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そこからどうやって帰路についたのか。記憶がない。気が付いたら家の門前で茫然と立ち竦んでいた。
敬を我に返らせたのは怒鳴り声だ。
続いて外からでも分かるような何かが倒れるような音。倒す音、何かが投げられる音。
中で誰かが暴力を振るっている。
血の気が引く。門扉を押すと声の元へ走り出した。
薄暗い屋敷の中を一直線に進む。窓から覗く空は藍色で、日が沈んだ時刻なのにどの部屋にも灯りが付いていない。
何かに見つかるのを恐れて息を潜めてるようだった。誰もいなくなったように感じるその景色に敬は不安を増大させる。
怒鳴り声の所在だけが唯一、灯りが付いていた。近付くと怒鳴り声に混じって泣き声も聞こえてきた。
敬は襖を勢いよく開ける。
そこは忠がこんこんと眠り続けていた部屋。そして目覚めた弟に安堵と喜びで思わず抱き締めた数時間前の部屋。
忠が休んでいるはずの布団は誰かが暴れた後のように乱れ、忠はその横で力なく座り込んでいる。頭の包帯の箇所には血が滲んでいた。
忠の胸ぐらを掴んで怒声を浴びせている人物は父だった。目の前の光景が信じられなくて固まる。
「どうしてお前はいつも私に恥をかかせるんだ!
この出来損ないがっ!!」
これまで一度も父の怒鳴り声などを聞いたことがなかった敬は、眼前の光景が信じられなかった。あまりの豹変ぶりに、そのまま固まってしまいそうになる。
しかし消え入りそうな嗚咽が辛うじて敬を動かした。
父の腕を掴む。体格はほぼ変わらないはずなのに何故か殴られたらどうしようという恐怖に支配された。
「お父様、少し落ち着いて下さい」
声をかけながら疑問が湧いた。
どうしてだろう。今まで何の疑いもなく呼んできたその名前にひどく嫌悪感を抱いた。
(この人をお父様と呼べるのだろうか)
こんな風に子供を、感情に任せて怒鳴り散らかす人を。
自分の尊敬している人は何処へ行った。
自分は尊敬していたらからこそ、彼をお父様と呼んでいたのだ。
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