それはあの日の形見

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「えっ!?えっ今の何!?」 フェデ君が非常に興奮した様子で駆け寄って来る。 私はその問いかけに答えられず、ただ呆然と手鏡を見つめた。 不意に頭に思い浮かんんだものがあった。 それは兄さまと交わした会話、懐かしい光景。 『大丈夫だよ忠。少しでもおかしいと思ったらこので見てみるんだ。きっと忠なら上手くやれる』 その言葉を言ってくれたのは、確か兄さまが自殺する前日の夜。雪がちらつくような凍てつく夜だった。なのになぜだろう。 記憶にはちっとも寒さなんて出てこない。 今思い出すのは、何よりも安心したぬくもりの記憶。 あの日、兄さまが蔵に入ってきて一緒に眠ったのだ。 与えられない食事とただ殴られるのを待つだけだったあの頃の私にとって、その日はゾッとするほど幸せだったのを覚えている。 そしてこれはその日もらった贈り物で、同時に形見になってしまった。 私はそっと表面をなぞった。 ゆっくりと手鏡の蓋を開けて、息を飲む。 大きなひび割れが一つ入っていた。 ああやはり、と思った。 あの時、兄さまが閉じ込めてた霊力が出てきてくれたのだ。 もうあれから十年以上の歳月が経っているのに。 こんな遠い異国の地で、私を守ってくれたのだ。 そっと、鏡面に入った大きなひびをなぞる。 これは後どれくらいの力が残っているのだろう。 どれくらいの危機から私達を守ってくれるのだろう。ひびが入っているということは、これで既に限界なのかもしれない。 強かった、手放して父に褒められていた兄さまを思い出す。どんなにこの手鏡に触れたところで本人はもう現れない。なのに私は縋るように鏡を胸の前に当て祈った。 数分前まで呼吸も出来ないほどの恐怖に駆られていたというのに、今は不意に守られたことや昔の幸せな記憶が蘇ったりで心情は全く持って滅茶苦茶の無秩序だ。 切なくて、哀しくて、でも嬉しい。 もう私は亡くなった兄さまの年齢をとうに追い越してるというのに、私はみじめなほど前に進めていない。 何時まで経ってもあの慈愛に満ちた瞳と強い意志に叶う気がしない。 涙が零れ落ちそうになったのを、瞳を閉じることでなんとか抑えようとする。 「······え?」 そっと目を開いた時、ひび割れた手鏡に異変が起きていた。 鏡、ではなくなっていたのだ。 鏡の先にいるのは反射した私ではなく、全く異なった風景だった。まるで鏡の向こうにフィルム映画があるかのように別の世界が写っている。 別世界は手入れの行き届いた植物が花を咲かしているワンシーンを抜き取っていた。おそらく、どこかの庭。 目をこすったその時、鏡は再び圧倒的な光を放った。
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