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琴子、帝都に立つ
汽車は定刻通りに上野の駅に着いた。一緒についてきた女中のたまはあまりの人の多さに度肝を抜かれたようで、おろおろと琴子の袖を引っ張った。
「すんごい人すなぁ……。お嬢様、はぐれないでくださいまし」
「あんまりキョロキョロすんでねぇ。田舎者だとバカにされるべ」
そう言い返した琴子だったが、不安なのはたまと一緒である。荷物をぎゅっと握ってなんとか人混みを抜けて改札を出る。
「お兄様が迎えにきてくれているはずだけんど」
改札も大変な人混みで、どこに兄がいるのかわからない。琴子とたまはしばらくどうしていいかわからずそこに佇んだ。
「おおーい、ああ居た」
ようやっと姿を見つけた兄の清太郎が帽子を掲げてブンブンと振っている。
「お坊ちゃま!」
「お兄様、おそいべ。汽車はちゃんと時間通りについたのに」
「この人混みだもの。琴子がちんまいから分かんなかったんだ」
「ちんまいっていわんで! これから伸びるんだから!」
久々にあった兄に、劣等感に感じている身長のことをからかわれた琴子は草履でぎゅむっと清太郎の靴を踏みつけた。
「痛いっ……お前ねぇ、その短気は直さなきゃいけないよ。ま、無事についてなによりだ。早く家に行こうか」
琴子とたまは清太郎に連れられて、これから新生活を歩む家に向かった。
「はあー。洋館……?」
「いやいや、和洋折衷の文化住宅さ。琴子の部屋は和室だから安心しな」
兄の言葉通り、洋風なのは外側と居間くらいで、琴子の部屋は和室であった。それでも田舎の古い家で育った琴子にはなんだか落ち着かない。しかし、ここから琴子の新生活ははじまるのだ。
「しっかりしなきゃ、お父様に頼まれたんだから」
琴子は故郷を離れる前日、父に言い含められた言葉を思い出す。
『いいか、琴子。お前はしっかりしているから任せるんだ。清太郎が都会で遊びや女にうつつを抜かさぬようにちゃあんと見張っておくんだぞ』
『はいお父様』
父の製糸業が軌道に乗り、この東京の支店を任されたのが兄の清太郎である。明るく人好きのする性格の兄だが、この都会で悪い人間に騙されるかもしれない。
「でも、おかげで私は東京の女学校に通える……うふふ」
地元の女学校の友人達との別れは悲しかったし、半分は父の見栄もあるだろうが、東京で学校に通えるなんて、なんて幸運だと琴子は思った。琴子、十六歳。花の大東京での短き乙女の日々がはじまろうとしていた。
***
「どう、たま……ばっちり決まっているわよね」
「ええ、おかわいらしゅうございます」
「そしてこれね」
琴子はえび茶の袴の上からベルトをした。ベルトには梅の紋章のバックルがついている。琴子がこれから通う、梅野女学校の校章だ。
それにブーツを履いて、琴子の機嫌はうなぎ登りである。
「お、はいからだね」
「あ、お兄様。では、琴子は勉学に励んでまいります」
「……ああ。なんなんだい、そのしゃべり方」
「土地の言葉じゃ東京の女学生さんになれないべ」
「ほー……」
清太郎がちょっと呆れ気味にしているのも目に入らず、琴子は意気揚々と女学校へと向かった。
「それでは転入生を紹介します。天野琴子さんです。東京には来たばかりだそうですので皆さん親切にしてさしあげてね」
「よ、よろしくお願いいたします」
ずらりと並んだ賢そうな、育ちの良さそうな同級生たちを前に、琴子は緊張の頂点にいた。
「あちらの席へどうぞ」
「は、はい」
なるべくなまりの出ないように短く琴子は答えて、さっさと自分の席についた。そして授業の間もじっと真面目にしていた。
「ねぇ」
「は、はいっ」
授業が終わった休み時間のことである。くるりと振り返ったのは前の席の生徒である。セーラー服を着て、地毛なのか電髪なのか、ゆるいウェーブのかかった髪をリボンでまとめてとても同い年とは思えないくらい大人っぽい。
「私、万喜。東雲万喜。よろしくね」
「はい……天野琴子です。万喜……さん……万喜さんと呼んでいいですか」
「いいわよ。琴子さん」
にこっと笑うと万喜の頬にえくぼが出来る。急に親しみ易さを感じて琴子はほっと胸を撫で降ろした。
「……あなた、かわいいわ」
「かわ、かわいい……ですか」
「ええ、お人形さんみたい」
チビだ、寸足らずだとばかり言われていた琴子はそんな風に褒めて貰ったことは無かった。
「私、かわいいものが大好きなの」
「あ、あはは……ありがとうございます……」
万喜の言葉に、琴子が顔を真っ赤にしていると、少しハスキーな声が琴子の頭の上から降って来た。
「万喜、あんまり転入生をからかうんじゃないよ。困っているじゃないか」
「ああら、思ったことを言ってるだけよ」
そう万喜をたしなめる声の主を見て、琴子は度肝を抜かれた。
「私は美鶴。西条美鶴。よろしく」
「は、どうも!」
彼女は白いリボンタイのついたブラウスにズボン姿……つまり男装をしていたのだ。髪も耳の下くらいで切りそろえている。
「……あの、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「その格好……学校でなにか言われませんか?」
「ああ……三日に一回は文句を言われるね、ははは」
琴子の質問に美鶴はなんでもない、といった感じで笑い飛ばして見せた。
「でもね、みんな言うんだ……似合ってるって。君はどう思う?」
「へ!? あの……似合っています……」
琴子からしたら羨ましいくらいの長身に、すんなりとした手足を見せつけるようなズボン姿。確かにこれ以上ないくらい似合っている、と琴子は思った。
「倒錯的よねぇ……ふふふ」
そんな目を白黒させている琴子の反応を見ながら、万喜はそう言って笑っていた。
「は、はい……」
こくこくと頷きながら、琴子はこれが東京なのか、これからどうすんべと心の中で叫んでいた。
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