逃亡

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体が震えて目が覚めた。 私はゆっくり身を起こす。 どうやら随分寒い場所で寝ていたらしい。しかも空気が淀んでいる。 寝る前の記憶はないが、何故だか私はこの淀んだ空気感を良く知っている気がした。 暗闇だが辺りを見回すと、光が一点だけ差し込んでいる。 光は格子のはまった窓からで、その向こうから声が聞こえる。 なんと言ってるのだろう、と私は近付こうとする。伸ばした手が思ってたより小さくて首を傾げる。 その時、突如ガラスが震えるようなビリビリした強い怒気の大声に変わった。 『お前なんぞ生まれない方が良かった !俺が守ってきたものを目茶苦茶にしやがって!』 私は立ち竦む。あれはお父様だ。 怒っている。恨まれている? 理由は分からない。 私は何もやってない。 ただ普通に生きてきただけ、画家に···いや違う。なんだ画家って。学校だ。私は初等科に通っている。 『お前のせいでこの家は終わりだ! 才能のない人間がいたせいで!長男だけなら良かったのに!』 怖い。怖いよ、お兄さま。 お父様はどうしてこんなに怒ってるの? なぜこんなに嫌われてるの? 教えて、お願い直すから。 怒られるのも、閉じ込められるのも嫌だから。 『迷惑しかかけない能無しなら死んでしまえ!』 ごめんなさい。ごめんなさい。 鈍間でごめんなさい。 愚図でごめんなさい。 出来損ないでごめんなさい。 頑張るから、直すから、捨てないで。 嫌いにならないで。 足音が近付いてくる。 恐怖が私を支配する。 これから何が起こるのか体は理解している。 鍵がガチャガチャと乱暴に動いた。男は光を遮る形で入ってきた。影になってるのでその顔は分からない。 男の手が私に伸びる。 鈍い痛みが頭に走った。 手も足も出ない。 ただ殴られるだけ。 「あ"ぁ···」 嗚咽が漏れると男は味を占めたように、さらに強く殴った。 「ウ"ッ···」 みぞおちに入った痛みと衝撃。胃の中のものをえづきそうになって慌てて口を抑えた。 それでも堪えきれずに口から出る。汚い吐瀉物が小さな手から溢れて地面に落ちた。 惨めだった。彼にとってはきっとその辺の空の一升瓶を蹴るのと同じ感覚なのだ。 マッチを擦る音がして、頼りない小さな炎が現れる。男がいつの間にか咥えてた紙煙草に火をつける。 それが一服するためだけでないことは知っていた。身体に染み付いているから。後ずさりたくなる気持ちをグッと堪える。逃げたら殴打の痕が増えるだけだ。 浴衣の袷を思い切り掴まれる。 はだけた胸元の薄い素肌に、暴力的な熱が押し当てられる。 「ぃ、いやだ。ごめん、なざ···ぃ」 痛い。痛い。痛い。 全部、悪い夢だったら良いのに。 あの日みたいに起きたら隣に兄さまがいて、夢を見たと話すことが出来たら良いのに。
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