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「小林は、まわりに気を遣い過ぎだ。入試のとき、具合の悪い生徒のことを心配してただろ? 別の中学の生徒なのに」
「え……」
少し間が空いたのは、高校受験の当日まで振り返ったせいだ。彼が言っているのは、私の隣の席に座った女子生徒のことにちがいない。風邪気味だったらしく、午前中ずっと苦しげに咳込んでいた。周囲の視線も痛かっただろう。
「俺も同じ教室にいた。あの子と同じ学校からの受験だったんだ」
最上くんは、足を投げ出すような姿勢をとる。
「正直、咳の音が耳障りだった。でも、休憩時間に小林がその子に声をかけてやってるのを聞いて、自分の心の狭さを反省した」
女の子があまりにつらそうだったから、薬を飲んできたのか聞いてみた。病院から処方された薬を持っているけど、食後にしか飲めないから昼食まで我慢するって……あのとき、最上くんに見られていたのか。
「高校に入って、すぐに小林に気がついた。ちがうクラスだったけど、気になったから、同じ中学出身の坂下から色々聞き出したんだよ」
私のどこに興味があったのか、不思議で仕方なかったけど、今ようやく納得できた気がした。
「だから気にするな。お袋さんが死んで悲しむべきだって思う気持ちがあるなら、やっぱり小林は優しい。自分を責めるなよ」
自分を責めるな――その言葉に目が潤む。東京にいたころは、自分が母親のお荷物としか思えなかった。今は、私のままでいいと言ってくれる人がいる。
「入試のときから、私のことを知ってたんだね。どうして、もっと早く声をかけてくれなかったの?」
「それは……普通、いきなり知らないヤツに言い寄られたら警戒するんじゃないか?」
慌てて繰り出した最上くんの言葉はたしかに正論だ。
「じゃあ、もう一つ質問。どうしてアルバイトのこと、私に黙ってたの?」
最上くんが目を瞠る。私が何も知らないと思っていたようだ。
「坂下に聞いたのか? バイトは校則で禁止だからな。バイト先の店長ってのが、親父の中学時代の同級生なんだ。人手が足りないときだけ手伝いに行くことになっててさ」
でも、自転車の練習も土日なのだから、話題にのぼらないのは不自然だと私は訴えた。
「バイトのことを話したら、小林のことだから、遠慮して自転車に乗れなくても構わないとか言い出すに決まってる、絶対」
「ウッ……」
最上くんは「絶対」という部分を強調した。私の性格をすっかり読まれている。
「そんな遠慮をされたら困る。折角の週末デートが台無しだろ」
「デー……」
思いも寄らない答えに、私の顔がじわじわ熱くなっていく。
「私、最上くんに迷惑かけてない?」
「迷惑じゃなくて、心配はかけてる」
学校以外の場所で、彼に会えるのが楽しかった。最上くんも同じ気持ちなら、もっと嬉しい。
「ありがとう」
「何が?」
私が口走った言葉に、彼は目を丸くしている。
私のことを、好きになってくれてありがとう。
そこまで言うのは恥ずかしくて、「わざわざ会いにきてくれて」としか言えなかった。
「自転車を完全マスターしたら、T公園に行こう。あそこにはサイクリングコースがあるんだ」
「うん」
最上くんの爽やかな笑顔に、私は素直に頷いた。
T公園は、この地域では一番のアミューズメントテーマパーク。ジェットコースターや観覧車といった乗り物もあれば、園内で季節ごとに植え変えられる花々も見物できるため、老若男女問わず来場者が多い。
本当にデートにぴったりの場所。
「それじゃ、今度の土曜日も練習?」
「当たり前だろ。目標ができたからには、達成できるまで努力あるのみ! バイトのほうも土曜日の昼間は休めるように交渉済みだ」
彼のスケジュールは調整済みで、私に反論の余地はなさそうだ。
「わかった。目指せ、T公園だね」
「おう、その意気だ!」
どちらからともなく笑ってしまった。
ウッドデッキに繋がるリビング側のサッシが開く。顔を出したのは耀子ママだった。まさか、ずっと聞いてた?
「奈緒、お茶を淹れたから中に入ってもらいなさいよ。えぇと……最上くんで、いいのよね? 玄関にまわって上がってきて」
「はい!」
立ち上がった最上くんは、耀子ママにお辞儀する。私には、二人が同じタイプの人間に思えた。
最上くんと耀子ママ。それに仁パパも。
私を受け入れて、包み込んでくれる人たち。この人たちに囲まれて、私は幸せになりたい。
みんなを幸せにしたい。
まずは、伝えることからはじめよう。
「私、最上くんのことが好きになれそう」
「今更っていうか……ここで言うか?」
呆れた口調で返す最上くんの頬は、やっぱり赤くなっている。彼の額の汗を見て、私は妙に嬉しくなった。
私は最上くんを連れて、玄関の扉へと歩きはじめた。
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