▼序章

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▼序章

 赤き龍、夢に現る時。  それ即ち、王誕生の吉兆なり。  選ばれし者、災厄降りかかる時。  光を遣わし、王を導く。  ―陽煌国、炎龍伝説より― 「ありがとうございましたー」  午前二時。三十五歳にしてフリーターである私――野地 蘭(のじ らん)は、深夜もコンビニでバイトをしている。  深夜は時給が千円になるので、狙ってこの時間帯のシフトに入っていた。 「野地さん、商品の発注しようかと思うんだけど、足りない在庫ってある?」  レジに立っていた私の隣に、死んだ魚のような目をした細身の男――店長がやってくる。  三十代独身、生気のない顔をした店長とは歳も近い。やる気を海の向こうに捨ててきてしまったようなところも私と似ていて波長が合うので、同じシフトに入る日は気が楽だったりする。 「箸が残り一パック、お弁当用の袋のMサイズも最後のひと箱が開封されていたので、頼んだほうがいいかと。あと、フライヤーのコロッケにつけるソースの期限、今月で切れますので要注意です。あと……」  覚えている範囲で次々と答えていると、店長は白いフケをふりかけのごとくかぶっている見るからに不衛生そうな頭をぼりぼりと掻きながら、ぎょっとした顔をする。 「ほんと、記憶力いいいよね。メモも見ないで、在庫状況把握してるなんてさ」 「昔から暗記だけは得意だったんです。けど、発揮する場所がないですね」 「確かにコンビニ勤務じゃ、宝の持ち腐れかもね。じゃあ野地さん、夜勤帯はそんなにお客様も来ないし、床でも掃除しといて」  なにが『じゃあ』なのかはわからないが、私に掃除を頼んだ店長がバックルームに引きこもる。  私はモップを手に、ガラスウィンドウの前を掃除した。ふと顔を上げると、ガラスには疲れ切った女の顔が映る。最近、目の下のクマが消えずらくなった気がする。髪もぼさぼさで、化粧も面倒でしていない。いろんなことが、どうでもよくなっていた。  いつから、こんなにも無気力になってしまったんだろう。そんなことを考えて、すぐに思い当たる。高校三年生のときだ。父親が死んで、うちの生活は一変した。当時、医者を目指していた私は生活費を稼ぐために部活もやめて、バイトに明け暮れた。高校卒業後、ほとんどの同級生たちが大学進学する中、私は就職を選んだ。けれど、高卒で行ける場所なんてたかが知れている。結局、朝から昼にかけてファミレスでバイトをして、夜はコンビニ店員。フリーターの私に彼氏などできるはずもなく、三十五歳にして独り身だ。 「私の人生、なんもないな」  母親や親戚からは『ずっとフリーターはねえ』『まだ若いのに、やりたいこととかないの?』なんて言われる。わかってはいるが、今から医者を目指すなんて現実的に考えて無理だ。医学部に入学してから六年学び、国家試験をパスして、さらに二年間研修をこなす。その頃には、私は四十三歳だ。 「無理無理、その歳まで身体もお金ももたないって」  医学部は学費もバカ高い。三千万以上はかかるのだとか。その日暮らしの私には、とてもじゃないけれど払えない。全部、今さらだ。今さら、なにかを頑張ったところでなにも達成できる気がしない。 「……はあ、掃除しよ」  いつの間にか止まっていた手を動かし、ガラスウィンドウに背を向けた。そのとき――。 『赤き龍、夢に現る時。それ即ち、王誕生の吉兆なり』  ……え? 背後から威厳ある男の声が聞こえた。私はびくっと肩を震わせ、立ち止まる。  なに、今の……気のせい? 幻聴?  そんな私の考えを嘲笑うかのように、再び声が響く。 『選ばれし者、災厄降りかかる時。光を遣わし、王を導く』  ――気のせいじゃない!  勢いよく振り返ると世界が漆黒に包まれる。 「えっ」  周囲を見渡しても、闇、闇、闇。コンビニの店内にいたはずなのに、商品棚もレジも、全てが闇に飲み込まれてしまった。 「だ、誰かーっ、店長ーっ」  叫んで助けを呼んでいると、強い風が頭上から吹いてきた。とても立っていられなかった私は、その場にしゃがみ込む。なんとか顔だけ上げれば、炎を纏った龍が大きな翼をはためかせて目の前に降り立った。 「も、燃えてる……」  龍の身体から炎が爆ぜていて、熱を感じる。  呆然と目の前の龍を見つめていると、その金の瞳が私の姿を捉えた。 『汝、陽煌国(ひこうこく)の光となれ』 「は……?」  どういう意味? 私に話しかけてるの? そもそも、これは夢?   バイトを掛け持ちしている上に深夜まで働いているので、睡眠は三時間ほどしかとれていない。いよいよ、疲れが祟ったのかもしれない。立ったまま、それも仕事中に寝てしまったようだ。  ああ、夢なら覚めて……!  そう願ったとき、再び龍は口を開く。 『汝、陽煌国の光となれ』  龍の声が響いた瞬間、暗闇に閉ざされていた世界に光が差し込んだ。 「眩しいっ」  私はとっさに、顔の前に腕をかざす。  光は次第に目を開けているのも難しいほど強くなり、視界が白一色に染まった。 *** 「――助けて!」  叫びながら目を開けると、私は見知らぬ天井に向かって手を伸ばしていた。 「え……」  私、どうしたんだっけ。  混乱する思考。ゆっくりと上半身を起こすと、私は薄くて少し黄ばんだ布団の上にいた。日の光が差し込む部屋を見渡せば、天井も壁も木造で土間がある。まるで山小屋だ。なんでこんなところにいるのか、その理由を考えていたら【誘拐】の二文字が頭を過る。 「いやいや、そんなまさか」  自分を安心させるべくそう言って、布団を出る。そこで私はコンビニの制服ではなく、白の作務衣のようなものを身に着けていることに気づいた。 「なにこれ!」  自分の格好を見下ろし、思わず服の裾を掴んだ。その手がやけに小さくて、目を疑う。  嘘でしょう? 立ち上がってみると、身体が軽い。特に膝の動きがスムーズだ。なんというか、若返った気分。慌てて部屋の隅にあった姿見に駆け寄ると、その中で目を見開いている少女を見つめて、私は言葉を失う。  ――ありえない。試しに腕を上げてみれば、鏡の中の少女も同じ動きをする。 「どうして……」  三十五歳だった私の身体は、十四歳くらいの少女の姿に変わっている。鏡の前で放心していると、背後で扉が開く音がした。振り向けば、顔に無精ひげを生やした五十代くらいの男が立っている。伸びきった白髪交じりの長い黒髪を後ろで束ね、私と同じ白い作務衣を身に着けているのだが、胸や腰の辺りに赤黒い血のような染みがいくつもついているのに気づき、ぞっとした。  ひいっ、血だらけの男……!  座ったまま壁際まで後ずさる。悲鳴をあげなかった自分を褒めてあげたいくらいだ。 「目が覚めたようだな」  温かみの感じられない、無機質な声だった。おまけに表情も乏しい男は広い台の前まで歩いていくと、抱えていた大きなザルから大量の草を取り出し、並べていく。  あの人、なにやってるの? まさかあれ、麻薬なんじゃ……。  嫌な予感が胸を支配する。その間にも、男は話し続ける。  「服、大きさは合っているようだな」 「もしかして、私をこの服に着替えさせたのは……」 「俺だ。今朝、薬草取りに出かけた帰り道にお前を見つけた。川の中に半身浸かった状態でな。濡れた服を着たままでは、低体温症を引き起こして死ぬやもしれなかった。だから着替えさせた」  手を動かしながら淡々と説明してくれた男は、怪しげな草を並べ終えると私に向き直った。 「それで、なぜあんなところに倒れていた?」 「わ、わかりません。私、川の近くになんていなかったはずなのに……」  というか、どうして私も目の前のこの人も、作務衣なんて着てるんだろう。歴史ものの韓国ドラマにでも出てきそうな服装だ。  それに、この部屋の家具。コンロの代わりに釜戸があるし、テレビやエアコン、そういった電化製品が見当たらない。私の世界にあって当然な物がなにひとつないのだ。 「あの、ここはどこですか? 私、コンビニでバイトしてたはずなんです」  この身体のことも、誰か説明してほしい。どうして二十歳も若返っているのか。 「こんび……ばいと? 聞いたことがない地名だ。お前はそこから来たのか?」 「いえ、お店の名前なんですけど……」  コンビニを知らないって、いつの時代の人?  私は戸惑いながら男を見つめる。 「ここは陽煌国の最果てともいわれる、都から最も遠い仙(せん)の島だ」  男は訝しむような視線を私に向けながら、そう言った。  せん? そんなところ、日本にはない。それにひこうこくって……どこなの?  頭に浮かぶ疑問符の数々に、思考が追いつかない。 「その顔……仙に耳馴染みがないか」 「せん……どころか、ひこうこくもわかりません」 「なんだと?」  男は私を怪しんでいるのか、眉根を寄せた。 「私、日本の東京から来たんです。コンビニでバイトしてて、そうしたら赤い龍が出てきて……」  記憶を辿りながら、ここに至るまでの経緯を説明すると、男の目がみるみるうちに見開かれる。 「赤い龍と言ったか? それは、どのような姿をしていた。お前になにを告げた?」  矢継ぎ早に質問されて、私は目を瞬かせながらも龍の姿を伝える。 「身体が燃えていました。それで、王誕生の吉兆だとか、王を導く……とか言ってたような……」 「それは炎龍(えんりゅう)伝説の一説だ」 「えんりゅう……?」  首を傾げると、男は私に背を向けて戸口の方に歩き出す。 「ついてこい」 「え? ま、待ってください!」  ついて行っても大丈夫なのか、迷いはある。けれど、他にこの状況を説明してくれそうな人がいなかったので、私は腹をくくって、その背を追った。 「見てみろ、ここが仙だ」  男に連れてこられたのは、島を一望できる高台。でも、なにより驚いたのはここに来るまでに見た町の光景だ。このご時世に藁の屋根でできた家。中には瓦屋根の家もあったけれど、外壁は全て木造だ。歩道は舗装されておらず、土のままでコンクリートがない。お店もお洒落なガラスウィンドウはなく、すべて露店。昔にタイムスリップしてしまったみたいだ。 「見覚えないか」  呆然と仙の島を見下ろしていると、男がそう尋ねてくる。私は返事をする気力もなく、こくりと頷くのが精一杯だった。 「先ほど、赤い龍を見たと言ったな。この陽煌国では龍は特別な意味を持つ」  男はまっすぐな眼差しを私に向けてくる。 「赤き龍、夢に現る時。それ即ち、王誕生の吉兆なり。選ばれし者、災厄降りかかる時。光を遣わし、王を導く」 「それ……私が、龍に言われた言葉……!」 「これが陽煌国に伝わる伝説、炎龍伝説の一説だ」  こんなことって……ある?  知らない国の伝説を私が知っているはずがない。つまり、龍が言ったのだ。目の前の男と同じ言葉を。 「あ、ありえない……きっと夢だって」  陽煌国とか仙とか、こんなわけのわからない世界にいるのも、炎の龍も、これが現実ならば私は即刻病院送りだろう。 「遥か昔、この国は闇に閉ざされたことがあった。そんなとき、炎龍が太陽になって国を照らしたと信じられている。そして、その炎龍は王になる人間の夢に現れるとも」  まるでファンタジーの世界だ。伝説とか、炎の龍とか、おとぎ話のようだと思う。 「この世界に、にほんという国はない。お前は龍に遣わされ、この陽煌国に来たのではないか?」 「まさか! この世界に日本がない!? 龍に遣わされたとか、漫画じゃないんだから……」  でも、今目にしている世界。それは明らかに私の世界にはない国の景色だ。  嘘でしょう。まさか私……異世界にトリップした? 夢なら早く冷めてほしい。  でも、鼻腔を掠める潮の匂いや海岸に打ちつけられる波の音はやけにリアルで、膝ががくがくと震えだす。 「お前はいずれ、王を導く光になる。炎龍が俺とお前を引き合わせたことにも、きっと意味があるのだろう」  私と男の間を一陣の風が吹き抜けていく。  見知らぬ土地、見知らぬ人。右も左もわからない私に、男は手を差し伸べた。 「俺は紅葉 委元(こうよう いがん)。この島唯一の医者だ」 「委元……さん」 「委元で構わん。お前の名は?」 「野地、蘭……です」 「敬語はいらん。蘭、今日からお前を俺の娘同様に育てる。来るべき日が来るまで」  誠実で、覚悟を決めたような瞳。それを見つめ返していたら、不思議と――。  今日会ったばかりだというのに、なぜか信じても大丈夫だと。根拠もなくそう思い、私は迷わず委元の手を取った。
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