、それすら見当たらないのは不自然だ。 「だが、何も無さすぎるな」  しゃがんだ状態でその事を怪しむボクがポツリと呟いた時である。  ボクは空気の淀みを感じて後ろを振り向き、ボクめがけて飛んでくるつぶての存在に気づいた。  防犯用のカラーボールに似た球体のようで当たったら不味いとボクの頭脳が訴える。  服が地面で擦れて破けることも厭わずにボクは横に一回転してそのつぶてをやり過ごした。  地面に当たったそれは予想通りに弾けとぶと、辺りに異臭がする液体をぶちまけている。  あんなものが当たったら思うと気色が悪い。 「誰だ!」  ボクはつぶての来た方角を睨み、そして袖の下に仕込んでいた暗器を取り出すとその方向に投げつけた。  暗器といっても鉛入りの細く柔らかい棒で目に当たらなければ大事は無いだろう。仮に眼球が潰れてもすぐに病院に行けば再生治療でしばらく入院が必要なくらいで死ぬことはない。  風を切る音に乗って回転する棒は木陰に飛び込み、そして何かに命中したようだ。「痛い」という悲鳴がその証拠だ。  駆け寄ってみると一本筋の形に腫れた腕を押さえる小太りの青年が一人うずくまっていた。  ボクは彼の顔に見覚えがある。この後知るのだが名前はミナジと言うらしい。 「キミは……たしかオーガ山クランの子か? いきなり何をしてくるんだ」 「そっちこそ何を投げてきたさ? 痛いじゃないか」 「先にやったのはそっちだろうに」 「痛!」  ボクは軽い拷問を兼ねてミナジをビンタした。脂肪の詰まった彼の頬はパチンといい音色である。 「あんな臭いモノをぶつけられたら鼻が曲がるじゃないか。どういうつもりだ」 「女?! じゃあ、あんたはミョージンカイじゃないのか。す、すまねえ」 「謝罪は受け取っておく。だが事情は説明させてもらうよ」 「俺はここにミョージンカイの連中が来るのを待ち伏せしていただけさ。そったらあんたが長物背負ってやって来たのでつい攻撃しちまったさ」 「とりあえず話はわかった。武器を持ち歩いていたのだからボクも警戒されても仕方がない。ついでに聞くけど、どうしてここにミョージンカイが来ると思ったんだい?」 「親方の言うことだ。間違わないさ」  やはりシュヴァハの差し金か。  ボクは心の中で呟き、そして今回のことが彼の絵図であると確信を持った。  ボクとしてはナリアキとダイゴが狂言を働いた可能性も考えていたが、仮にそうでもシュヴァハに利用されたのなら同じことだ。 「なるほどね。だったらもうひとつ聞いてもいいかな? ミョージンカイの若頭が何処にいるか知らないか。キミたちが身柄を預かっているそうだけど」 「お、おめえさ」  ボクがミョージンカイの名を出したことでミナジは顔色を変えた。  腕を引いて力のこもった張り手でボクを狙うが、ボクは体を半身にして容易くそれを躱す。  すれ違う腕を横からつかんだボクは相手の勢いを利用して彼を組伏せて、腕を捻り上げて動きを殺した。後はこのままインタビューを続けようか。 「やるでねえか……?!」 「力自慢なんだろうけれど、こうなったら簡単には外せないよ。悪いことは言わないからさっきの質問に答えてくれた方が身のためだよ」 「その前にひとついいか? おまえさにとってあの男はなんだ。あんなクズの為にクランに乗り込んで死ぬつもりだなんて不憫でさ。まったく女ってのは理解できない生き物でさあ」 「キミだって親方の命令ならば無謀な相手にも挑むんだろう? それと同じさ」 「そこまで惚れているんなら認めてやるさ……おらたち全員をどうにか出来るんならな!」  ミナジの口振りは伏兵がいるという意味か。  それに気づいたボクが飛び退くと、避けなければ直撃コースの位置を弓矢が通りすぎた。  空気に混じる僅かな異臭は先程のつぶてと同じものだろうか?  今の矢は当たったらまずそうだ。  ボクから解放されたことでミナジが立ち上がると、ボクの後ろには二人の新手が近づいてくる。彼らも素手なので先程の矢を放った誰かは別にいるようだ。  ボクは木が邪魔になるのを避けるために石畳まで移動して追ってきたミナジを睨み付けた。 「言っておくけれど先に手を出したのはキミたちだ。痛い思いをする覚悟は出来ているんだよね?」  ボクはホルスターで背負っていたうちの一振りを抜き放ち、前方のミナジへと向けて言い放つ。  抜いたのは硬く粘りのある木刀で、刃物ではないがそのぶん相手を制圧するための武器としては便利な代物だ。  ボクは自慢ではないが現代最強と呼ばれた剣術家ゲッタン先生から流派のすべてを受け継いだ後継者だ。いくら相手がガチムチの格闘家であっても負ける気は毛頭ない。 「おめえこそそんなもん持ったからってイイ気になってねえか? 木刀なんて親方のシゴキで慣れっこでさあ」 「じゃあその汚ならしいなめ茸は狙わないでおこうかな!」 「!!」  ミナジはボクが調子に乗っていると思ったようだがそれは間違いだ。むしろ彼の方がボクを女だと思って見くびっていた。  下段に木刀を下げて一見すると無防備な構えで近づいたボクは一刀足の間合いに入った瞬間に彼の顎を一突きで貫く。  ミナジは百キロを越えた自慢の巨体が女の細腕に押し飛ばされたことに驚いたようだが、こうも綺麗に決まればそれどころではすまない。  顎を貫いた衝撃は首と脳を揺らし、ミナジは起き上がろうとしても世界が逆に回転するような悪寒で起き上がれなくなってしまう。 「ミナジが一撃で?!」 「女の柔腕で尻餅つくなどミナジが油断してただけさ」 「んだな。それにこっちにはナスノとヨーチもいるんだ。あんなオナゴ一人におらたちがどうにかできようか」 「おーい女。ミナジを倒したくらいで勘違いするんじゃねえさ。今だったら泣いて土下座すれば許してやるさ。まだ二十歳も過ぎてねえ生娘なんだろ? このままおらたちに嬲られて嫁にいけなくなっても知らんぞ」 「笑えない冗談だね。キミたちはシュヴァハ・オパに幼いころから純粋培養されたあっちの趣味だと聞いている。現にそこにうずくまってるミナジくんはボクが相手じゃ乗り気がしないって前に言ってたぞ。ボクの相手が出来るのかい?」 「だからオナゴはバカなんさ。興味がないからこそいくらでも残忍に嬲れるってもんさ」  この先程からボクを嬲ると言っている男の名はボラーボ。この場にいるクランの門弟では最年長で、勿論腕っぷしも一番を自負していた。  表看板に過ぎないとはいえ正義を掲げるオーガ山クランとしては下劣な品性をもつこの男。むしろこのくらい下衆のほうがシュヴァハ・オパにはお似合いだろうか。  ボラーボが腰を落としてぶちかましの構えを取ると、その横にいたトドマが小走りでボクの後ろに回り込もうとする。双方の動きを注視するボクの隙をうかがってのモノだろう。ビュンビュンと二方向から矢が翔んできて、ボクはそれを避ける。  タイミングを合わせた射撃は厄介ではあるが二人ならまだ緩い。あと何人かいたら当たってしまいそうだと思いつつも涼しい顔でボクが避けること三回目、力を溜めていたボラーボはついに走り出した。  距離があるので左右に逃げるのも手なのだが、おそらくそうなれば弓矢がボクを逃がさないだろう。かと言って正面から立ち向かおうモノなら虜力と脂肪の鎧に任せたぶちかましにボクもやられてしまう。  加速のついた百キロ越えの肉の塊はそれだけで危険な存在だ。本身で対処しようモノなら眼前の彼を斬り殺すことになるし、一方で木刀では強度が足りない。  ようやく手に馴染んできたお気に入りだったのになとボクは惜しむが、そんな雑念は刹那で忘れて正眼に構えた。 「水月!」  その構えからボクが放つのはただの突きだ。  あえて言えばそれは教科書のように丁寧で、体重が乗って力強く、そして速い。  狙いは右肩だが腕を前に出した状態で迫ってくるので腕ごと穿つ。鈍い音と共にボクの切っ先とボラーボの右手が衝突したが折れたのはどちらか。 「フハッ!」  痛みを忘れるほどの興奮なのだろう。鼻息の荒いボラーボの左腕がボクの顔の横に迫る。  先程の衝突でボクは木刀を手放しているのでボラーボの鼻息は勝利の確信であろうか。  飛び退いて間合いを取るという選択肢も無くはないが、背後にはトドマが待ち構えているのでその選択はノーだ。  ならばボクはどうするか?  それはこの後すぐ。 「ん!?」 「なんて身のこなしだ」  ボクの動きにボラーボたちは驚いたようだ。  先程の突きでボクが木刀を手放したようにボラーボも肩が開いて右腕が使い物にはならなくなっていた。  そのため前に出ていた彼の右足のあたりはちょうど一瞬の死角になっていた。ボクはそれを見逃さずに懐に飛び込むと、膝を踏み台にしてボラーボの頭上を取ったのだ。  こうなればボラーボの背中は無防備なので、あとはトドメ刺すだけだ。落下の勢いに任せて首筋に拳を突き立てたボクは、ベッタリと密着して地面に彼を押し付けた。  俗にいうカーフブランディングで自重を地面に強く叩きつけられたのだからひとたまりもない。そして密着していたからこそボクが起き上がるまで隠れている射手も手を出せない。 「キミにはちょっと贅沢だったかな?」  ボクは失神するボラーボに軽口を手向けてから立ち上がった。 「まだやる? これ以上は怪我じゃすまなくなるけど」  当然だ。木刀が使えなくなった以上、残る本身で戦えば死人が出てもおかしくない。  僕としてはこれ以上はいくさになるという警告である。 「バカはおめえさ」 「んだんだ」  だがボクの威嚇とは裏腹に隠れていたナスノとヨーチが木陰から顔を出すと、声高らかにボクを罵った。 「見た目によらず強いが、不潔のボラーボに触れたのが運のつきさあ」 「強気でいられるのはあと数分だぞ女っ子。嘘だと思うんなら手にべっとりついた垢を見てみればわかるってもんさ」  挑発だあんなもの。  そう思いつつもちらりと目をやったボクの右手はなにかが付着して湿っている。  彼らが言うとおりならば垢なのだが、こんな粘土のような垢なんて見たこともない。 「頭が回るうちに教えてやるさ。ボラーボはろくに風呂に入ってねえから貯まった垢がカサブタみてえに身体中を覆っているんでさあ。その垢の鎧にはおめえみたいな強いやつと戦った時に最後っぺに使う予定で毒を染み込ませていたんでさ」 「像でも眠らせる麻酔薬。そろそろお眠の時間でさあ」  たまらず気色悪いと袖でぬぐっても手遅れのようだ。  ボクは彼らが言うとおりに麻酔薬が体を駆け巡っていくのを感じ取った。  自覚できるくらい強力な麻酔薬。  皮膚接触ですらこの強さにはいくら垢でガードしたと言われても常に触れていて平気なボラーボがどんな体の作りなのか聞きたくなってくる。  これはボクも彼らを見くびっていたか。  そう思い身動きを止めたボクを彼ら三人は取り囲んだ。 「ミナジだけでなくボラーボまでのめすほどの女っ子だなんて、これは親方の前に連れていくべきだと思うでさあ」 「んだな。親方に尋問してもらうでさ」 「そったらヨーチは予備の弦を持ってるだろ? あれで縛るのがいいさ」 「名案さあ」  ピンと空気を伝う弦の音。  瞳を閉じたボクは彼らに抵抗ひとつすることなく縛られて、そして担がれた。  ゆさゆさと揺らしながら歩く彼らの目的地はクランの本拠地だろうか?  面倒なのか背中の刀ごと縛られたことを感謝しながら、ボクは男たちの背に揺られる。  よくよく匂いを嗅げばボラーボ程では無いにしろ彼らの体は汗くさくて少し気分が悪くなる。シュヴァハはこんな汚い男が好みなのかとボクは吐き気を押さえる。 「───親方は?」 「ダイゴと稽古中でさあ」 「そったら暫くかかりそうか。んじゃコイツをどうするか考えなきゃけねえでさ」 「そんなもん地下でいい。部屋にあげても気分が悪いさ」 「それはダメだ。ミョージンカイと関わりがある女っ子をミョージンカイと一緒にするのは危険でさあ」 「んなら身ぐるみ身ぐるみ剥がして素巻きにするのはどうさ?」 「名案でさあ」  オイオイオイ。  身ぐるみ剥がして辱しめるなんてやめてもらおうか。  ここに至るまでの彼らの会話を聞いていたボクは心の中で呟く。  会話の内容からここの地下にナリアキが囚われているのがわかったが、さてそれはどこであろうか。  薄目で辺りを探る限りでは地下に通じていそうな階段の類いは見当たらないが、年長そうな髭面がちょうど竹刀を肩に担いでいる。  これ以上は演技したら手遅れになりそうだしそろそろ終わりにしようか。  まだボクが気絶していると思い込んでいる彼らがボクを縛る弦をほどいたのに合わせてボクは動き出した。 「イツァ!」 「どうした?」  手首に隠していた鉛仕込みの棒を両手に持ち、勢いよくしならせてボクは背後の二人……ナスノとヨーチを叩く。  痛みに怯む彼らの眼を盗んだ後は巻き付いていた弦がほどけてたるむのも構わず、竹刀を持つ男を目指す。  手にあるそれは汚いので早々に拭いたいが今回だけは利用させてもらおう。男の顎を掌底で穿った直後、手についた垢を顎髭で拭う。  思った通りに麻酔が効いたようで彼は失神した。ボクは竹刀を奪い取ると、呆気にとられる男たちを無視して中に乗り込んだ。 「女っ子が逃げたぞ!」 「奥に追い込め!」  ボクはあえて彼らの誘いに乗るように本拠地の奥へと進むこととした。ボクを逃がさず囲むのが目的ならばその先には逃げ道がない。つまりナリアキが捕まっているという地下室に近いのではないかという推測だ。  目の前に褌一丁の男たちが立ちはだかるが、ボクはそれらを竹刀で突き飛ばしながら進んでいく。百人規模で共同生活しているだけあってこの本拠地は随分と広い。  そろそろ奪った竹刀もくたびれてきた。  こうなったら本身を使うしかないかと心配していたのだが、どうやら間に合ったようだ。  襖一枚を隔てて先がない建物の奥にまで到着したので蹴破って中に入るとそこには数々の拷問器具が乱雑に置かれていた。  直前まで誰かを拷問していたのか部屋の中には湿った空気が漂っており、脂汗と血反吐が混じった生臭い匂いが充満している。とりあえず竹刀を投げ捨てて足元の鉄パイプをボクは拾い上げた。  この拷問部屋は他が板張りだったのに対して畳が敷かれているので靴越しだと少し変な感触を受ける。  この下に敵が隠れてやいないかと気を張るボクに男たちが追い付いてきた。  先程見た顔のうち最後の一人、トドマが先頭である。 「拷問試し……受けてみまさあ?」 「お断りだね。それに女人禁制のオーガ山クランを女の血で汚すのはキミたちの流儀に反するんじゃないのかな」 「おらたちは女がクランに入門するのを禁止しているだけで、女を侮辱しているわけではありませんさ。実際入門したいとやって来た女なんて、三日も持たずに全員泣き出しまさあ」 「へえー。ついでに聞くけれど、その女の子たちはどうなったんだい?」 「親方の紹介で他所に行ってもらったでさあ。そこから先のことまではおらたちに聞かれても知りませんさ」  トドマはこれ以上は語らないという意味なのだろう。壁に立て掛けてあったイボ付き棍棒を拾い上げるとそれを肩で担いだ。  トントンと背中を軽く叩く仕草からは使いなれた雰囲気が感じ取れる。  彼の後ろには十人ほどの男たちが他にもいたが、そのうちの半数はまだ華奢な子供だった。武器をとるなり身構えるなりして戦闘体制に入ったのは恰幅の良い大人だけで、まだ見習いであろう子供たちはスクラムを組んでボクを逃がすまいと壁を作っていた。  少年たちの震えるような目線は敵であるボクを憐れんでいるのか、それとも兄弟子たちがこれから行うであろう惨状の苛烈さを予想させるものだろうか。 「やるぞ!」 「せいや!」  トドマの号令に合わせてまずは後ろの二人が球技用のボールを投げてきた。握り拳大で皮張りの硬いそれが時速百キロ以上で接近してくる。  ボクは競技の要領で鉄パイプを盾にしてボールを弾くと、その衝撃でしびれていると予想して突進を仕掛けてくる隻眼の男の首筋をパイプで撃ち据えた。  力で制するのには二歩ほど加速が足りないし、仮に加速が足りていても鉄パイプの強度ならば木刀のように折れはしない。  要するに見くびられていたからこそ容易くボクは彼を落とせた。 「なんだと?!」  遠吠えと共に最初の一人が気絶してからはまさにボクの乱戦無双が繰り広げられていく。  一人一人が異なる武器あるいは素手で襲いかかってきても結局は一対一の繰り返しでしかない。  ボクは冷静に一人ずつ彼らを殴り倒すだけで良いのだから先程の殺生石前と比べて楽な相手だ。  急所を撃ち据えられて悶絶していく男たち。  トドマも三番目に倒されており、ものの数分で残りは若い少年たちだけとなった。  彼らは兄弟子たちがいとも容易く倒されていく様子に怯えているのか小便を漏らすものもいる始末。  彼らの目にはボクは悪鬼のように見えているのだろうか? 「聞いてくれ。ボクはミョージンカイの若頭、ナリアキ・ヴェステンブルフを引き取りに来ただけだ。大人しく彼を返してくれるのならばキミたちに危害は加えない」 「あ……あ、あ、あ……」  だがそれにしても少年たちは怯えすぎではないか。  よほどナリアキを渡すことが嫌なのだろうか。  いや、正確にはシュヴァハの命令に背く行為を怖れているのかもしれない。 「おや……かた……」  そして彼らのうちの一人が呟いた。  ボクの後ろには使った跡がある拷問器具しかないのだが、畳の下にでも隠れていたのだろう。  怯える少年たちの口に吸い込まれていくかのように生臭い空気が部屋の入り口に向けて流れ始める。  彼は振り向いたボクの後ろに腕を組んで立っていた。 「何処に隠れていたんだい?」 「それはワシの方が聞きたいくらいじゃカネサダ」 「?!」  シュヴァハのまるで昔からボクのことを知っているかのような口ぶりに驚いたのは彼以外のその場の全員。  ボクには彼との面識などないのに、いったい何を言ってるのか。 「キミは誰だ? 初対面なのに随分と馴れ馴れしいじゃないか」 「知りたければ着いてこい。それとお前たちはそこで待っていろ」 「押忍!」  少年たちに待機を命じたシュヴァハが少し頷くと、彼が立っている位置がゆっくりと下がり始めた。  どうやら地下室に通じる舞台の奈落に似たエレベーターのようだ。  ボクは空いた穴を側面伝いに降りていくが随分と深い。手の込んだ仕掛けの意味に小首を傾げながらもボクは彼を追う。  降りた先は明かりも乏しい洞窟のようで少し肌寒かった。  追い付いたボクを出迎えたシュヴァハは暗闇の中、蝋燭一本の明かりだけで歩み寄ってくる。  顔だけが空中に浮かんでいるようなその姿は不気味の一言。 「お望み通りに来てあげたぞ? さあ、質問に答えてのらおうか。ついでにナリアキくんも返してもらうぞ」 「その前に一つ聞いておきたいことがある。キサマにとって人間とはなんだ? 何故にナリアキ・ヴェステンブルフを助けようと思っている?」 「顔に似合わない質問だな。ナリアキくんを助けたいのは彼を個人的に気に入っているのとミョージンカイからも用心棒を頼まれているからそのついでというだけさ。人間なんてみんな違うんだからひとくくりにしてどうこう言うつもりはないよ。例えば……キミはどうやら腐れ外道のようだけれど」 「ワシが外道か。弟子たちの前では口が裂けても言えないが同感だな」 「あっさりと認めるだなんて随分と肝が座っているんだな」 「肝か……フフフ……フハハハハ!」  肝が座るという慣用句を聞いて笑い出すシュヴァハ。  いったい何が可笑しいのか意味がわからず、ボクの表情は不快感で歪んでしまう。 「何がおかしい?」 「ワシにはそんなものないからな。つい笑ってしまったわ」 「???」 「ワシはオートマタンだ……お前と同じな!」  元より歪んでいたボクの顔はシュヴァハの告白でいっそうに歪んでいた。  こいつがオートマタンだと?  昔から同類にも人間同様に反りが会わないヤツが居たのは否定しないが、嫌悪感を覚えるほどに会わないと感じた相手は目の前の彼が初めてかもしれない。  確かに彼の言うとおりボクもまたオートマタンだ。  強力な麻酔薬を受けても「眠ったふり」をして容易くここまで運んで貰えたのもボクが人間とは異なる存在だからこそ。  この時代オートマタンと言うものは珍しいのもありボクはその事を隠している。シュヴァハが場所を変えたのも弟子たちに知られたくないという意味なら納得の行動だ。  だがいくら同じオートマタンだからと仲間扱いされたくない。  ボクは拒絶の意味でシュヴァハを睨み返していた。  オートマタン───それは百数十年前に実用化された人間を模した機械人形のこと。  色々あってこの国では廃れたが、ボクのように今でも健在な個体は意外と多い。  ボクの場合は生身の女性としての機能を全て兼ね備えたタイプなので黙っていれば人間とほぼ同じである。なのでボクのようなタイプの生き残りは百年前ならいざ知らず、現代では不必要にオートマタンであることを表のせずに生活するのがセオリーだ。  心まで持っているボクの場合は恋愛したり欲求に流されたりとすることすらあるのだが、裸で抱き合った程度ではボクがオートマタンだとわかる人間もまず居ないだろう。  見たところ人間にしか見えないシュヴァハも同タイプのようなのだが、それにしても何故ボクのことを知っていたのだろう。  戦時中の僚友にしても彼のような外道は記憶にない。 「ブラフかもしれないけれど一応その話は信用させてもらうよ。だけどボクのことを知っているのはどういう了見なのさ」 「アンタは自分で思っている以上に有名人……いいや、有名マタンと言うだけのことだ。その上で当代一の剣の腕を見込んで一つ提案したい。ワシの仲間にならンか? ミョージンカイを滅ぼしたあかつきにはこの街の半分をアンタにやろうじゃないか」 「外道を自称するだけあって勧誘に裏切りの提案か。お前のような外道を信用できるものか」 「ワシにとっての外道とは弟子たち人間とは根本的に異なる『道を外れた者』……つまりいくら人間の見た目をしていてもオートマタンだという話に過ぎんぞ? 弟子たち人間はいくらでも替えのきく消耗品だが、百年前の英雄……大剣士クジカネサダを駈る英雄カネサダは至高のワンオフ。それが仲間になると言うのなら約束を違えられるはずがあろうのか」 「詭弁だね。だったら何か? キミにとって人間なんてペットと同じだって言うのかい」 「愚問だな。そんな当たり前のことを確認するなど。アンタはよほど人間に染まってしまったと言うことかカネサダ」  同じオートマタンでもこうも意見が噛み合わないのかとボクは変な汗が額に滲んだ。  少なくとも心を持つオートマタンは多くの場合「人間のパートナーとして産まれてきた」個体が多く、シュヴァハのように人間を人間として扱わない者は珍しい。戦争後に起きた争乱の時代には反人間側の立場を主張したオートマタンにはよく見られた傾向だと聞いたこともあるが、ここまで頑なタイプは初めてだ。  シュヴァハの主義の根底はいったい何なのだろう。 「ボクの場合は人間だとかオートマタンだとか、そういうので区別していないだけだよ。逆に言えばキミの方が『モノとして扱っている』ぶん人間というものに固執しているくらいだ。シュヴァハ……キミは何者だ? 何が目的でこんな粗悪な人間牧場みたいな事をしている」 「ワシはこのミョージンという街のごみを漁るために産まれた一介の掃除屋。この街に巣くうごみを片付けて、その中にある宝を拾うことこそが自我を持つ前から続いている存在理由。人間の弟子たちはそのための駒にすぎんよ。彼らも人間に捨てられたごみのような存在だったのだから、むしろワシに拾われてようやくまともになったくらいだ。今ではその先の目的もあるが……それは仲間になるというのならば教えてやろう」 「さっきも言ったがお断りだ。これ以上は何を言おうと平行線だろうから、さっさとナリアキくんを返して貰えないか? ごみ掃除が目的ならばミョージンカイと潰しあいをする前に片付けるものが山ほどあるだろうに。例えば……キミの弟子たちにこびりついた汚い垢とかさ」 「残念だ。出来れば同士として丁重に迎え入れたかったのだが」 「弟子たちの格好を見れば丁重だと言われても程度が知れるよ」 「フフ……フハハハ!」 「?!」  シュヴァハの意味不明な受け答えのせいで平行線をたどっていたボクたちの交渉は突如打ち切られた。  急に笑いだしたシュヴァハが口を閉じると、普通の人間なら失明しかねないほどの光量で輝いたシュヴァハが大きな音と共に爆ぜたのだ。  表面のゴムは高熱で焼けただれ、飛来する破片は灼熱を帯びたベアリング弾。不意打ちな上に狭い場所ということで避けることも叶わないまま、ボクはその雨を浴びてしまう。  とっさに鉄パイプで弾いたのだが無数のベアリング弾を一閃の元に全て叩き落とすのは流石に無理か。  肩、脇腹、太もも、それに眼。  左半身に浴びた弾丸はボクの力を削ぎ落とした。 「目の前のワシが頭だけの偽物だと見抜けないとは。随分となまくらになったものだ」 「ぬかせ。この程度でボクを倒したとは思わないことだな」 「倒すつもりはない。ただ……身動きを封じた後は丁重に磨きあげて、かつての栄光にふさわしい姿へと鍛え治してやるだけだ!」  後ろから現れてドタドタと地響きのような踏み込みで加速するシュヴァハは弟子たちとは一線を越えていた。  二百キロ近い重量の巨体が時速百キロを越えて飛び付いてくるのだから当たったらひとたまりもない。  ボクは紙一重でかわそうとするが先程のダメージで体が思う通りに動かない。避けきれずシュヴァハの肩を掠めてしまい、その衝撃で弾き飛ばされたボクは鉄パイプを放り投げていた。 「これが最後の通達だ。電脳(なかみ)を弄られたくないのならばワシらの仲間になれ」 「やなこった。本当にボクの電脳(こころ)を弄りたいのならばやってみるがいい」 「人間と同じ扱いはしたくはなかったが……残念だ」  まだ起き上がっていないボクをこのまま押し潰してしまうつもりなのだろう。  軽快に飛び上がったシュヴァハは体を玉のように丸めると、ぐるぐると回転しながらボクの上に飛びかかってきた。  早く逃げないと潰されてしまうが足とお腹が痛くて思うように動けない。体のなかを流れる人工血液が傷口から溢れて力が抜けてしまっている。  ボクの肉体は人間のそれを忠実に再現しているのだが、それ故に人間ならば死ぬほどのダメージを前にするとこのように体が不調になってしまう。  痛みも感じるので激痛で悶絶しそうで額には変な汗まで流れている。ボクがオートマタンでなければ死んでいたぞと突っ込みたいが、目の前の相手には通用しない冗談だろう。 「あが……がああ!」  ボクは脇腹の傷口を強引につまんで流血を押さえると、一瞬の血の圧で絞り出した強力で体を転がしてシュヴァハの攻撃を寸前で回避した。  そのまま壁まで転がったボクは勢いを利用して起き上がる。ふらふらとする思考の中で衣服を裂いたボクは流血の酷い脇腹と太ももの傷をその布切れで塞いだ。 「あくまで足掻くか」 「足掻いているのはキミのほうさ。当代一の剣豪に本身を抜かせて、無事ですむとは思わないことだよ」 「ワシの皮膚の下は超ジェラルミン繊維製の機甲筋肉(アーマード・マッスル)だ。切れるものなら切ってみるんだな」  ボクはホルスターに納めたまま封じていた愛刀を無事な右手で抜き放ち、そして肩にかついだ。  この刀は師匠であるフジ・ゲッタンから継承された由緒ある刀であり名をイズミ・カネサダと言う。  ボクの名にあるカネサダの命名元である古い名刀「カネサダ」の一振りで、博物館に持っていけば文化財として買い取りたいと言われて当然の貴重品だ。  そんな刀をボクは普段から持ち歩いているが、実際に使うことはなかなかない。何故なら一度抜いてしまえば、後は命のやり取りになってしまうのだから。  ボクの剣術は大本をたどれば人殺しの技術に他ならないが、ボクがこれを修めたのは次世代へと継ぐ為。決してこの技で誰かを殺すことが目的ではない。  だからこれを抜くのは相応の覚悟が必要なんだ。今回ならばボクを殺してでも手に入れようとするシュヴァハから身を守るため。利己的だが死にたくないと言う気持ちは軽くはない。  それに相手がオートマタンと言うのはその点でボクにとっても気が楽だ。無力化するために手足を切り落としても殺してしまう心配がないのだから。 「attack(どすこい)!」  ボクの構えから自分から見て左側しか攻撃できないと読んだシュヴァハは左腕を盾にしてボクに向かってくる。  例え一太刀受けようとも、腕で受け止めれば喉輪に捕らえられるという判断なのだろう。  右腕が下からつきあがってボクの喉を狙い澄ましている。  ボクはそれをかわそうとはせずに、間合いに入るのに合わせて刀を振るった。 「捕まえた!」  興奮した様子のシュヴァハは高らかに叫ぶ。  今にも折れそうな程に細いボクの首を取り、ボクを軍門に下したとでも言っているかのように。  しかし実際にはそうはならなかった。  空振りした右腕があらぬ方向に飛んでいき、バランスを崩したシュヴァハは事切れたように倒れたからだ。  激突の瞬間、刀なので当然ながらリーチの広いボクの横凪ぎは刃筋を正確に通し、シュヴァハの右腕をハムを切り分けるかのように容易く内部フレーム()ごと切り飛ばしていた。  そのまま切っ先はシュヴァハの分厚い首にまで届き、皮一枚残して喉と中身を切断する。これらの欠損で慣性制御に狂いの生じたシュヴァハの喉輪は狙いが定まらずそのまま倒れた。  しゅうしゅうとシュヴァハの傷口からがガスが漏れ始めている。何が起きたのかわからないままもがくシュヴァハの姿はどこか哀れものにボクには見えた。  動けなくなったシュヴァハを捨て置いたボクは足を引きずりながら奥へと進む。  血生臭い匂いを纏っていたシュヴァハの様子を考えれば捕らわれたナリアキは拷問でかなりの傷を負っていそうなので、早く助けなければとボクは無理を押し通す。  本音を言えば少し休んで血を補充したいのだが辛いのはナリアキも同じだと気力を振り絞る。  当て布で出血を押さえたお陰かゆっくりとだが調子を取り戻し始めるのをボクも感じてきた。ずりずりと引きずる足の速度が早まり始めたところで、ボクは明かりの元へとたどり着いた。 「無事かい?」 「せ、せんせい……」  そこにいたのは肌が焼けそうなほど強い明かりで照らされたナリアキと恰幅のいい男がもう一人。  息が荒いがはっきりと返事をするナリアキの姿を見て、ボクは無事かと薄目の胸を撫で下ろす。  だが隣の彼は何者なのだろう?  力なく吊るされている彼からはまるで精気が感じられない。  ミョージンカイの人間でも無さそうだし、クランの人間ならばナリアキと一緒に拘束されている理由がわからない。  その見た目は隣にいる男によく似ていた。 「すぐに助けてあげるよ」  ボクは移動中はホルスターに納めていた刀を再び抜いて、豆腐でも切り分けるように軽々と檻を切り落とした。  からんからんと音を立てて崩れ落ちることからもわかる通りに鋼鉄製の格子だがボクには苦ではない。  先程のシュヴァハもそうなのだが、いくら硬いものだと言えども刃物と言うものはしっかりと刃筋を通せば大抵切断できるものだ。  ほんの少しでも刃が食い込むのならば、そのまま中まで刃が通って最後には切断できてしまう。慣れないと硬いものに当たった衝撃で乱れてしまうのでやるのは難しい事だが説明すると至極簡単な理であろう。  ペタンと地面に降りたナリアキは肩で息をしており、出来ることならばボクも肩を貸してあげたいところ。だがこの傷ではちょっとそれは辛い。  あとは隣の男も助けるべきだろう。ひとまずナリアキと同様に鎖を切って地面に下ろしてみたが一向に返事がない。  こうなればナリアキに聞く意外に彼が何者かの手がかりもない。外見とこれまでの話から大方の予想はついてはいるが。 「そっちの彼は?」 「さあね。シュヴァハに逆らって信じていたヤツに殺された哀れな男さ」 「なあナリアキくん……ボクはキミが部屋に残していった手紙を見てここにやって来たんだ。だからキミの弟がクランにいたと言う話も知っている。もしかして彼がそうなんじゃないのか」 「違いますよ。ダイゴが生きていたなんてシュヴァハの考えた出任せでさあ。まったく、俺も情に訴えられてヘマしちまいましたよ」 「それにしてはキミとよく似ているじゃないか。兄弟みたいだぞ」 「コイツは真っ赤な嘘をそれらしく見せるためにヤツが用意した替え玉でございまさ。だいたいダイゴが生きていてたら、俺みたいに顎が太い熊髭生やした男になんてなりませんさ。アイツは母親似の美少年だったんだからよ」  口では偽物の弟だと語るナリアキだが頬には涙が伝っていた。  仮にも自分の弟を名乗った男が死んだことに思うところがあるようだ。 「この男は偽物のくせに演技にのめり込んで自分を本物のダイゴだと思い込んじまったようなんさ。だからヤツに逆らって、その結果拷問されて死んじまったさ」 「それは……報われない話だね」 「机の上にヘッドセットが置いてあるでないですか。ソイツを使って頭の中を弄くり回せるそうで。先生が来なかったら俺もクランの連中みてえな糞野郎にされていたところでしたよ」 「人格すら書き換えられるだなんて危険な代物じゃないか。どうする? 壊しておこうか」 「持ち帰るだけにしておきまさ。コイツで洗脳されたヤツが居るんだったら、逆に洗脳を解くのにも使えそうですし」 「ではそうしようか」  それからここまで来る間に起きたことをナリアキに説明するのを兼ねてボクはしばしの休息を取った。  幸運にも地下牢には水道が通っていたので、失った体液を補えたのはありがたい。人工血液の精製が間に合わなくても水増しすればだいぶ体も楽になるものだ。  好調時の半分ほどまで回復したボクはナリアキを後ろに引き連れて、途中で落とした鉄パイプを担いで地上に戻った。  その際にナリアキには撃ち取ったシュヴァハの首を持たせて彼らの親方をボクが手にかけたことをアピールし、あえて彼らのヘイトを僕に向けた。  どうせボクはこの街では外様だ。  ボクだけが悪者になればこの抗争も丸く収まるだろう。  そんな目論見ではあったが、実際にはそうならなかった。  シュヴァハという親方を失った彼らがボクに向けたのは敵意ではなく困惑の眼差し。コンパスを失った彼らには敵討ちという考えも無いようだ。  先にボクが倒して気絶したままの兄弟子たちはまた違うのかも知れないが、まだ二十歳にも満たない弟弟子たちは失意で膝をついていた。 「オーガ山クランは今日で終わりさあ! 行き場のないお前たちはこれからは俺が面倒を見る。来たいヤツはついてこい!」  結果、自分の意思を持たない少年らはナリアキの一喝に従いミョージンカイに下っていった。  全員がそうなったわけではないにしろ、クランの半数はナリアキを新しい心の支えにしたようだった。  残り半数は時を見てミョージンカイに最後の戦いを挑むのはさもありなん話なのだが、それはまた別の機会に語るとしよう。  ナリアキの誘拐事件はこうして幕を閉じ、ミョージンカイとオーガ山クランの抗争も一応は終わりを迎えた。  結末だけを言えばトーコ・カネサダという飛び抜けて強い余所者が単身で拠点に殴り込み、首魁を撃ち取ってしまう呆気ない話と言えよう。  ボクとしては壊滅したクランに居座った残り半数には確実に恨まれているであろうし、かといって返り討ちにしたところでキリが無いのでこれ以上は関わりたく関わりたくなかった。  少し無責任だがこの街ともお別れだろう。 「先生……その服は?」  別れの挨拶を兼ねてミョージンカイのニシカワ組長宅に向かったボクの前にはナリアキがいた。別居しているので居ないと思っていたのだが、居るのならばついでに挨拶をしてしまおう。  そう思っていたボクにたいして彼はいきなり服のことをたずねてきた。いつもと同じ格好なのだが何がおかしいのだろうか。 「何か付いているのかい? いつもと同じだと思うのだが」 「いえ。先日の戦いで血まみれになったうえに穴も空いてボロボロになっていたじゃないですか。いつの間に直したんでございまさ」 「この服はお気に入りだから予備も用意しているだけさ。意外と間が抜けているんだなキミ」 「それは失礼。と言うことは、あのときの服はもう捨ててしまいまさ? 言ってくだされば仕立屋に頼んで直しておきましたのに」 「そこまでしなくてもいいさ。ボクの旅行鞄にはあと五着同じ服があるし。それとも……キミはボクの来ていたあの服が欲しかったか? けっこうムッツリスケベなんだなナリアキくんは」  ボクはちょっとしたサービスのつもりでナリアキに抱きついた。旅立ちの節目だし御無沙汰なので、彼が応じるのならばボクも満更ではない。 「そ、そんなんじゃないさあ」 「ナリアキくんがその気なら、今夜の相手に選んでくれてもいいのに。まあ、キミはモテモテだろうから女には困っていないんだろうけど」 「先生が相手じゃその……なんだございまさ……」 「ボクじゃ興奮しないって言うのか?」 「そういう事ではなく行くて、先生には遠慮してしまうんでさあ」 「むっ!」 「それに今日は親父に話があるんでございましょ? 無駄話はそれくらいにしたほうがいいでさあ」 「連れないな」 「どうかご勘弁を。剣の稽古なら一晩でもお付き合いさせていただきまさあ」 「それは……また今度な」 「ええ」  ボクはまた今度と口約束したがそれが何時になるかは言わなかった。  ナリアキもニシカワへの挨拶を済ませたらボクが旅立つのを察してはいるのだろうか彼の表情はどこか寂しげである。  そんな彼に見送られつつ、ボクはニシカワが待つ応接間の扉を開けた。 「失礼するよ。待たせてしまったね」 「こちらこそシュヴァハを片付けて頂いたご恩がありますし、これくらいの待ち時間など屁でもありませんさ」  出迎えたニシカワは不躾ながら椅子に背中を預けているが、彼の弱った姿を見れば仕方がなかろう。  足腰が不自由で呼吸器を背負っている彼には若い頃はステゴロの強さで名を上げた猛者としての面影はない。  そもそもボクが彼と出会ったのもこの街のドラックストアで、偶然クランの刺客に襲われた彼を助けたのが用心棒を引き受けたきっかけである。 「むしろナリアキくんを危険にさらしてしまったし、ボクが詫びたいくらいだ。それにこのまま……クランの残党を放置してこの街を去るのも気が引けるし」 「気が引けるほどこの街を気に入っているのならいつまでもここにいればいいさあ。ちょうどナリアキも独り身さ……カハハハ」 「冗談は止してくれ。ボクの素性を知ってるくせに」 「ワシなら気にしないでさあ。まったく、ナリアキもカネサダさんも身持ちが硬い」  年の功と言うやつか、このニシカワは出会った当初からボクがオートマタンであることを知っていた。  シュヴァハではないが彼の言うようにボクも一部で有名なのはその通りなのだろう。  そんな彼がボクを一人息子の嫁として迎えたいと言うのだから悪い冗談だ。火遊びならまだしもナリアキと結婚するつもりなどボクにはまっさらだ。 「冗談はそれくらいにしてくれ。立つ鳥はなんとやらというし、手短に行きたいんだ」 「ふうん。では挨拶などせずに置き手紙でも残して出ていけば良さそうなもんさ。それなのにあえて予約までして挨拶に来たのはなにかワシに用があるんでないかい?」 「おじいちゃんだってのに話が早くて楽だよ」 「ワシも体はガタガタだがココはまだまだ現役でさあ」 「ふふふ。聞きたいのはシュヴァハの事だ。もしかしてキミはヤツの正体を最初から知っていたんじゃないのか?」 「それは買いかぶりってもんさあ」 「文句があるわけじゃないからはぐらかさなくてもいい。少なくとも二十年前にオーガ山クランを壊滅させたときのシュヴァハはオートマタンだったんじゃないのかな?」 「察しが良いことで。ですがそれを確認したいとはどういう了見でさあ」 「なあに。シュヴァハが自分で言っていたんだ……『この街に巣くうごみを片付けて、その中にある宝を拾うことこそが自我を持つ前から続いている存在理由』だと。だからふと思ったんだ。シュヴァハは何かしらの理由で狂ったオートマタンだったが、狂う前の姿をキミなら知っているんじゃないかなってね」 「アイツ……」  ボクの言葉が琴線に触れたのか、ニシカワの目には涙がうっすらと浮かぶ。 「その様子だとやはりそうなのか」 「ああ……ちょっと昔の話になりまさあ」  ニシカワはボクの問いへの答えを兼ねた思い出を語り出した。 「もう五十年以上昔の話にでさあ。当時オーガ山クランの道場は街の一等地にあって、悪ガキたちがこぞって腕を磨きに通ったもんさ。まだ十歳にも満たないワシもその一人。あのころ親方だったサブロー親方は機械いじりが趣味で、よく何処からかがらくたを拾ってきては修理していましたさあ。シュヴァハも元はサブロー親方が拾ってきたがらくただったんでさ」  前置きを語ったニシカワはお茶を一口。 「最初は口も聞けねえ掃除用オートマタンでやした。みな(オーパ)と呼んで親しんでいやしたが、十年くらい経って急にペラペラしゃべるようになったんでさ。その頃になるとサブロー親方も体にガタが出始めたもんで、思い立った親方が他所の職人の手を借りて、相撲の稽古相手ができるように改造したんでさ」 「その改造がよくなかったのか」 「いんや親方が死んで孫の代になるとアイツはフラりと消えちまったんさ。親方以外にはメンテナンスをできるヤツもいなくて爺にもガタも来ていたから、みんな寿命がきて何処かで野垂れ死んでしまったと思っておりましたさ。探しはしましたが結局見つからず、いつしかアイツのことは忘れられていきましたさあ」 「……となると、そのあと登場した三十年前のシュヴァハが帰って来た翁というわけか」 「ご明察でさあ。見た目はだいぶ違ってましたしアイツは爺なんて知らないといっておりましたがワシにはわかりましたさ。どうして……いいや、どうやってクランの男達を洗脳したのかまではずっと疑問でございましたが、それは今回カネサダさんが見つけてきた装置が答えだったんでしょうな」 「なるほどね」  ニシカワの話がボクの中で仮説と繋がる。 「ひとつ聞くが、二十年前にキミはシュヴァハを倒したそうだけれど辛くはなかったかな? 相手が変わり果ててもすぐにわかったくらいなんだし、相当に仲が良かった様子だけど」 「辛いのは帰って来たアイツが変わり果てたことの方さ。倒すのは引導を渡してやっただけですので辛くはなかったさあ。でも……今回の復活は出来れば嘘であって欲しかったさあ。ワシに恨みのあるヤツがアイツの名前を語ってくれただけならどれだけ良かったか」 「ありがとう。今の話で事情は把握したよ」 「こんな身の上話の何処を確認したかったのかはわかりませんが、これだけでいいんで?」 「充分さ。ボクが知りたかったのはシュヴァハが最初からああだったのか、それとも狂ってああなったのかだ。後者だとわかればそれでいい」 「???」 「お礼にひとつだけ助言していくよ。ダテの連中にはくれぐれも気をつけてくれ」 「ダテ? あの国がこんな片田舎にちょっかいをかけるとは思いませんが」  この国は百年と少し前に対外戦争に見舞われたのだが、戦時中に活躍した改造オートマタンに恐怖を覚えた一部の人間と増長した一部のオートマタンの衝突がきっかけで戦後に内乱が起こっている。  その時代に反人間派のオートマタンが奪った北の大地に建てた国がダテ共和国だ。  表向きは人間が住む他国とは国交を断っているのだが、周辺国……とくに隣国のこのジャポネでは裏でこそこそと動いていた。 「他の街でも似たような、極道者を襲うオートマタンの事件に関わったことがあってね。そこで倒したオートマタンもダテの連中に電脳(こころ)を狂わされていたんだ。その時は皆に慕われてた有名人の御乱心だって、だいぶ大騒ぎになったものだよ」 「そういう意味では翁としてのアイツは大昔に消えたままでさあ。同一人物だと皆が知らないだけ、ワシらの世代に心を痛めるヤツはいないでさあ」 「忠告しておいて言うのは多少矛盾しているが、警戒までに留めて欲しい。くれぐれも報復しようだなんて考えないでおくれ。一介の極道者が太刀打ちするにはダテは大きすぎる」 「ワシもこの体で無茶はできませんさ……今の話は墓までワシが持っていきまさあ」 「そうしてくれると思ったから今の話も打ち明けたんだ」 「まったく……食えない女でさあ」 「ボクの素性を知っていても女として扱ってくれてありがとう。それではまた何処かで」  ボクは自分には少し似合わない投げキッスをしてニシカワと別れた。彼にはそれが意外だったのか、照れて顔を赤らめるのを見られて少し眼福だ。  財布の中には百万以上の現金がパンパンなのでしばらくは働かなくても充分だが、中身が減った時には用心棒として自分を売り込まなければ生活できない。  用心棒という生業は腕に自信があって素性を隠したいボクにはうってつけの職業ではあるのだが、どうしても堅気とは離れてしまうので命の危険にもさらされてしまう。  出来ることなら何処かに落ち着いて弟子をとり、産まれてきた本来の目的である「流派ムガイの伝授」を施したいのだが肝心の弟子がいなし蓄えも心許ない。  自分から各地の剣術道場を見学して見込みのありそうな相手を探しているわけではないので、漠然とネット婚活をしているモテない男のようだと言われてもボクは悔しいが言い返せない。 「そういえば……なんでゲイだったんだろう」  乗り込んだ電車がミョージンの街からだいぶ離れたところでボクはふと気が付く。  シュヴァハがかつてのクランメンバーや現在の子供達を洗脳して私兵にしていたのはわかるが、皆を男色にした理由はなんだったのだろうと。  女であるボクにはその理由が「シュヴァハが女という概念をよく知らなかったから」という簡単なものだといつまで考えてもわからなかった。
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