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三歳年上の滝嶋先輩に恋をしたのは、ものすごくありふれた、テンプレートのお手本みたいな理由だった。
社内で行われた、レクリエーション。男子はサッカー。女子はバレー。
運動音痴の私は、見学に回ることにした。
……貴重な休日を潰してまで、こんな企画に参加したくない。そんな思いはあったが、休めばノリが悪いと言われ、社内での評価が落ちる。
渋々ではあったが、私は浮かないように、ある程度普通の女子を心がけて行動していた。
女子のバレーが先に行われ、その間男性陣は応援に回る。
「あれ?咲本さん、やらないの?」
コートの外にいた私に、滝嶋先輩が声をかけてきた。
「あ、はい……」
「どうして?楽しいのに」
さわやかな笑顔。こりゃあモテるわけだ……。
……正直私は、あんまり滝嶋先輩には、興味が無くて。
当時、アニメオタクだったこともあってか、現実の男性は、かっこいいとは思っても、仲良くなりたいとか、彼女になりたいとかは、全く思わなかったのだ。
――それなのに、たった一本のシュートが、私の常識をぶち壊した。
女子のバレーが終わり、次は男子のサッカー。今度は女性陣が応援に回る。
始まる前から、滝嶋先輩に対しての応援がすごかった。他の男性社員がかわいそうになるくらい。
凄いなぁ。モテる人は……。なんて、呑気に試合を見ていた私。
両チームとも点が入らないまま、とうとう試合終了の時間が近づいてきた。
サッカーって、全然点が入らなくて退屈だ。何度もあくびをかみ殺した。周りの女性陣に習って、がんばれーとか、ファイト―とかは言ってみている。そうするだけでも、印象がだいぶ違うから。
そんなこんなで私は、これ、早く終わらないかなぁなんて、考えていたくらいで。
試合終了間際。今日一番の歓声が上がった。
次々と相手チームのディフェンスをドリブルで躱し、見事にシュートを決めた滝嶋先輩。
そして……。自軍に戻る時、私の目の前を通った瞬間にフワッと舞った、何とも言えないさわやかな香り。
……ありきたりで、どうしようもない理由。
だけど私は、しっかりと恋に落ちてしまった。
滝嶋先輩に恋をした途端、私は急に、自分の容姿を気にするようになった。
深夜アニメをリアルタイムで視聴するため、夜更かしをしまくっていたせいか、肌はボロボロ。しつこい大人ニキビは、できては消え、またできての繰り返し。もう一生付き合っていくんだろうなと思っていた。
それでも、とりあえず睡眠時間だけは確保しようと、リアルタイム視聴をなくなくやめて、数日経過。
「あれ、咲本さん、顔色よくなった?」
同僚の羽柴さんが、そんな風に声をかけてきたのだ。
「そうかな……」
「……うん。絶対そう。なんかやってる?」
「ちょっと最近、早く寝るようにしてるからかも」
「それだけで、こんなに……?」
羽柴さんが、私の顔をジロジロ見てきた。こんな荒れた肌を見られるのがとても嫌で、私は俯いてしまう。
「これは、すごい素材かもしれん」
「……え?」
「いや、そうだ間違いない。これは磨けばダイヤモンド……。いや、それすら超える幻のパワーストーン……」
「えっと、なに?」
「咲本さんって、化粧水は何を使ってる?」
「……使ってない」
「えぇ!?」
そんなにびっくりされると思っていなかったので、こっちが声を出しそうになってしまった。こらえたけど。
「そうかそうか……。でもそうするとやっぱり……」
さっきから、何を一人で呟いているのだろう……。
そう思っていたら、急に羽柴さんが、私の肩に手を置いた。
「咲本さん!」
「は、はい?」
「……化粧水、使おう。保湿もしよう。メイクも教える。美容院も予約してあげる。だから……。一緒に頑張ろうね!」
「な、え?」
「元気がいいね~二人とも」
「あっ!滝嶋先輩!」
私たちの声が大きかったのだろうか。通りがかりの滝嶋先輩に、話しかけられてしまった。
あのレクリエーションから、妙に意識してしまって、まともに目を見て会話することすらできなくなっている。
「ん?咲本さん……。なんか、明るくなった?」
「……へ?」
「やっぱり滝嶋先輩もそう思います!?咲本さん、すっごい可愛くなれる素質があると思うんですよ!」
「うんうん。俺もそう思うよ」
……私が、おしゃれしたら、可愛く?
今、滝嶋先輩が、そう言ったの?
「じゃあ二人とも、仕事の方も頑張ってね?」
「は~い!」
さわやかな笑顔で、滝嶋先輩は手を振りながら去って行った。
「……聞いた?咲本さん。やっぱり素質あるんだって!」
「でも、あんなの、お世辞かもしれないし」
「お世辞でもいいじゃん!おしゃれして、マイナスになることなんて何もないんだから!」
「……そう、だね」
「よ~し!じゃあ早速今日の帰り、一緒に色々買いに行こう!」
「きょ、今日?」
「当たり前じゃん!思い立ったが吉日!時は過ぎてゆくのみ!それじゃあ仕事片付いたら、ロビーで待ち合わせね!一旦バイバイ!」
「ちょっと、羽柴さん……」
……まだ、やるなんて言ってないのに。
でも……。これはチャンスかもしれない。
交際経験なんて一回もない。二次元の男の子にしか興味の無かった私が、変身するチャンス。
ここは流れに身を任せた方がいいのかも……。
その日から、私の毎日は百八十度変わった。
毎日のように羽柴さんに、スキンケアについて教わった。食事にも気を使った。美容院にも行ったし、休日は服を選んでもらったり、苦手だった運動に誘ってもらったり……。
三か月経った頃には、私の評価は、まるで変わっていた。
あれだけ悩まされた大人ニキビは、見る影もない。自分でも触っていても、納得できるほどの美肌に生まれ変わっていて……。
明らかに私をみる男性陣の顔が違う。その反応が全部自信になった。
カレンダーに付けた、赤い丸印。
とうとうその日がやって来たのだ。
……今日私は、滝嶋先輩に告白する。
滝嶋先輩を呼び出そうと思い、社内を探したが、どこにもいない。
もしかしたら、今日は休みなのかな……。なんて思いながら、あっという間に昼休憩へ。
いつもの喫茶店に向かった。
「……えっ」
――滝嶋先輩が、女性と手を繋いで、喫茶店から出てきた。
そして、目が遭ってしまった。
「あれ……。咲本さん」
「あら。こんにちは。圭太の知り合い?」
滝嶋先輩のことを、下の名前で呼んでいる、美人のお姉さん。
「初めまして。圭太とお付き合いさせてもらってる、峯川です」
……嘘でしょ?
こんなことって、あるんだ。
でも、そうだよね。滝嶋先輩、モテるんだから……。当たり前じゃん。なんで私、フリーだって思い込んでたんだろ。
「しまったなぁ。見られちゃった。麗香は職場がこの辺でさ……。みんなには内緒にしてくれるかな。恥ずかしいから」
「ちょっと。何が恥ずかしいの?」
「ごめんごめん。そういう意味じゃないよ」
二人が笑い合っている。どう見たってお似合いの、美男美女カップルだ。
「……わかりました。私、何も見てませんので」
「助かるわ。ありがとう」
「いえいえ……」
「あれ、咲本さんさ……」
「はい?」
「なんか、最近キレイになったよね?」
「……えっ」
なんで……。
気が付くの、遅いよ。
私、あなたのために……。
「うん。本当に綺麗だわ。あなた、モテるでしょ?」
「そ、そんな。あの、二人の邪魔したくないので、私もう行きますね」
強引に話を切り上げ、私はその場から逃げ出した。
走りながら、涙が止まらない。でも、泣き顔は見せたくなかった。絶対不細工だから。
滝嶋先輩のために、頑張って、可愛くなったのに、そんな顔見せたら台無しだ。
……羽柴さんは、言ってた。おしゃれして、マイナスになることなんて、何も無いって。
嘘じゃん。めちゃくちゃマイナスだよ。フラれちゃったし、切ないし……。
そんなこんなで、私の初恋は、見事撃沈に終わったのでした……。
☆ ☆ ☆
「っていうわけなの」
「はいはい」
利絵は酔っぱらうと、いつもこの話をする。まだ利絵の苗字が咲本だった時の話。
「よっぽどイケメンだったんだろうな。滝嶋先輩は」
「そりゃあね。でもまぁ、友くんの方が、もっとイケメンだけど」
「やめろよ……。照れるから」
「照れろ照れろ~」
だいぶ酔ってるな……。床で寝る前に、ベッドへ連れて行かないと。
「何が、最近綺麗になった?だよぉ。遅すぎんだよ~」
「……でも、その先輩、俺はちょっとうらやましいな」
「えぇ?なんで?」
「だって。俺は、綺麗になったあとの利絵しか知らないからさ。その先輩は、色んな利絵を知ってるんだろ?」
「……そんなことないよ。友くんにしか見せない私、たくさんあるもん」
「……そうか?」
「うん。そうだよ。まだまだ見せてない私が、たくさんあると思うの。だから……。これからも末永く、私の隣にいてください」
「当たり前だろ」
俺は利絵の、白くて綺麗なほっぺに、優しくキスをした。
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