ep1 迷子を捜せ!

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ep1 迷子を捜せ!

(1)  一晩寝て目を覚ましたら、カワウソは消えているんじゃないかな。ほんの少しだけ、そう思っていた。 「シュート、起きてください。ご飯ですよ」 「ん……いま何時?」 「もう六時半です。さあ起きましょう」 「ええ……もう部活ないから、もう少し……ねむ……」  せっかくの休みなのにもったいない。布団にしがみついて俺は必死で目をつぶる。けれど勢いよくカーテンを開けられ、お腹の上でぴょんぴょん飛び跳ねられて、だんだん目が覚めてきた。  くそ。  昨日のカワウソはまだここにいる。しかもかなりうるさい。  夢じゃなかったのか。  朝食はだいたいいつも、味噌汁と漬物とか似たようなものになる。今日は急がなくていいので鮭を焼いてみた。 「いただきまーす」 「いただきます」 「きゅいきゅい」  手を合わせてから箸を取ってふと足元を見ると、カワウソもきゅいきゅいと手を合わせている。 「ほー、こりゃ賢いの。いただきますができるんか」 「なんか、長生きするとカワウソも賢くなるんだって。多分このカワウソだけだけど」 「そりゃいいのう。そういえばもう名前は付けたんかの?」 「名前か。忘れてた。何にしようかな」  カワウソだからなあ。  犬なら八割がたポチだし猫ならほぼニャーなんだけど、カワウソの名前って何だ。 「カワウソのままで……」 「きゅーーーーーーっ」  足元から悲鳴が聞こえる。どうやら不満なようだ。 「カワウソ、カワウ……は鳥だし、ワウソ。ないな。ウソ。……ウソくん。ウソくんは?」  チラッと見たら、カワウソがすごい勢いで顔を横に振った。 「ウソくんはダメっぽいなあ。んー、じゃあ逆に読んでソウとか?」 「きゅい!」  了解がでたらしい。  おっけー。カワウソの名前は今日からソウだ。  ◆◆◆  テーブルを片付けてから、弁当を持って図書館に行こうと玄関を出る。今日は夏休みの宿題を図書館でやる予定なんだ。同じクラスの小池大樹(こいけひろき)がだいたい毎日図書館で勉強するって言ってたから、会ったら一緒に勉強しようってことになってる。  勢いよく玄関のドアを開けたが、一瞬立ち止まって、ドアを閉めてしまう。午前中だというのに、なんでこんなにギラギラと照りつける日差しが……。外に出るの、嫌だなあ。 「今日は家で勉強しようかな」 「何言ってるんですか。お友達と約束しているのでしょう? 約束は大事です」  弁当と勉強道具を入れている大きめのリュックから、ぬーっとソウが顔を出して俺に説教する。  こいつ、図書館にも憑いて来るらしい。 「私も本を読むのを楽しみにしているのですよ」 「カワウソなのに本を読むって……。けど、ソウならありえる。いいか、絶対顔を出すなよ? 面白そうな本があったら借りてやるから」 「分かっていますよ。本当はカワウソだって堂々と図書館に行ってもいいはずです。いや、もっと積極的にカワウソが来たくなるような図書館にしていくべきだと、私はそう思っているのですけどね」 「ソウが思っていたとしても、図書館の規則でペットは禁止だ。見つかると二度と借りられなくなるぞ」 「仕方ありません。シュートの顔を立てて、私はこの中で大人しくしています」  自転車のカゴにソウと勉強道具が入ったリュックを乗せて走り出す。市立図書館は、じいちゃんの家から自転車で十分くらいの所にある。  小池の家はじいちゃんの家よりも図書館に近いし、もう着いてるかもしれないな。ちなみにじいちゃんの家は美野川高校のすぐそばにある。クラスで一番学校に近いのは多分うちだ。  小池は、高校に入って最初のテストの時に順位が俺のひとつ前だったことがきっかけで話すようになった。少しオタクっぽくてクソ真面目で大人しいが、喋ってみればいい奴だよ。  ソウにぽつぽつと説明しつつ、吹き出す汗を(ぬぐ)いながら自転車をこぐ。川沿いの道は木陰になっていて風が気持ちよかった。ソウも鞄から顔を出して風に毛皮をそよがせている。 「落ちるなよ」 「もっと飛ばしても大丈夫ですよ」 「スピード狂か!」  そんなことを言い合っているうちに図書館が見えてきた。美野市(みのし)の図書館は市役所と同じ敷地内に隣り合って建っている。  図書館横の駐輪場からは、併設の公園が見えた。市民の憩いの場になっていて、木々が気持ちの良さそうな日陰を作り、真ん中にはボール遊びもできるグラウンドがある。さすがに暑いからか、今はグラウンドには人がいなくて、グラウンドの周りの遊歩道では散歩している人が少しだけいる。  自転車を止めて図書館の入口に向かって歩こうとしたとき、ふと目の端に赤いものが映った。よく見ると、建物の柱の陰で赤い服を着た女の子がしゃがんで泣いているらしい。  小学校の低学年くらいかな。  迷子だろうか。 「どうしようかな」 「どうしたんですか?」 「いや、そこに泣いてる子がいるんだけど……」 「何ですって! 迷子かもしれませんね。保護しなければ!」 「いや、そうなんだけどさ……」  このご時世、小さな女の子に声かけたりしたら逆に俺の方が不審者扱いされかねない。  困ったな。人を呼んでこようか。  一瞬悩んでいるすきに、ソウが鞄からするりと抜け出して女の子に向かって走っていった。 「きゅいきゅい」 「ユメちゃん!……え? タヌキ?」  止める間もなく、ソウが女の子と接触!  どうするんだよ。放って人を呼びに行くわけにも……なあ。 「ごめんね、俺のカワウソなんだ。急に逃げちゃって」 「ユメちゃんかと思ったのに」  驚いて止まった涙が、またあふれ出した。そんな女の子をソウがきゅきゅいと慰める。成り行きで俺もそのまま慰めることになったけど、大丈夫だよな?  少し落ち着いたその子に話を聞くと、どうやらユメちゃんと散歩にきたんだが、逃げられたらしい。手にはリードだけがある。  リードの匂いをクンクン嗅いで、ソウは顔をしかめた。 「ちっ。猫ですか」 「え?今、声が……」 「お、俺の声かな。猫、なのかなーって。ユメちゃんは猫なの?」 「うん、そうなの。お兄ちゃんすごーい」  夏休みで暇だった女の子が、家族に内緒で猫を散歩させようと思ったらしい。家が近いので歩いて公園まで来たのはいいが、留め方が悪かったのか金具が外れて、猫は公園の中に走っていってしまった。 「そうか。それは心配だな。俺と一緒に探そうか」 「うん!……あ……でも……お母さんが、知らないお兄ちゃんに付いて行ったらダメって」  そりゃそうだ。  よく思い出したな。偉いぞ。 「きゅい、きゅい」 「でも……知らないカワウソさんには付いて行ってもいいかもしれない」  ……駄目だと思うよ。  まあいいか。俺は程よい距離感を保とう。
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