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雨が降り始めた日
雨が降り始めたその日、アベルは深い夢の中に入ってしまった。
あの日の朝、俺はいつもと同じようにアベルの部屋に行った。アベルは昔から、一声かければ目を覚ます。なのに、あの日は一向に起きる気配がしなかった。試しに両肩を掴んで身体を揺らしてみたり、鼻を摘まんでみたりしても、だ。アベルの青い瞳は顔を出そうとしない。
おそるおそる、アベルの顔の前に手をかざしてみる。手のひらには、微かな息の流れ。それを遮るように雨音が鼓膜を刺す。俺は静かにもう片方の手で拳をつくると、突き動かされるままに駆け出した。
王宮内を全力疾走するなんて、普段なら不敬であると自分自身を咎められる。だが、俺の中ではしきたりや外聞よりもアベルが最優先だ。恐れも忘れて執務室に入れば、周りから放たれる視線の矢なんて無視してアベルの異常を王に伝える。
簡潔にまとめるなんてできない。俺は見たままをそのまま言葉にしていく。そうすると、目の前で訝しげに俺を見つめていた王の顔色がどんどんと悪くなっていく。俺を叱る声が止み、代わりに動揺の声が聞こえ始める。
そんな中、俺は口を噤む。それを合図に、王宮内が騒然とした。
それもそうだ。アベルは第二王子であると同時に、妖精の愛し子でもある。アベルに異常があるということは、妖精の方にも何か異常があるのかもしれない。今、この国で妖精と話せるのはアベルだけだ。その上、研究もまともに進んでいないため、アベルの扱いは慎重なのだ。
アベルはすぐに王族専属の医者たちに診察された。昨日の食事や予定を細かく聞かれる。細い腕に針がさされて血液が抜かれ、心音の速度を確認される。そうして身体を隈なく調べた末、医者は一言、「わからない」と首を横に振った。
駆けつけた第一王子がアベルを起こそうと身体を何度も揺らし、王妃は枕元で呆然と立ち尽くす。王はすぐさま家来たちに原因追究の命令を出すも、その声は普段より幾分か荒れている。
いつもは静寂と友人のこの部屋が、こんなに騒がしいなんて。喧騒の中、俺はどこか他人事のように思っていないと、今にも取り乱してしまいそうだった。
そんな俺を押し潰すかのように、窓を打ちつける雨粒の音は強くなっていく。
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