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分からない。
でも、分かることがある。──彼も、彼女も、もう何処にも居ない。在るのは彼らの偽物、二個のスピーカー。その片方が私だ。
―*―*―*―*―
記憶を辿る。──彼の記憶だ。
火星に到着した彼の心は、どうしようもない絶望感に支配されていた。
──あの日起こったことの全ては、事前に予測されていたことだった。
──しかし、いつ起こるか、充分な予測ができていなかった。事が起こったのが、あまりにも早すぎた。
地球に小惑星が衝突したのは、彼らが火星に出発してすぐのことだった。
計画では、彼らの第一部隊の後に、他の部隊も順番に火星へ送り込まれる予定だった。そして、多数の人員と潤沢な備品を元に、時間をかけて火星を開拓する筈だった。
しかし、実際に火星に到着したのは彼らだけ。待てど暮らせど、他には誰も来なかった。彼らは、人員と備品も何もかも不十分な状態で、ただ火星へと放逐された。開拓などできるはずもなく、自身の命を繋ぐのに必死だった。
彼にとっての唯一の希望は、彼女に電話が繋がったことだった。諦めかけていた。地球のシェルターだって、まだまだ充分に設備されていなかったから。でも、彼女は運良く生き延びた。
彼は、「開拓は順調で、何も心配要らない。」と彼女に嘘をついた。
そんなある日、彼の同僚の一人がついに半狂乱になって、一人で宇宙船と備蓄を奪い、逃走した。
いよいよ彼には、何もなくなった。自らの命の限界を悟った。
そして、彼は一体のスピーカーに、彼自身の記憶を組み込み、彼にとって一番重要な役目を託した。
──彼女もおそらく、彼と似たような境遇だったのだろう。考えることは同じだったのだ。結局のところ、「似た者同士」なのだ。彼も彼女も。
―*―*―*―*―
21時になる。電話をかける。
ザァァーッ……ザァァーッ…ザァァーッ。
私はスピーカー──話す機械、嘘つく機械。しかし、経年により、私の部品もあちこち劣化してしまった。今はもう、雨音のような雑音しか出すことができない。
『ザァァーッ……ザァァーッ…ザーッザーッ。』
回線の向こうから、同じような雑音が聞こえてくる。
……ザァァーッ……ザザーッ……ザァァーッ。
『……ザァァーッ……ザァァーッ…ザーッ。』
21時、私たちは雨音を奏でる。
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