終章 side 高坂一良

3/7
39人が本棚に入れています
本棚に追加
/108ページ
 桜庭と面会すると決めてから二日間、高坂は彼について調べた。  越野隆史とも連絡を取って、彼が調べ上げた桜庭に関わる情報を洗いざらい聞き出した。その結果、自分は桜庭を何も知らなかったと今さら実感した。  そして調べるにつれて興味深い事実が浮かび上がってきた。そこに高坂の憶測を交えると、桜庭の根深い心の闇が見えてきた。もしそれが事実ならば、桜庭を改心させるのにかなりハードルの高い障壁となる。      *  翌日、八月三日の午前十時過ぎ。  高坂はアクリル板で二間に隔たれた窮屈な部屋に入った。部屋にある物はアクリル板の前に据えられた鉄パイプ椅子だけで、そこに座った。広さと設備は異なるが、面会室は仮死刑囚と最後に談話する制御室に似ている。高坂が面会室に訪れたのは執行官になってから初めてのことだった。  面会は基本的に、被疑者側に面会するか否かの決定権がある。岩上管理官から前もって聞いていた話では、正直なところ桜庭が了解してくれるとは思っていなかった。  でも、彼は了解した。高坂はそこに意味と突破口があると踏んだ。  間もなくして、アクリル板の向こう側のドアが開いた。背後に警察官を連れて、桜庭が入ってきた。俯いたまま、挨拶はなかった。  高坂は表情に出さなかったが、唖然とした。更生局での桜庭は良くも悪くも学生らしさが抜けない、頼りなさが滲み出ている青年といった印象だった。しかし、アクリル板越しに見る桜庭は別人のようだった。髭が伸びている影響もあるだろうが、何よりも彼の印象をがらりと変えたのは瞳だった。桜庭の瞳は、仮死刑囚のそれと同じだった。光が欠け、何も見ていない虚ろな瞳。  手錠を解かれたあと、のそっとした動作で桜庭が椅子に座った。着席後も桜庭の瞳は高坂を見ているものの、あくまで高坂は彼の視界に映るひとつの物体でしかなく、中心として捉えてはいなかった。その背後で若い警察官が仁王立ちしている。この画はやはり高坂に仮死刑を彷彿とさせた。  一五分で桜庭を変えられるか、すべては高坂に託された。  一般接見の面会時間はおおよそ一五分と定められている。面会できるのは今日だけではないが、最初が最も肝心なのはこれに限った話ではないからだ。  高坂は核心から話し始めた。 「桜庭の父親のことについて調べた」  瞳は動かなかったが、薄く開かれていた桜庭の目がぴくっと反応を示した。 「桜庭義時。享年五二歳。五年前に他界。離婚と再婚を二度繰り返すも、どちらも短期間で関係が解消された」手元に資料はないが、高坂は読み上げるようにつらつらと続けた。「……生前、何度か児童相談所への通報があったんだな」  高坂が昨日一昨日(おととい)と密に連絡を取り合っていた越野いわく、近隣住民からの通報だった。夜間になると短い悲鳴と激しい物音が頻繁に聞こえてくる家庭だったらしく、まだ離婚前の広沢親子も同居していた頃から家庭内独裁が続いていた。  思い返すと入局以後の桜庭の姿勢は、積極的ではなかった。それもそのはず、彼は父親ののもとで育ったからだ。  途端、桜庭が微かに笑った。初めて見せた彼の反応に、高坂は背後で意外そうな顔を浮かべる警察官と目が合った。 「?」  桜庭のひと言は、すべてを物語っている。高坂の懸念していた通りだった。  桜庭の父と広沢の母が離婚した後も、児相への通報があった。しかし桜庭が児相に一時保護されたり、彼の父が親権を喪失したりすることはなかった。  児相が問題解決したわけではない。桜庭春文本人が、児童相談所の職員を追い返したのだ。当時、近隣住民が玄関先で騒いで職員を非難する男児の姿を目撃していたと越野は言った。  児童虐待にも内訳がある。身体的虐待、ネグレクト、性的虐待、そして心理的虐待。虐待をする親権者は総じて「しつけをしただけ」と決まった文句を言うが、桜庭はそのを虐待とは捉えず、教育の範疇と捉えている。  洗脳だ。親の神格化によって絶対服従が日常となっているため、虐待を受けた子どもたちは洗脳状態へ簡単に陥ってしまう。食事を与えなかったり、意味不明の罵詈雑言を浴びせて恐怖心をあおり、精神的に追い詰めていく。藤原翔太のような反骨精神がない限り、親が子どもを洗脳させるのは恐ろしく容易にできてしまう。  子どもが受けた洗脳は容易に解くことができない。トラウマと同様、親がいなくなってからも被害者の心に親の虚像はずっと居座り続ける。  そして最も厄介なのは、洗脳状態になった子どもが洗脳を自覚できないことだ。親に非はないと考え、むしろ非難される親を擁護する子どもまで存在する。桜庭もまさしく同型だ。  実例では、二〇一〇年代に少年が祖父母を殺害する事件が起きた。その背景にも少年の母親による壮絶な虐待があった。金に無心な母親が祖父母の殺害と金の強盗を命じ、少年はそれに従った結果、祖父母を殺害してしまった。少年は母に見捨てられたくない一心で事件を起こしてしまった。  これは更生教育にも通ずることだ。更生教育で一番厄介な受刑者は、反省していない受刑者ではなく、反省しようとしている受刑者でもない。自ら深く反省している受刑者なのだ──正しい反省の仕方なのかどうかは別として。彼らは反省と自責し続ける傾向にあるため、違う視点を受け入れようとしない。そのままでは原因の原因に気づけず、すべては自分が悪いと考えるつづける。被害者遺族の視点では自責し続けることが当たり前だと思われるかもしれないが、更生できない以上、社会へ復帰したら再犯する危険性が高い。  でも、逆に捉えれば突破口はここにある。高坂はそう考えた。 「具体的に、父親のどこが素晴らしいと思うんだ?」 「その手には乗りません。藤原少年の時に、あなたのやり口は把握しましたから」  警察官が視線だけ高坂へ動かした。改名したとはいえ、更生局以外の人間がいる場で仮死刑囚の名前を出すはナンセンスだ。もっとも、今の桜庭にそんな配慮の考え自体ないだろうが。 しかし、桜庭が藤原少年の話を持ち出したのは高坂にとって願ってもない布石となる。  すっと桜庭が腰を上げた。面会を締める気だ。警察官は高坂を一瞥した後、桜庭に手錠をかけた。その間、桜庭の灰色の視線は常に高坂へ向けられていた。 「──本当は、父親が嫌いだったんじゃないのか」  高坂の逆撫でせん言葉に、退出しようとする桜庭の動きが止まった。 「本当は憎くて、恨めしくて、しようがなかったんじゃないのか?」  瞬間、桜庭が勢いよく振り返り、アクリル板まで詰め寄った。  間近で見た桜庭の表情には、明らかな動揺が見て取れた。 「あなたに僕の気持ちがわかるはずがないでしょう?」  見かねた警察官が桜庭の肩を掴んで、強制的に椅子へ着席させた。座ってもなお彼の動揺は残ったままで、獰猛(どうもう)な獣のように肩を上下させながら息をしている。 「確かに、俺にはわからないかもしれない」高坂は桜庭から視線を逸らさなかった。「桜庭が言う、僕の気持ちっていうのは今のところお前にしかわからない──」  桜庭は苛立たし気に、痛いところを突かれたように高坂から目を背けた。  高坂は腕時計をチラッと見た。面会開始から五分が経過しようとしている。 「桜庭。俺は今、お前の嘘偽りない本心を聞いた。僕の気持ちがわかるはずがないって」 「……だから、何ですか」桜庭は平静に努めようとしたが、声が震えていた。 「それってつまり、?」  桜庭の取り繕われた平静さは容易に剥がれ落ち、目は見開かれ、過呼吸発作のように息が荒くなり始めた。  甦人殺しで桜庭の関与が発覚してから腑に落ちない点があった。  なぜ桜庭が実姉の広沢彩羽と共謀したのかという点だ。二人の関係は判明したが、姉に加担した動機が見えてこなかったからだ。  しかし、今ならわかる。  答え合わせといこう。
/108ページ

最初のコメントを投稿しよう!